中里一日記

[先月の日記] [去年の日記]

2000年9月

9月30日

 L作戦。
 おそらくは現存するもののなかでもっとも詳しい結果を出すHDDベンチマークソフトが、GUIと簡易測定を除いて完成した。測定時間は20分。最近の大容量キャッシュのHDDでは1時間に達するかもしれない。
 ついてはアルファ・テストを実施するため、志願者を募る。志願の条件はたったひとつ、
1. テスト用のWindows2000システムを持っている
 である。勇気ある読者諸氏の挑戦を待つ。

9月29日

 タロカンの陥落で、マスード派の戦線が崩壊したような気配がある。タリバーンの進撃が止まる気配がない。マスードはゲリラ戦の開始を宣言した。ファイザバード攻略の話さえ出てきている。
 これだけ広い地域を奪われると、効果的な反攻には大量のトラックと装甲車両が必要になるが、マスード派がそれを持っているという話は聞かない。ただちに反攻できなければ物資の不足で首が絞まってゆく。いよいよ勝負あったか。

9月28日

 L作戦。
 なあジョニー、カリブの海ってのは、こんなに青いのか… それはNTのブルースクリーン。

9月27日

 今月発売のコンピュータ雑誌のどれかに、よい教訓を含んだ話が載っていた。
 あるコンピュータセキュリティサービス会社が、サイトクラックコンテストを開催した。「ホームページを書き換えられれば100万円」というわけだ。
 が、その会社は当初、クラック目標サイトのドメイン名を一字間違えて発表した(コンテスト開始前に修正)。発表直後、そのドメイン名が登録されていないことに気づいた人物が、ただちにその一字違いのドメインを取得し、コンテスト中にそのドメインに「ご覧のとおり書き換え完了」と発表した。
 すると、その会社は、「単なる揚げ足取りにすぎず、クラックには成功していない」として、敗北宣言と賞金の支払いを拒んだ。
 コンテストは所期の役割を果たしたといえるだろう――この一事をもって、この会社は頼むに値しないことがわかったからだ。
 ケビン・ミトニックが優れていたのは、セキュリティホールを探す能力ではなく、電話で人を欺く能力だった。人間的な要素こそ常にセキュリティの弱点である。タイプミスもまさに人間的な要素である。だがこの会社は、タイプミスを、「意図したことではない」として存在しないことにしたわけだ。
 敵が自分の意図するとおりに動いてくれると信じる軍隊は、どれほど物量が優っていても、どれほど士気が高くても、必ず敗れる。敵は常に、我の思わざるところ、備えざるところを突こうとして虎視眈々としている。戦場は常に凶器攻撃の世界であり、判定を間違える審判はいない。
 だがこの会社は、「こちらの意図したことではない」として、敗北を認めることさえ拒否した。ドメイン名を一字間違えて発表することの重大さと、そこに潜むセキュリティ上の問題を悟るかわりに、「俺がルールブックだ」と言い放ったのだ。
 戦場で「俺がルールブックだ」と主張する上官に、命を預ける兵はいない。「俺がルールブックだ」と主張するコンピュータセキュリティサービス会社に信用を預ける企業は、信用の重みを知らない企業である。

9月26日

 月猫の締切まであと10日ちょっとしかないのに、千号作戦はまだ100枚以上も残っているような気が。
 当初の予定では、L作戦は8月には終了し、いまごろは10億円を持ってカリブ海に高飛びしている予定だったのだ(嘘)。うーむ。

