L作戦。
AAHDD 0.1.3リリース。
・バージョン番号が誤って表示されている問題を修正
・CD-ROMドライブに音楽CDを入れたまま起動した際に異常終了する問題を修正
・テスト失敗時の処理を修正
L作戦。
HalfDisk 0.2 for Windows 2000
beta 5.30リリース。
・アンインストール時に発生する問題を修正
今度こそ治ったはずだと信じたい今日このごろ。
HalfDisk 0.2に同梱のmakehgt
0.0.1を単独でリリース。
容量30GB以上のIBM製のHDDをお持ちで、Windows2000をインストールされているかたは、makehgtにてHalfDiskジオメトリ
ファイルを作成して、西在家香織派までお送りください。makehgtはシステムに損傷を与える恐れなしに実行できるアプリケーションです。
HalfDiskの知的所有権から得られた収益は、西在家香織派の資金源になり、百合の普及発展のために有効に利用されます。
L作戦。
アンインストール時にこけるバグが取れていない。ドライバの同期まわりが甘いせいだ。詰めなければ… きゅう。
懐かしのBigfoot(Quantumの5インチHDD)を、AAHDDにかける機会を得た。
4000rpm弱… 距離4MBのシークタイムが4ms超… コマンドレイテンシ500マイクロ秒超… この測定結果はバージョン0.1.3に同梱する予定。
コミケに当選した。
これでまた一歩A館に近づいた(嘘)。
L作戦。
HalfDisk 0.2 for Windows 2000
beta 5.28リリース。
・システム起動後に常に要再構築状態になっていた問題を修正
・レジストリの読み込みに関する潜在的な問題を修正
・アンインストール時に発生する問題を修正
眠い。きゅう。
L作戦。
beta 5.25はbeta 5.20をインストールしてアンインストールした後でないと、正常にインストールできない。また、システムを起動するたびに要再構築状態に陥る。明日beta
5.28をリリースする予定。
今日のソ連:
イワン・ロゴフスキーの「ソ連を敵にして生き残れますか」、1980年7月発行。
著者は「駐日ソ連人ジャーナリスト」と名乗っているが、これが嘘であることは、ソ連マニアにとっては自明のことだ。
第一に、ソ連のジャーナリストはすべて党の統制下にある。党の方針にそぐわないことは一文字も書かない。万一書けば、本が印刷される前に本国送還だろう。第二に、西側先進国でのソ連のプロパガンダは、「ソ連」という名前を出さない。「原水爆禁止」「非武装中立」などの中立的なお題目を先に立たせ、フロント組織の指導者も現地人を使う。在外ジャーナリストが、「ソ連」という名前を出した政治的な本を書くことなど、ありえない。
ほかにも、なんという通信社の社員か名乗っていない(ソ連にはフリーのジャーナリストはいない)、ソ連には英語を使う民族はないのに「ミスター・ヤマシタ」(25ページ)などと書く、など、証拠には事欠かない。ソ連人ジャーナリストのふりをしようという努力さえ、ほとんど感じられない。
というわけで、これは趣向物として読むのが正しい。駐日ソ連人ジャーナリストという設定からどんな技を繰り出してくるか、というわけだ。たとえば、自国の政治や制度を夜郎自大に褒めちぎって誉め殺す、というような技が考えられる。私が期待したのはこういう技だった。
が、なんの技も出てこない。スポーツ新聞で読んで得たような政治問題の知識を、たらたらと書き連ねてあるだけだ。
また、文章に品性がない。内容がどんなにくだらなくても、品性のある文章は、読んでいて苦痛でない。この著者の文章ときたら、スポーツ新聞以外に活字を読まない中年オヤジが飲み屋でクダを巻いているかのようだ。読んでいると眩暈がする――あまりに低い品性を見たせいで、高所恐怖症になったのかもしれない。
