中里一日記

[先月の日記] [去年の日記]

2001年12月

12月31日

 私は、百合と無関係なところでも、いろいろと非公然活動を行っている。
 今日は読者諸氏にお年玉ということで、その一端をご覧に入れよう。

http://yasai.2ch.net/gal/kako/979/979405770.html
ルナ・ウィング ~時を越えた聖戦~

 このスレを立てたのは、私だ。

 言い忘れていたが、TVアニメの「ココロ図書館」は黒歴史である。
 まんがのほうまで黒歴史にならないことを祈る。もしなったら、黒田洋介にアナテマだ。

12月30日

 香織派は冬コミで、勝利を得ることはできなかったが、敗北を回避した。関係諸氏の努力に厚く感謝する。

 新刊と再版ができたので、通販を可及的速やかに再開する予定。

12月29日

 もし仮に、女顔がコンプレックスな性別:受がボーイズラブ界から根絶されたら、世界はもっとマシなところになるだろう。
 なお、女顔がコンプレックスな攻は可、いや推奨する。

12月28日

 「小春日和情報」「ギャル理論による『小春日和情報』」「小春日和計画」「旧世界秩序」の再版を終えた。
 本を詰めた段ボール箱のあまりの重さに眩暈がしながら計算したところ、スペースに運び込む荷物の総重量は50kgに及ぶことがわかった。帰りは宅急便だ。

12月27日

 「ナジカ電撃作戦」の最終回を見た。
 今ひとつすっきりしない終わり方だった。百合的には、評価が難しいが、とりあえず指定物件には足りない。

12月26日

 アトランティス&ライオン・キング:
庵野「治虫よ、奴はパクッてるぜ」
手塚「パクッたらいい。それで売れると思うなら、迷わずそうすべきだ」

12月25日

 TV番組でワハン回廊を見た。嘘ではない、本当の話だ。
 ソ連軍基地跡に転がっていた、魚の缶詰の空き缶が印象深い。ソ連ときて魚とは、なかなかの通だ。
 (魚はコストパフォーマンスに優れたタンパク源であるため、ソ連は魚肉の生産に力を入れていたが、国民には魚はさっぱり人気がなかった)

12月24日

 指名手配中のベストセラー・ボーイズラブ小説(全36冊)が、とりあえず8冊まで捕まった。
 ほんの一部とはいえ資料を揃えてみると、もはや分析するまでもないという気がしてきた。どんな分析をしても、結論は最初から見えている。「アホアホはシリアスよりも強い」、ただそれだけだ。うーむ。

12月23日

 山田南平の「紅茶王子」の14・15巻を読んだ。
 ………15巻の…表紙とか…巻末描きおろしとか……百合テイストというより………何か変なものでも食べたのだろうか。とはいえ、これはこれで楽しかったのでいいとしよう。

 14巻の巻末おまけページによると、最初の構想では、ペコーと菊花は同一キャラだったという。
 これを見て私は、「強姦されてハッピーエンド」イデオロギーの理解へとつながるヒントがここに隠されていると直感した。が、どういうヒントなのかは、いまだにわからない。うーむ。

12月22日

 ペトログラード・ソヴィエトからの百合物件情報を受けて、TVアニメの「エクセルサーガ」の第26話を見た。ちなみに第1~25話は見ていない。
 百合とかいう問題ではないような気がする。没。

 聞くところでは、世には「テキストサイト」なるものがあり、アクセスカウンタを回してもらうことを目的としているらしい。また、メールその他を歓迎しない、という傾向があるらしい。
 そういうサイトを作りたければ、難しいことはひとつもない。
1. エロCGを日々描いて載せる
2. メールをフィルタリングして、日本語以外は読まずに捨てる(エロCGを描いていると、糞外人が糞メールをよこす)
 たったこれだけである。3年も続ければ、毎月10万アクセスを叩き出し、年に2通とメールがこないサイトの出来上がりだ。もちろん、エロCGが下手だとカウンタの回りが悪いので、それなりに努力する必要がある。しかし努力の甲斐はあるはずだ。文章ごときでは、上手なエロCGには絶対に太刀打ちできない。
 妥当な目的と明確な目標を定め、それに適した戦略と戦術を選ぶ。それができていないサイトは、すべて気持ち悪い。