 L作戦。
 全障害は解決された。ただ前進するのみ。

9月25日

 昨日の続き。
 SFとやおいを論じ、さて百合はどうか、というのが昨日までのあらすじだった。だが百合にゆく前に、ギャル作品を論じてみたい。
 ギャル作品において、コミュニケーション世界の変容と原理主義はどのように媒介されているのか。一言でいえば、「エヴリシング・オーケー」である。ちょっとしたスパイスとしてのトラブルはあるものの、深刻な問題はけっして起こらない。「強姦されてハッピーエンド」と並んで、やおいの黄金パターンの双璧をなす「甘々」もこれである。
 コミュニケーション世界の変容を認識するがゆえにギャル作品は生まれる。現実がエヴリシング・オーケーなら、エヴリシング・オーケーの世界の話は不要だ。現代日本では、餓死のおそれのない世界の話などまったく無意味である。
 ギャル作品の世界にあっては、グローバルなものとのコミュニケーションに困難を覚えることはない。グローバルなものとしてやってくるギャルは、登場するなりローカルなものになる。ローカル化を象徴するように、ギャルは主人公の家に住み着くことが多い。さもなければ、最初から主人公にとってローカルな存在として登場する。幼なじみや妹というパターンがこれだ。
 エヴリシング・オーケーな世界において、性の論理はどんな役割を持っているのか。ギャルは性的な対象として現れる。ギャル作品は、セックスが可能かつ必要ならそれを行い、恋愛や結婚への期待を残しながら(あるいは後日談として語りながら)終わる。だから、そこには性が登場しているように思える。
 違う。じつのところ、性はまったく不十分に、ほんのおざなりにしか現れていない。ギャル作品の論理は、性の論理などではなく、オタクローカルなラブコメの論理にすぎない。それはいわば、去勢された性だ。
 なぜ性の論理は遠ざけられるのか。二つの理由がある。一つは、ギャル作品の多くが性表現に不自由なメディアで作られているからである。もう一つは、性が性器の結合に囲い込まれているからである。
 性を媒介としたエヴリシング・オーケーな世界、すなわちギャル作品を作るために性の論理を用いようとしたとき、作者は、きわめて貧しい性しか利用できないことに気づく。性の論理のほとんどは、性器の結合という狭い範囲に囲い込まれ、豊かに発展する可能性を奪われているからだ。そのためギャル作品の作者は、ラブコメという奇形的な代用品を発展させるほかなかった。
 だが、百合のギャル作品なら、代用品に頼る必要はない。百合における性の論理は、性器の結合に囲い込まれていない。また、将来囲い込みを生じるほど強力なイメージを持つ形態は存在しない。性の論理は、百合においてこそ豊かに発展しうる。
 理想的な百合のギャル作品においては、すべてのコミュニケーションがセックスになるだろう。セックスといっても性器がどうこうではない。会話も視線も、性の論理によって交わされれば、それはセックスである。従来は性器の結合に囲い込まれ、発展させることができなかったこの可能性を、百合なら切り開くことができる。