そしてなにより、著者はなにが言いたいのか、さっぱりわからない。こういう問題がある、こういう見方がある、なるほど、では著者はどう思っているのか? さっぱりわからない。
どんなことであれ、断言できることがあるのは幸せだ。私はこの本のおかげで、そんな幸せをひとつ得た。
「この本の著者は糞の糞馬鹿であり、この本にはなんの価値もない」
私の全存在にかけて、断言できる。なんという幸せだろうか。まったく欲しくない種類の幸せだが。
L作戦。
HalfDisk 0.2 for Windows 2000
beta 5.25リリース。
・InitHfdk.exeがUserグループでは異常終了する問題を修正
・再構築を一時停止する機能を付与
これで一応、額面どおりに機能するようになった。残る課題は、
・NTFS対応
・ヘルプの整備
となる。どちらも一筋縄ではいかない。
AAHDD 0.1.2リリース。
・インストール時の潜在的な不具合を修正
「花右京メイド隊」の「花右京」がいまだに「花京院」に見えるのは私だけではないはずだ。
今日のソ連:
ダスコ・ドーダーの「影と噂」、1987年9月発行。
著者は、かの有名な「ノヴォシビルスク報告」をリークされたジャーナリストである。また、チェルネンコ書記長との単独インタビューも行った。それだけに、並みの特派員物とは一線を画した内容になっている。
ブレジネフの死からゴルバチョフの書記長就任に至るまでの、クレムリンの権力闘争を描いている。アンドロポフとチェルネンコに関する記述が多いのが、この本のもっとも嬉しいところだ。アンドロポフに関しては、「結局は兵営的社会主義者」という程度の評価しか見かけないし、チェルネンコに関しては「小役人」以上の情報を見かけたことがなかった。
アンドロポフについては、ゴルバチョフ回想録に印象的なくだりがある。
ゴルバチョフが反飲酒闘争の一環としてウォッカを値上げしたのとは対照的に、アンドロポフは、ウォッカを値下げした。アル中が深刻な社会問題になっているのになぜ、と問うゴルバチョフに、アンドロポフは答えた、「こういうことも必要なんだ。君にもそのうちわかる」と。
アンドロポフがもし10年長生きしていたら、ゴルバチョフよりもよい書記長になったにちがいない。だが、ゴルバチョフよりもよいソ連大統領になったかどうかはわからない。強いプラグマティストはよい指導者だが、よい未来をもたらすとは限らない。
また、アンドロポフの最高会議・党中央委総会欠席のくだりは興味深い。262ページから引用する。
「すべての新聞と雑誌に発表されたアンドロポフの演説のテキストの最初の部分で彼が出席できなくて残念だといっているのに、十人に一人の割合でしか、アンドロポフが最高会議の開会式と中央委員会総会に出席していない事実に気がついていないのである。」
プロパガンダのお手本のような話である。
覆い隠すべき不都合な事実は、公開しなければならない。それも、全国民が必ず読める形でだ。読んだ人間は、これが隠されているとは夢にも思わないので、話題にしない。
が、書記長の演説文につきあうのは、真面目な党員くらいのものだ。他のメディアで完全な黙殺を決め込めば、大半の人が見逃す。
「見えるもの」と「注目すべきもの」は異なる。この違いを最大限に活用することが、プロパガンダの極意なのかもしれない。
L作戦。
インストーラのバッファオーバーランの個所を発見した。コメントはよく読もう。
HalfDisk beta 5.20は、User権限ではInitHfdkがコケる。うーむ。
Xaイデオロギーについて詳細に検討してみたところ、重要な下部構造と些細な上部構造の組み合わせであることがわかった。