12月21日

 カルチャーセンターの文章講座には、ほぼ必ず、「なにを書けばいいんでしょうか」と講師に尋ねる受講者がいるらしい。
 よいものを書きたい受講者には、「人の書いたことを真似して書け」というのが、もっとも堅実な答だろう。これなら、あまりひどいことは書かずにすむ。善を求めるなら、まず最悪を避けねばならない。突然変異のほとんどが種の存続にとって有害無益であるように、独創的な考えのほとんどは、本人や周囲の人間にとって有害無益なものだ。
 文章で小遣いを稼ぎたい受講者には、「負け犬をなぐさめ、世の中を悪くすることを書け」と答えればいい。オサマ・ビン・ラディンを狂信的に支持するユダヤ陰謀説の本を、まともな日本語とまともな構成で書ければ、5万部は堅い。ただし、もし本屋に置いてもらえれば、の話だが。現実にはもっと微妙な線を狙う必要がある。
 もちろん、こんな答を真に受けて書き始めるような馬鹿には、なにひとつできない。本一冊を書き上げられるような根性の持ち主は、この答を聞いた瞬間に、なにも書く気がしなくなるだろう。かくて世はこともなし、である。
 問題は、「なにを書けばいいんでしょうか」と尋ねようなどとは夢にも思わないような人間だ。質問してくれなければ、教えようがないではないか。
 この、世にも救われない人々は、あらゆる最悪を少しも恐れず、いまもこうしてネット日記などを書きつづけている。

12月20日

 全文検索ヒットで刑部真芯が大人気、というわけで、「禁断 ~あの夏の日の楽園~」を読んだ。

「なーんで萌ちゃんスクール水着なの」
「気付かなかった… 買いに行きゃよかったな」
「ウソつけ てめーのシュミだろ」

 ……花ゆめ巻末のセリフあてはめコーナー?

12月19日

 田代まさしの事件を聞いて、私はすぐに、リチャード・ニクソンのことを思い出した。
 ウォーターゲート事件は、歩くルサンチマンだったニクソンにふさわしい終わりとも見える。しかしアメリカ大統領、それも戦後もっとも有能な大統領のルサンチマンが、それほど単純なわけがない。ニクソンを破滅させた力は、ルサンチマンなどではなく、もっと遠いところからやってきたはずだ。
 というわけで、ニクソンが引退後に書いた本、「指導者とは」を読んだ。361ページから引用する。

 自己の処理する問題に心底から没頭し、それが「面白い」かどうかなど無関係という状態になれないような人は、指導者になるべきではないし、またたとえ指導者になっても失敗に終わるか社会に害を流すのが関の山だろう。

 ニクソンは、「大統領って面白いでしょう」と訊かれるのがもっとも嫌だったという。
 もし田代まさしに、「盗撮は面白かったですか?」と尋ねても、おそらく彼は答を見つけられないだろう。もしニクソンに、「盗聴は面白かったですか?」と尋ねても同じだろう。
 己の価値観と目標を信じはしても、それを実現するための力を振り絞れる人は少ない。信じることと、決意し行動することのあいだには、理性では埋められない深い谷がある。
 文革を指導する毛沢東、党中央委で権謀術数を操るレーニン、盗聴するニクソン、彼らはみな、盗撮する田代まさしを動かしたのと同じ力に動かされていたはずだ。
 もちろん、私を動かしているのも、同じ力である。

 「指導者とは」から、引用をもうひとつ。14ページ。

 チャーチルは少年のころ、友達と人生の意義を議論していて、人間はすべて虫ケラだという結論に達したことがある。だが、そこはさすがにチャーチルで、彼はこう言った。
 「僕たちは、みんな虫だ。しかし、僕だけは……蛍だと思うんだ」