 私は確信している。やおいの「強姦されてハッピーエンド」に匹敵する勝利の方程式は、いまや目の前にある、と。
 だが、革命はいまだ成らず、である。同志よ努力せよ。

9月24日

 今日の結論:
 やおいはポストSFである

 SFというジャンルは、技術革新が世界を変容させはじめた時代に始まる。すなわち、産業革命による大量生産・大量輸送・大量消費、水晶宮と飛行機と放射性物質、そしてテクノクラート思想である。「科学的社会主義」という7文字を読者諸氏はご記憶だろうか。1917年、科学技術はそれほどにまで輝いていた。
 世界変容に伴う不安は、反動としてロマン主義の隆盛をもたらした。ここでいうロマン主義とは、科学技術によって変容してゆく不安な現在に対して「古ゲルマン」や「農村」を神話的に称揚し、科学技術の説く合理性の論理に対して「体験」や「神秘」や「精神の高揚」を唱える、文字どおりの反動思想である。
 変容する世界と、その反動たるロマン主義とを、科学によって媒介し止揚したのがSFのはじまりである。古いSFにおける「宇宙」とは、ロマン主義における「農村」と同じく、神話的な場所だ。古いSFにおいて、科学は世界のルールであり、主人公はこれを把握することで正しく行動し危機を切り抜け、冒険という「体験」を得る。古いSFは、変容後の世界としての未来を称揚するが、変容しつつある世界についてはなにも語らない。
 世界の変容は、いまも続いている。だが私たちはもはや、神話的な農村の神話的な生活に憧れることはない。私たちにとっては、世界は変容しつつあるのが当たり前で、それでも十分楽しくやっていけるのが当たり前だからだ。ロマン主義を必要としない私たちは、神話的な農村に憧れることがないのと同様に、神話的な宇宙に憧れることもない。
 さて、ここまで述べてきた「世界の変容」とは、技術革新による物質的・経済的な変容である。オイルショック後の日本には、これとは別の変容が生じた。脱ムラ社会、核家族化、社会的な連帯感の喪失によるコミュニケーションの変容である。
 高度成長期、「クラスのみんな」という言葉がどれほどの内実を伴っていたか、今となっては想像することさえ難しい。当時、学校のクラスは、今となっては冗談としか思えないほど内実のある「仲間」だった。いま、同じほど内実のある仲間は、数人の友達のあいだでしか成立しえない。
 同様の変容は、社会のあらゆるレベルについて言える。家族は親と子の核家族になり、血縁の遠い親戚が「家族」であるケースは少なくなった。ムラ的な社会構造は、わずかに社宅に残るのみとなり、同じアパートの住人の顔さえ知らないことが当たり前になった。会社でも、終身雇用体制の崩壊が進んでいる。
 この変容は、密なコミュニケーションをとる範囲を縮小すると同時に、疎なコミュニケーションをとる範囲を拡大した。短く言い換えれば、ローカルなものが縮小し、グローバルなものが拡大した。さらに視野を広げるなら、いわゆるグローバリゼーションも、日本というローカルなものの縮小、世界というグローバルなものの拡大である。
 かつては、ローカルなもののなかでのコミュニケーションだけで完結していられた。現在では、ローカルなものは縮小し、グローバルなコミュニケーションが必要とされるようになった。これが私の言う、「コミュニケーションの変容」である。
 この変容に対して、どのような反動思想が生まれているのか。もっとも大きなレベルでは、原理主義と歴史改変主義がそれである。
 日本で原理主義といえば、小林よしのりに代表される国家原理主義である。ロマン主義が「農村」に神話的な生活をみたように、国家原理主義は「国家」に神話的なローカルをみる。歴史改変主義は、目立たないながらも「父性の復権」を唱える連中などがいる。前世紀に輸入された骨董品のグローバル・スタンダードに偽物の鑑定書を添えて、過去のローカルを神話化する。
 より小さなレベルでは、ストーカー行為がある。ストーカー行為は、グローバルなコミュニケーション・プロトコルを拒否しながらグローバルな存在とコミュニケートしようとするときに始まる。ストーカーとは、自分のローカルなコミュニケーション・プロトコルが至高の原理であり他にはなにも必要でないと信じる、自分原理主義者である。
 SFにおいては、変容する物質世界とロマン主義を、科学によって媒介し止揚した。やおいにおいては、変容するコミュニケーション世界と原理主義を、性によって媒介し止揚する。
 やおいの黄金パターンのひとつ、「強姦されてハッピーエンド」に、もっとも端的な形をみてとることができる。
 攻は、受を強姦することで、セックスというコミュニケーション・プロトコルを押しつける。受は、押しつけられたコミュニケーション・プロトコルを受け入れることで幸せになる。注目すべきは、物語の始まりには攻は受にとってグローバルなものだったのが、物語の終わりにおいては恋人というローカルなものになっている、ということだ。受はいったんはグローバルなコミュニケーションを押しつけられるものの、結局のところ、受はローカルなコミュニケーションのなかで完結するのである。これは、古いSFが、変容後の世界としての未来を称揚するのと似ている。グローバルなコミュニケーションは押しつけられるだけで、未来はすでに変容を終えた世界なのだ。
 世界の中心軸は、もはや物質的・経済的変容ではなく、コミュニケーション的変容である。SFが滅び、やおいが興るのは、歴史の必然といえよう。