イデオロギーと呼べるのは些細な上部構造の部分であり、これは下部構造からかなり容易に導出されるものである。このため、「Xaイデオロギー」という表現は取り下げ、「下部構造a」と呼ぶことにした。
この変更は、下部構造aが重要でないということを意味しない。依然として重要、きわめて重要だ。もし百合が下部構造aの上に成立しうるなら、もはや百合はヘーゲル的に逆立ちした存在ではなくなる。
考えてみれば、百合のイデオロギー問題は、下部構造を得ることなしには解決できない。イデオロギーは下部構造の要請を反映したものにすぎない。下部構造のないイデオロギーは本体のない影のようなものだ。存在すべき理由もなく、存在できる可能性もない。
しかし、下部構造aは重要ではあるが、それを読者諸氏に知らせることにはあまり意味がない。
イデオロギーは、下部構造を意識することなしに運用できる。下部構造についてなにひとつ意識していなくても、下部構造の要請を適切に反映したイデオロギーを見れば、その適切さは火を見るように明らかであると感じられる。逆に、下部構造について縷々説いても、適切なイデオロギーが見出せるわけではない。なにか途方もない勘違いがあっても、それをただちに知ることができない。
香織派が提供すべきはイデオロギーであり、下部構造に関するややナンセンスな議論ではない。よって、香織派の機密コードを改正する必要は認められない。下部構造aは以後も香織派の機密とさせていただく。あしからず。
L作戦。
AAHDD 0.1.1リリース。
変更点:
・GUI化
・シークタイム測定の精度を向上
やおい・ボーイズラブの「強姦されてハッピーエンド」イデオロギーに匹敵する百合のイデオロギーを開発すること――これが現在の香織派の主な活動のひとつであることは、読者諸氏もご存じのことと思う。香織派が求めてやまないこのイデオロギーを、Xイデオロギーと呼ぶことにした。
私は、ついさきほど、Xイデオロギーの有力候補を思いついた。
が、あいにくこのイデオロギーは、香織派の機密コードに抵触する。だから仮にXaイデオロギーと呼ぶことにしよう。
もしXaイデオロギーが、真にXイデオロギーたりうる可能性を秘めているのなら、Xaイデオロギーを非公開のままにとどめることは、香織派の目的に反する。Xaイデオロギーがどれくらいの可能性を秘めているかを検討し、もしそれが十分なものなら、機密コードを改正して公表することにしたい。
ナルチシズムと百合で思い出した――田村みゆき。
学習指定物件を、メンバーの面から見直すことを思いついた。
まず、大塚ぽてとと西村有未が入っていないのが気になる。二人とも、よいものは商業誌にはないので、入手性が厳しい。
学指・参指のほかにもう一つカテゴリーを設けて、入手困難なよい物件をカバーしたい。
L作戦。
HalfDisk 0.2 for Windows 2000
beta 5.20、(丹下桜@CCさくらの声で)release!
容量30GB以上のIBM製のHDDをお持ちで、Windows2000をインストールされているかたは、makehgtにてHalfDiskジオメトリ
ファイルを作成して、西在家香織派までお送りください。
HalfDiskの知的所有権から得られた収益は、西在家香織派の資金源になり、百合の普及発展のために有効に利用されます。
ナルチシズムを百合に導入する問題については、感情移入システムに第二層の自己同一化を用いるかぎり、現状を大きく変更しうる可能性はない、との結論が出た。
L作戦。
本体は問題ないが、インストーラがこける。
Q. Debugビルドでは問題ないのに、Releaseビルドでは原因不明でさりげなく失敗します。#ifdefは確かめました。Releaseビルドの最適化は切っています。どんな原因が考えられますか?
A.