12月18日

 北米でのXboxの売れ行きは、ゲームキューブを凌いでいるという。とりあえず3DOくらいにはなれたらしい。ジャガー(ゲームキューブ)に負けるようでは本当におしまいだ。
 しかしPS2と同価格帯でぶつかって、どこにどう勝算があるのか、いまだにまったく見えない。

 エロゲーで思い出したが、世界市場のことを考えると、ビジュアルノベルというのは長期的にはいい戦略ではないような気がする。もし「月姫」を英訳するとしたら、いったい何本売れれば元が取れるのか。

12月17日

 冬コミ新刊「歴史のくずかご」の表紙刷り見本が届いた。かなり難しい注文をつけたので、「こんなんできました」と送ってきてくれたらしい。
 私の狙いどおりに仕上がっている。これなら300部も容易に完売すると確信した。グッジョブ緑葉社!

 ベストセラー・ボーイズラブ小説を揃えるには、予想以上の費用がかかることがわかった。
 いくつか古本屋を回ったが、現在探索中の36冊のうちまだ2冊しか入手できていない。どうやら古本での入手性を高く見積もりすぎていた。この様子だと、かなりの割合で新本を買わざるをえない。うーむ。

12月15日

 今日のソ連:
 レオニード・アバルキンの「失われたチャンス」、底本は1991年7月発行。
 アバルキンは、1989年から1年半、ルイシコフ政府の副首相を務めた経済学者である。ルイシコフ政府は、ソ連共産党に残されていた最後のチャンスだった。このチャンスは、ルイシコフが物価改訂案(大幅な値上げ)を、実行前に公表したことによって失われた。値上げが近いと知った人々は、当然ながら有り金をはたいて店頭の品物をすべて買い占めた。ただでさえ傾いていたソ連経済は、この日を境にして、急勾配を転げ落ちてゆく。
 物価統制・抑圧インフレ下での値上げの予告――経済のわかる人間なら誰もが大愚行の太鼓判を押すこの暴挙にルイシコフ政府が至った理由は、「このように大きな苦痛を伴う政策には、国民の同意を求める必要がある」だった。ソ連共産党の最後にして最良の人々に、良心があったことだけは認めるべきだろう。だがこの種の良心は地獄への特急券である。
 著者は経済学者なので、ルイシコフ政府の誤りを弁護することにはほとんどページを費やしていない。ただそれが良心にもとづく決断だったことだけを示している。
 この本で興味深い点は、2つある。第一は、シャターリンの五百日計画への批判だ。
 シャターリンの五百日計画は、まるで「プラハの春」のように惜しまれ神話化されている。しかしこの計画が、反党勢力による政治的策動としての面を持っていたことも明らかだ。また、実行に伴う苦痛や困難の調整よりも、調子のいい見せ掛けを重視したものであったことも確かだ。著者は、シャターリンの五百日計画のこのような面を、克明に描き出している。
 興味深い点の第二は、「議会を飛び越して直接国民からの支持を得て行動する」という言葉が、再三出てくることだ。この本の底本は、1991年7月に発行された。アバルキンが8月の破局にどの程度関与していたかはわからないが、このような言葉が飛び出すような素地が、すでに1990年には党内に生じていたことが窺える。
 「国民からの支持を得て行動する」。現在の目で見ると、1990年の党がよくもまあこれだけ自信過剰に陥ることができたものだと、その精神力に感動を禁じえない。例のボリシェヴィキ流の厚かましい言葉遣いで、「支持を得る」=「大規模な抵抗運動を組織させない」と解釈しても、なお感動的だ。党の精神力がどれほど現実から乖離していたかは、1991年8月に明らかになった。
 党内部の人間の手になる本は、ほとんど日本語に翻訳されていない。この本はその数少ない一冊である。ソ連マニアならぜひ手に入れておきたい。