 さて、以上の認識にたって、西在家香織派はどうすべきか。
 やおいを百合に移そうとしたときにまず困るのは、百合では強姦がありえない、ということだ。物理的には可能でも、メタファー的にあまりにも弱い。が、以上のような認識があれば、強姦でない黄金パターンを考えることができる。
 たとえば、セックスというコミュニケーション・プロトコルは、百合においてはプロトコルの態をなしていない。やおいではアナルセックスと決まっているが、百合ではそのような定型を見出すのは難しい。アナルセックスのような強力なイメージを持つ形態が存在しないからだ。強姦以前に、むりやり押しつけるものが存在しないのである。
 百合はこれを利用しなければならない。…というところまでは考えたものの、その先が見えない。うーむ。
 ただ、私が百合に惹かれる理由のかなりの部分は、セックスが「プロトコルの態をなしていない」というところにある。私は百合の、この自由さを愛してやまない。

9月23日

 私の好きな話に、N証券を強請ろうとしたヤクザの話がある。
 あるヤクザが、N証券のちょっとした醜聞のネタをつかんだ。彼はいかにも犯罪のプロらしく慎重に立ち回り、恐喝で検挙されないようにしながら金を引き出そうとしたが、相手もそう簡単には応じない。タイムリミットは、株主総会。彼はN証券の端株を持っており、株主総会で醜聞を投げつけるのを持ち札にしていた。
 株主総会を数日後に控えたある日、彼は逮捕された。容疑は、脅迫罪だった。
 彼はその半年前、公衆電話を使おうとして電話ボックスに並んだ。前の利用者は、ヤクザが並んだことに気がつかなかったのか、長電話を続けた。彼は自分の存在をアピールする必要を感じ、ヤクザ流にそれを実行した。すなわち、電話ボックスのドアを蹴飛ばし、怒鳴ってみせた。
 半年前のちょっとした自己アピールが、驚くべきタイミングで跳ね返ってきた、というわけだ。もちろん、N証券の関与を裏付ける証拠は、どこにもない。
 この事件は、ある新聞のほんの片隅に報じられたという。記事の内容はもちろん、「善良な市民に因縁をつけたヤクザを逮捕」だ。

 さて、今は盗聴法の時代である。
 善良な市民なら恐れるものはなにもない、と信じたいなら、別にそれでもかまわない。限度を超えないかぎりは、馬鹿には馬鹿をしでかしてもらうほうが助かる。
 ただ、そのおかげで利益を得るのが、どうしようもなく退屈でつまらない連中だと思うと、少々腹が立つ。もっと面白い連中に利益を回してほしいものだが、国家の犬――という呼び名がぴったりの連中がいまだに存在していると知るのは、楽しくも不愉快な発見である――が最高裁をしっかりと押さえている以上、なかなかそうもゆかないらしい。もどかしいことだ。

 L作戦。
 いますぐにWindowsの全ソースコードが公開されないと、私はオープンソース信者になるかもしれない。あと、このひねくれきったPnP ManagerとService Control Managerの関係を設計した責任者は、サボタージュの罪でシベリア送りだ。

9月22日

 サーバ復活。

9月20日

 プレスター・ジョン伝説+天空の城ラピュタ+キノの旅、というネタを思いついた。
 1975年、東方にあるという伝説の偉大な社会主義国を求めて東へ向かい、ついにソ連にたどりつく主人公。レーニン像を見上げて、「ソ連は本当にあったんだ!」と叫ぶのだ。
 だがそこは、「労働者と農民の楽園」ではなかった。農民を無気力にするコルホーズと政府調達、存在理由もなく存在しつづけ増殖しつづける党官僚組織、ナンセンスなまでに教条化したマルクス・レーニン主義の教説、工業製品の劣悪な品質、肉のない食事、ヤミ市場なしには一日も成り立たない経済体制、蔓延するアルコール中毒、「超過達成」と「トゥフタ(ごまかし仕事)」、そうしたすべてを主人公は痛烈に批判する。
 ちなみに続編では、主人公はチベットに向かい、共産中国の圧制を告発する(おそらく出版できない)。