おそらく、どこかでバッファオーバーランしています。Debugビルドでは、バッファオーバーランしても平気で動くことがあります。もう一度よく確かめてみましょう。
でも問題のコードは、MSの丸写しのような気が。仕方ないのでシンボルつきでリリースすることに大決定した。
信頼すべき情報筋によれば、女同士物のエロゲーとしてかねて話題の「サフィズムの舷窓」が発売されたとのことである。
指定物件として評価したいが、金がない。うーむ。
世界生命体方面の情報によれば、「気象精霊記」は百合的に重要ではないか、とのことである。
「強姦されてハッピーエンド」イデオロギーの研究のために、刑部真芯の「禁断―秘密の花園―」を読んだ。中学生を想定読者として、男女物でありながら「強姦されてハッピーエンド」イデオロギーを採用した意欲作である。
萌子(主人公)の背丈が、相手の男の腰までしかないように描いてある。こういう極端な身長のデフォルメは、ショタではよく見るが、男女物ではあまり見ない。
身長差に端的に表現されているように、権力闘争を避けてナルチシズムに浸ろう、という姿勢で一貫しており、その一貫性は気持ちいい。
感情移入システム的には、第二層の自己同一化…とは言えない。「強姦されてハッピーエンド」=「任侠道」、「萌子」=「高倉健」… あまり認めたくないが、これは第一層だ。
ということは、現在の少コミ読者にとっての「強姦されてハッピーエンド」は、サラリーマンにとっての任侠道と同レベルのファンタジーなのだ。現代日本の女子中学生の安全保障は、おおむね満足すべき状態にあるのだろう。
「強姦されてハッピーエンド」イデオロギーの観点からは、第二層の自己同一化という回り道をやめることで、ナルチシズムを持ち込んだ点が新しい。少コミ・イデオロギーの観点からは、「強姦されてハッピーエンド」の受動性を持ち込んだ点が新しい。21世紀の百合のイデオロギーを検討する上で、ぜひ参考にすべきイデオロギー的達成といえるだろう。
以下、現在までに気づいた論点を挙げる。
・百合にナルチシズムを持ち込む方法について
いつまでも一卵性双生児ではあまりにも芸がない、と常々思っているのは私だけではないはずだ。
・男性向けオタク文化とナルチシズムの形式
なにか、見逃すべからざるヒントが隠れていそうな気がする。
ソ連本を読みすぎたせいか、最近、「ツーリズム」が「ツァーリズム」に、「コラムニスト」が「コムニスト」に見える。
L作戦。
コードを凍結した。今週末にリリースの予定。
今日のソ連:
シェワルナゼの「希望」、1991年10月発行。
外相を辞任した直後に書かれた本である。外相時代を中心として、自分のとった方針を語り、「新思考」を擁護している。
が、ありていにいって、なにがなんだかわからない本だった。
シェワルナゼは、グルジア人指導者としては、スターリンに次ぐ出世を遂げた。レーガンを懐柔した手際といい、ゴルバチョフから離れた決断といい、政治家として完璧に近い能力を持っている。20世紀の有能な政治家ベスト20には確実に入るだろう。
その有能なシェワルナゼが、なぜこんな、なかば理解不能な本を書くのだろう。有能な政治家というのは、あまりにも有能すぎて、凡人には理解できない言葉を使うのだろうか。そうではないはずだと信じたい。原稿を書いたライターが馬鹿なせいだと思いたい。有能であるほど一般性から遠ざかるのだとしたら、政治とはどんな技術だろうか。
この本に使われている言葉はみな、マルクス・レーニン主義の教科書のようなやりかたで、空疎で無内容なものに仕立て上げられている。重要な表現内容を無意味な文章に押し込める方法のお手本としか思えない。
それでも、見るべき一節くらいはあるものだ。以下に引用する。
(1991年8月の破局に荷担して、のちに自殺した、セルゲイ・アフロメーエフ元帥を評して)
義務感の強い兵士。彼を見れば、それはすぐに分かる。彼が義務に忠実なあまり、名誉を棒にふることができるのに、人びとはときに意外な感を抱いた。彼自身も参加した決定が激しい批判にさらされても、彼は沈黙を守った。また、ソ連軍のアフガニスタン侵攻の問題についても、自分は侵攻に反対した、と言えたのに――たとえただ延期を主張しただけだったにせよ――彼は沈黙を守った。