12月14日

 ボーイズラブの隊列を乱すべく、準備を開始した。
 来年の夏コミで、ボーイズラブについての社会学的なアプローチの評論本「強姦されてハッピーエンド」(仮題)を頒布することを目標とする。
 そのために、2001年7月~12月の半年間にベストセラーリスト(日販調べ)に入ったボーイズラブ小説(ノベルス・文庫)すべてを調査し、データベースを作る。このデータベースから、ベストセラー順位と相関関係のある要素を抽出する。
 2001年7月から現在までのベストセラー・ボーイズラブ小説、およびそれと比較対照されるべき同日発売の作品のリストを、すでに作成した。手始めに、文庫のベストセラー(36冊)から揃えてゆきたい。
 問題は、データベースに収録すべきデータである。
 シリーズ物をどう扱うべきか。フジミや泉君シリーズのような大物ならそれはそれで別扱いできるが、ベストセラー・ボーイズラブ小説の半分ほどが、小物のシリーズ物で占められている。2巻目3巻目なら第1作にさかのぼって、ということもできるが、5巻目くらいになると、第1作がどれほど効いているのか定かではない。
 また、各作品についてどのようなデータを集めるか。第三者によって検証できるデータでなければ意味がない。かといって、伏字を何文字使ったか数えるような真似は馬鹿らしい。受の姫化や性別:受を、検証可能な形で反映するデータの取り方を考える必要がある。強姦か否か、ハッピーエンドか否かの基準は特に重要だ。
 というわけで、入れるべき項目を思いつくままにメモしておく。
・価格
・本文総ページ数
・イラストページ数
・主要キャラの身長(数字があればそれを、なければ統計データから合理的に推測)
・性欲に関する意思表明の種類(「やりたい」等々の言葉、受の逃走、罵倒など。項目を用意してチェックをつける)、およびその表明がなされたページ数
・絡みごとの項目
 ・開始ページ・終了ページ(基準は?)
 ・セリフ率(行数をカウント)
 ・性行為の種類(項目を用意してチェックをつける)
・ボーイズラブの受に特徴的な行動(涙を流す、食事を用意する、女装など)の種類とページ数

12月13日

 文化庁の仕事:
http://www.cgarts.or.jp/festival2001/winner/special.html
 FF The Movieに審査委員会特別賞。
 ………「たくさんお金を使いましたで賞」?

 アニメ・ゲーム業界で160億円あったら、なにができるかを考えてみた。
・大作ギャルゲーを5本:20億円
・大作OAV、全13話:40億円
・「高2→将軍」級のゲームを20本:10億円
・エロゲー業界で赤貧にあえぐ人全員(推定1000人)に、一人100万円プレゼント:10億円
・エロゲーの超大作を10本:10億円
・「KEY THE METAL IDOL」の後半を作り直して全25話にする:10億円
 ……もう思いつかない。まだだいぶ余っている。
 で、ヒゲはいったいどうやって160億円使ったのだろう。

12月12日

 昔の少女まんがについて。
 川原由美子という作家のひねくれ加減には、実に少コミ的ななにかがある。たとえば、「前略ミルクハウス」の藤である。
 80年代初頭の少女まんがでは、「女の子と見紛うばかりの美少年」が流行していたので(すぎ恵美子「AOI・こと・したい」など)、涼音はその線ということで問題ない。しかし、藤はいったいどこから出てきたのか。当時の少コミ読者が、藤の存在理由についてどう考えていたのか、ぜひ知りたいところだ。
 愛すべき、というほどでもないが憎めない浪人生の藤(つまり「めぞん一刻」の五代そのもの)は、二人の仲を裂きにくる悪役でもないし、涼音のライバルたりうる二枚目でもない。いったい川原由美子は、藤になにを見ていたのか。皆目わからない。
 このなんとも説明のつかないねじれに、私は少コミ的ななにかを感じる。単に、「男性読者へのサービスとしてこういうキャラを」という、編集者の差し金かもしれないが。

 ところで、少女まんが読者の「女の子と見紛うばかりの美少年」への欲求は、ボーイズラブの性別:受となにか関係があるのだろうか。

12月11日

 この日記は、全文検索エンジンを狙い撃ちして、さまざまな人をひっかけるべく書かれている。技術系や政治系の話題を盛んに出すのは、「いかにも」な人ばかりをひっかけても面白くないからだ。人生は思わぬ出会いがあるから面白い。それに、毎日エロゲー話や少女まんが話を振れるほど話題もない。
 しかしアクセスログを解析した結果、技術系の話題は、あまりにも効率が悪いことがわかった。ほぼ毎日のように「DScaler」でヒットした人が来るのに、今までほとんど誰一人として、別のページを見ていない。
 というわけで、技術系の話題に代わる、全文検索エンジンを狙った有力な話題を考えたい。とりあえず当面は昔の少女まんが話でも。