9月19日

 L作戦メモ。
 HDDの型番を取得する方法が見つからない。ドライブのプロパティページのタイトルに表示しているからには、必ず取得できるはず…と思って苦闘すること4時間、ようやくIOCTL_STORAGE_QUERY_PROPERTYを発見した。ちなみにこの3日ばかり、さまざまな問題について似たような調査を続けている。きゅう。

 ATA-4の規格にコマンドキューイングを発見した。
 「ATAにはコマンドキューイングの機能はない」と書いていた某書(宇野俊夫著「ディスクアレイテクノロジ RAID」、エーアイ出版)は一体? もっとも、コマンドを順次受け取る機能はなさそうな気がするので、そういう意味ではキューイングとはいえないのかもしれない。

9月17日

 L作戦。
 スループット損失11%を達成。8%くらいまでは縮みそうな気配がする。予想では5%程度だったのに、意外に高い。前バージョンの20%強よりはるかにましとはいえ、うーむ。

9月13日

 少コミの水城せとなを立ち読みした。
 …「男性読者が女性不信に陥るようなギャルまんが」というと、TVアニメ版To Heart?

 L作戦は匍匐前進中。

9月11日

 「リトルプリンセス」はCVGSでもBleem!でも動かなかった。
 ………ああ、ジョニー、尾崎豊を歌ってくれないか。聞きたいんだ、尾崎が。(意味不明)

 L作戦。
 どう考えても、HDDのキャッシュをクリアするコマンドを使わないことには、インストールに4時間以上かかるような気が。でもATAの規格にはキャッシュをクリアするコマンドがない。きゅう。

9月8日

 一見すると自明なようでも、なかなか答えの出ない問題がある。たとえば、ファインマンさんシリーズのどれかに出てくる、逆スプリンクラー問題(勝手に命名)が印象深い。
 まず、S字型のパイプを考える。このパイプの真ん中に、文字面に垂直に穴を開け、まっすぐなパイプをつける。このとき、S字パイプには片面にのみ穴を開け、まっすぐなパイプは貫通させず先端をS字パイプ中にとどめておく。継ぎ目は水が漏れないよう、しっかりとふさぐ。
 この加工済みパイプの、まっすぐなパイプの端に、ホースをつないで水を流し込んでやる。すると、S字パイプの両端から水が吹き出て、まっすぐなパイプを軸に回転しようとするだろう。もし、まっすぐなパイプが自由に回転できるようにしてあれば、回転しながら水を吹き出し、スプリンクラーとして働くだろう。
 さて、この加工済みパイプ全体を、大きな水槽に沈めてやる。まっすぐなパイプの端にホースをつなぎ、そこから水を吸い出す。と、どうなるか。スプリンクラーのときと同じ向きに回ろうとするか、それとも逆か。
 そんな問題は簡単、と思われただろうか。が、この問題をめぐって、カルフォルニア工科大学物理学科の学生たちの意見は真っ二つに割れたのだ。
 では次の問題はどうか。
 無給の時間外労働(いわゆるサービス残業)を厳しく規制すると、景気は良くなるか、それとも悪くなるか。
1. 経営の苦しい中小企業の倒産が相次いで失業率が跳ね上がり、景気は悪くなる。
2. 若年労働者の余暇が増えて消費が回復し、景気は良くなる。
 もちろん、無給の時間外労働の規制は、政策としては論外に近い。理由は1の前半に書いてあるとおり、中小企業の倒産を招くからだ。自民党政権下ではこんな政策は、日米安保条約の破棄よりも難しいだろう。

 ところでいま、「サービス残業」と書いてみて、「無理心中」と同類の気持ちの悪い言葉だということに気がついた。こうした言葉と戦うことこそ、プチブルの階級的義務である。
 というわけで、「奴隷残業」という言葉を発明した。読者諸氏にもぜひこの言葉を広めていただきたい。