よく考えてみると、次のような言葉も、彼という人物をよく表している。
「父は、集団化の時代に死んだ。しかし、私はこのことでソ連を恨んではいない。集団化は歴史的必然だったのだから」
道徳的感情の上位に置かれた義務感は、人に恐怖をおぼえさせる。もし、「歴史的必然」という名のもとに、自分の父親の死とともに何千もの人の死を、義務感として認めるようなことがあるとしたら……。(319~320ページ)
L作戦。
最後の大物を掃討した。もうザコが見つかっても無視してコードを凍結する。
上野千鶴子の「女という快楽」を読んでいたら、記憶力中心の教育は創造性を減退させる、という学説について触れた部分が出てきた。
人間の大半は、くだらない能力しか持てない。(この「くだらない」というのは、その人間の暮らす社会で目立つようなものではない、という意味である。視力を要求する社会では視力が発達し、論述能力を要求する社会では論述能力が発達する。このため、もとの社会ではくだらない能力が、別の社会に行けば驚くべき能力になることもある)
人間の大半がくだらない能力しか持てないという事実を受け入れ、自分の子がガウスやヒルベルトの創造性を持って生まれている可能性はない、と考えるとしよう。くだらない創造性と、くだらない記憶力の、どちらを取るべきか。
経済的に報われるのは、おそらく、くだらない記憶力のほうだ。
創造性は、経済的に報われにくい。創造されたものを評価し利用する能力に比べれば、創造性そのものなど、ゴミに等しい。創造されたものを評価し利用する能力は、組織や社会のなかで立ち回る能力とほぼイコールである。組織や社会のなかで上手に立ち回るには――記憶力、というわけだ。
ルーマニアの諜報組織の元幹部で、1978年に西側へ亡命した、イオン・M・パチェパなる人物が、「赤い王朝」という著書のなかで、こう書いている。
「小学校に入学した頃、父親は私に毎日そっくり一ページずつ電話帳を覚えさせた。私がいやがるたびに父は、「将来いちばん役に立つのは記憶力だよ」と言う。私の発見した、父の要求を満たす唯一の方法は、各ページを写真のような形で覚えこむことだった。やがて、いつでも必要なときに必要なページを目に浮かべられるようになった。」(22ページ)
諜報組織の幹部であるパチェパが、この能力をどれほど役立てたかは言うまでもない。
最後に、私自身について。
私は、くだらない創造性は売るほど持っているが、記憶力はくだらないものでも買いたいほど足りない。これから先、経済的に人並み以上になれる見込みはまずないだろう。では、くだらない創造性と引き換えにパチェパの記憶力を手に入れたほうがよかったか、と問われれば、否である。
たとえおもちゃのような創造性でも、どんな実物のおもちゃより、はるかに楽しく、いつまでも飽きずに遊べる。これより面白いものが、多少の金で手に入るという証拠を、私はまだ見たことがない。
今日のマーフィーの法則:
「最後のバグがもっとも手強い」
今日の金言:
「潰れたバグだけがよいバグだ」
今月号のアワーズガールの、おがきちかの読み切りが百合テイストである。
また、アフタヌーンのシーズン増刊、士貴智志の「みんみんミント」は、今後の展開が注目される。
百合の新しいイデオロギーを探す試みに、挫折を感じつつある。
もともと、「強姦されてハッピーエンド」に匹敵するほど強力なイデオロギーが百合にも存在しうる、という保証はどこにもない。勇気ある、しかし失敗した幾百万人の思想家たちと同様に、私も存在しないものを追い求めているのかもしれない。角の三等分法を探したギリシャ人は、それが存在しないかもしれないとは、しかもそれが数学的に証明できるなどとは、思いもよらなかっただろう。
もし遠い将来、人工知能が人間の知性の域に達したら、私の探しているような百合の新しいイデオロギーが存在しうるかどうかを、計算によって決定できるようになるだろう。
もし未来を知ることができるものなら、この計算結果を教えてほしい。存在しうるかどうかさえわかれば、それで十分だ。存在しうるなら探しつづけるし、存在しえないならそれなりの戦略がある。
眠い。きゅう。
L作戦。
明日こそコードを凍結する。
熟慮の末、以下の物件を指定物件候補とすることに決めた。
・藤村真理「降っても晴れても」(参)
「いったい、いつ頃から目が覚め始めたのかとよく訊ねられる。これは難しい質問だ。苦痛なほどだ。」
――アレクサンドル・ヤコブレフ「歴史の幻影」308ページより
「歴史の幻影」を読んだ。
ゴルバチョフが書記長になり、アレクサンドル・ヤコブレフがカナダに島流しになったのはなぜか、わかったような気がする。ゴルバチョフがその政権末期に、救いようのない党を救おうとしてすべてを失ったのはなぜなのかも。
おそらく、ヤコブレフ自身はまったく意識していないだろう。しかしそれは避けられなかった。ゴルバチョフは弱かった、党を捨てて国を救う意志を持てなかったと、批判するのはたやすい。だが、ゴルバチョフはそのように弱かったからこそ書記長になることができたし、ペレストロイカをあそこまで進展させることができた。
もしゴルバチョフでない誰かが書記長になっていたとしても、その誰かもまた、ゴルバチョフ的な弱さを持っていただろう。完全なペテン師になれるのは、弱い人間だけだ。自分自身をも欺き裏切らなければ、保守派の強い腕を騙し抜き、気づいたときにはもう手遅れ、の状態まで持ってゆくことはできなかった。
ペレストロイカの大きな部分は歴史の必然だったという感触を、この本を読んで、ますます確かにした。すると問題は、小さな部分である。
大きな部分はしばしば歴史に支配されているが、歴史はしばしば小さな部分に支配されている。人間はどういうわけか、後者をあまり見たがらない。自分の運命がサイコロに支配されているとは考えたくないのだろう。鐙の発明とその時期は、「小さな部分」ではないだろうか?
いまのところ目につく問題を挙げると、
・反飲酒闘争の破滅
・保守派の人事支配
・500日計画の現実性
・1991年8月の破局
あたりか。
リガチョフの罪状は明らかだ。保守派にとっても反飲酒闘争の失点は手痛かった。
反飲酒闘争の破滅は誰の利益にもならなかったが、ペレストロイカの運命にとって決定的だった可能性がある。レーニンがもう10年生きていたら、という仮定を軽んじることができないのと同様、反飲酒闘争が破滅していなければ、という仮定を軽んじることはできない。
ゴルバチョフは保守派の人事支配に対抗すべきだった、とヤコブレフはいう。ペレストロイカのあいだ、リガチョフ人脈の保守派の人事支配が続いたために、1991年の党中央委は救いようのない連中で占められていた。おそらくゴルバチョフは、二正面作戦を避けたのだろう。各個撃破はボリシェヴィキの金科玉条である。が、ペレストロイカは二正面作戦を要求したのかもしれない。二正面作戦の可能性は、慎重に検討されるべきだろう。
500日計画は、「プラハの春」に似ている。これを退けた当事者以外は誰もが、これこそ正しい道だったのではないか、と考えている。当時の外国の情報筋では、破壊的なインフレを避けられないとして評判が芳しくないが、結果的にはまだましな道ではあった。しかし、「ましな道」を選んだ世界では、それがましな道であることは誰にもわからない。
1990年の冬からゴルバチョフがはっきり右旋回したのは、1991年8月の破局を避けるためだった。当時の外国の情報筋はたいてい、軍事クーデターは自殺行為だから可能性は低い、としている。ヤコブレフも、軍事クーデターではなく、合法性の形式を整えての行動を予期していた。ヤコブレフがカナダに島流しになったのは偶然ではない。自殺行為だから連中もそんなことはやらない、だから心配ない、では為政者はつとまらない。
とはいえ、自殺行為だったことには議論の余地はない。ヤコブレフのいう、第29回党大会から攻勢を発起するシナリオが、保守派内部でどう評価されていたのか、よく検討してみる必要があるだろう。そのためにもリガチョフなどの保守派の著書を読みたいが、翻訳されていないのか、見つからない。
指定物件候補となるべき物件を思い出した。
・有吉京子「アプローズ」(学?)