 L作戦。
 わずか4000行のラララ。

9月7日

 『小春日和情報』および『ギャル理論による「小春日和情報」』の通販を開始した。詳細はこちら

 L作戦。
 動いてるぜ… インストーラが。

9月6日

 タロカンが陥落した。
 スティンガーを手放してまでしがみついたのに落ちたとなると、マスード派の懐具合はかなり厳しいとみていいだろう。マスード派にとってタロカンは死活的な重要性のある都市なので、近いうちに奪回するだろうが、その後にどれだけの力が残っているか。
 来年の夏はおそらく、マザリシャリフ陥落以来の山場になるだろう。

 L作戦。
 インストーラの心臓部のコーディングはほぼ完了した。次はドライバ、その次がなにより頭の痛いGUIとなっている。
 OSのリバースエンジニアリングと書き換えの状況を見るかぎりでは、法的には真っ黒でも世の中的には通るらしい。というわけで、ブートローダ書き換え等を順番待ちタスクのスタックに積んだ。私は怠け者なので、資料を作ってスーツを着て企業に売り込みにゆくなど真っ平だが、そんな羽目に陥ったときには役に立つだろう。

9月5日

 そういえば、To Heartのあかりのファンというのは、いったいどのあたりに棲息しているのだろう。私の周囲には、あかりファンが一人もいない。うーむ。

9月4日

 本屋で、「リトル・プリンセス」(「マール王国~」の続編)のノベライズを見かけた。
 すると、世界の果てからの手紙が届いた。「リトル・プリンセス」はきっと百合だからやれ、と書いてあった。
 が、金がない。ううう。

 L作戦。
 ヘッド数の検出にやや苦戦している。そろそろ、日本で20番目くらいにHDDのシーク動作に詳しい人間になっているような気が。

9月3日

 電撃G'sマガジンのキャラ人気ランキングにおいて、あかりと芹香の抜きつ抜かれつのデッドヒートが繰り広げられていることを、読者諸氏はご存じだろうか。
 To Heartのキャラ人気順位がマルチ・あかり・芹香であることは、ナウシカを破った挑戦者が水野亜美であるのと同じくらいの常識だった。しかし先々号、電撃G'sマガジンのキャラ人気ランキングにおいて、この常識が覆された。芹香があかりを僅差で破ったのだ。
 今月のランキングでは、再びあかりが芹香の上にきている。それも得票率では二倍に近い差をつけた。もしかすると、あかりファンが動員をかけたのかもしれない。
 二人とも、あとたっぷり1年はランク内に残りつづけるだろう。今後とも目が離せない。

 L作戦。
 HalfDisk 0.1を動かそうとしたとき、インストーラを温泉旅館式に増築したので、設計がひどいことになっていた。それで現在、HalfDisk 0.2とベンチマークソフトの準備として、設計をまともに直している。
 わけもなくC++の機能を避けたのが諸悪の根源だった。なぜそんなことをしたのか、自分でも思い出せない。現在7割ほど直しおえた。ううう。

9月2日

 今日の結論:
・「マール王国の人形姫」で二次創作をやろうとしたら、エトワール×コルネットしかない
 私の頭の中にはすでに真のEDが描かれている。コルネットが王子様と結婚するのは同じだが、その娘はコルネットのことを「コルネットお母様」、エトワールのことを「エトワールお母様」と呼ぶのだ。

9月1日

 コミティアで「小春日和情報」の通販を申し込まれた皆様へ:
 発送が遅れていることをお詫びします。本を載せたアエロフロート機はすでにレニングラードを発ったとのことなので、月曜日には発送を完了できるものと思います。

 電撃G'sマガジンを読んだ。
 百合との情報もある「トリコロールクライシス」に、クソゲーの予感を見てしまうのは気のせいか。ドリキャスなので私には関係ないといえば関係ないが。
 「CANVAS」というエロゲーの紹介記事を読んでいたら、「身長が低いのに、陸上部ではハイジャンプの選手だという彼女」という一文に出くわした。これを見て、氷室冴子の「なぎさボーイ」の主人公を思い出したのは私だけではないはず――と断言できないのが少々辛い今日このごろ、読者諸氏はいかがお過ごしだろうか(意味不明)。

 

今月の標語:

「本当の権力は、目には見えないんだよ」


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