これでやっと学習指定物件候補が10件出た。
黒歴史に属する作品をたくさん書いていると、ときどき、過去から突き刺されたように思えることがある。
自分の黒歴史とはなんの因果関係もないとはわかっていても、「××の×××」(黒歴史のため伏字)などと聞くと、こう、ぐさっと。
あまり黒歴史を書きすぎると、地雷原で生活することになるのだろう。お茶会の諸氏も心されたい。心したからといって、黒歴史を書かずにすませられるわけでもないのだが。人間は書かざるをえないものしか書かないのだ。
L作戦。
Windows2000のWindows Installerは、Custom Actionで呼び出したDLLの戻り値を正常に処理していないような気がする。少なくとも、私の探したかぎりでは、Type
17やType 1のCustom Actionを使った.msiファイルは存在しない。
L作戦。
モグラ叩きのように叩いても叩いてもまだ問題がわいてくる。
タスクトレイのアイコンはなぜ汚い? LoadIconじゃあスモールアイコンをロードしてくれないからさ。なぜフォーマッタのReleaseビルドは3時間のフォーマットの果てに落ちる? VC++がヘボだからさ。
L作戦。
明日中にbeta 1の全コードを凍結する予定。
美しいアイコンを作るのが難しい。MSはどうやってあの美しいアイコンを作っているのだろう。Visual
Studioのアイコンエディタでは不可能に思える。
指定物件候補となるべき物件を思い出した。
・近藤るるる「ハイパーあんな」(参?)
また、指定物件候補の格付けを変更する。
・CLAMP「不思議の国の美幸ちゃん」(参?→参)
理由:新装版による入手性の向上のため
「一般党員の大多数は人間的にも誠実で、単に信仰に裏切られたに過ぎない。信じて入党し、自ら信ずる理想を人にも説いた。社会主義の道を歩めば国民の生活を向上できると思っていた。理想のために禁欲的な生活を送って、自己犠牲を払った者もいた。そういう人間はたいてい党から除名され、多くは投獄された。正義を守り、理想を貫こうとした人間はそういう目に遭ってきたのだ。
試練の時代を経てきた古い世代の党員たちのことはよく理解できる。わが身に引き写してみてもそれは明らかだ。もしも私があらゆる人格を圧倒してしまう教条的な幻覚から目覚めずにいたならば、自分が今、どれほど不幸だったか想像がつく。私が今でもスターリン思想を実現しうると信じている人間だったとしたらどうだろう。自分の一生が無駄に終わったことを嘆いていたに違いない。」
――アレクサンドル・ヤコブレフ「歴史の幻影」217ページより
L作戦。
昔、volatile型修飾子のことを知ったとき、こんなものを一生のうちに使うことはあるまいと思っていたら、使うことになった。人生は予断を許さない。
L作戦。
やっと問題が解決した。きゅう。睡眠デバッグ法を使ったのは久しぶりだ。
L作戦。
やべえ… なぜだかマトモに動かねえ… 今週末どころか、5月中のリリースが危なくなってきた。
某BOOK OFFが単行本350円均一になっていたので、アレクサンドル・ヤコブレフの自伝(というより回想録だった)を買った。
いくらBOOK OFFでも、こんなに大雑把な大安売りをやるというのは、危険な匂いがする。手遅れにならないうちに、10万円くらい握りしめてソ連本狩りの旅に出なければ。それにはまずL作戦を… きゅう。
某BOOK OFFにて、アレクサンドル・ヤコブレフの自伝を発見したが、高くて買えない。いま手に入れておかないと、もう一生チャンスがないかもしれないというのに… きゅう。