12月10日

 フォントからストロークを抽出するのは、原理は簡単なのに実装が面倒くさい。
 私の経験によれば、コンピュータの世界で「面倒くさい」というのは、何事によらず危険な徴候だ。うーむ。

12月9日

 榛野なな恵の新連載、「パンテオン」を読んだ。
 60Pあるのに、なにがやりたいのか、まだわからない。

 掘骨砕三の「おにくやさん」を読んだ。
 倉橋由美子がポルノのことを、「まるで数学の証明のように無味乾燥」と評していたが、実際、よくできたポルノであるためには、まさにそのようなものでなければならない。恐ろしく厳密なのに、明確に定義されることはけっしてない、ある意味で現実そのものを反映した特殊なルールのなかで表現される、きわめて特殊な創造性――私のような物好きが、興味を持たないわけがない。
 この種の特殊なゲームはしかし、非常識なルールばかりで構成されているわけではない。逆に、そういう特殊なゲームをいくつか知ると、その共通性に驚かされる。その共通ルールのひとつが、「思考の跡を消去する」だ。
 すべて自明であるがごとくに、なにひとつ考えていない顔をして、ぬけぬけとやってのけ、相手にもそれが自明だと認めさせること。プログラミング、ポルノ、政治、これら特殊なゲームすべてに共通するルールである。なにかを考えていると感じさせてしまうようでは素人だ。
 この「おにくやさん」は、考えていることがはっきり見てとれてしまう。たしかに面白いことをよく考えている、だが、素人としか言いようがない。面白いことを考えながら、なにも考えていない顔をするとき、はじめて「面白いことを考えている」から「面白い」になる。漫才師が自分のネタに自分で笑ってはいけないのと同じだ。
 このような理由から、私はマルキ・ド・サドをまったく評価していない。考えていること自体、たいして面白いとも思えないし、それを子供のように得意げに書き連ねるあたりは、「黙れ」と言いたくなる。
 とはいえ、サドは文学的に評価されている――「本物のプログラマはPascalを使わない」で言うところの、pie eaterによって。サド自身、pie eaterの小悪党だった。本物のプログラマは、pie eaterの言うことに耳を貸さない。
 私が「檻の中のわたし」を高く買っているのは、とにもかくにも、ぬけぬけとやってのけているからだ。自明とは到底認められないし、別のルールはいろいろと破っているが、少なくともpie eaterではない。
 ポルノを描こう・読もうという向きには、ここのところをよく考えていただきたい。pie eaterになるか、本物のプログラマになるか。
 ちなみに参考までに言えば、私がいままで見たなかでもっとも完璧な美少女系エロまんがは、久富慎太郎の「拘束天使」である。

12月8日

 ゲームのネタを考えた。
 モノローグ、ダイアローグ、イデオローグの三つの属性で戦うゲーム、名づけて「logue」。

12月7日

 私の期待どおり、「エース桃組」が百合へと傾斜している。このまま直進してほしい。

 Palmで文章ビューアといえばAcrobat Reader(現在のところ英語版のみ)、と思って使ってみた。
 ……あの……英語だというのに、システムフォントを使うのはどうかと。サイズが10×5にdepthが2(アンチエイリアシング)で200文字、2.5KB。Readerのサイズは195KB。
 それはいいとして、機能や動作速度など、いろいろ参考になる。Adobeでもこれだけしかできないのか、というあたりが特に。

12月6日

 新刊を入稿した。あとは寝ていても12月30日にはスペースに本が届く。300部ほど。……前進あるのみ!
 次は既刊本の増刷である。ううう。

 サブピクセルレンダリングなフォントの自動生成にややチキンが入ってきたので、まずはPalmのJavaでビューアを作ろうか、などと逃避を始めている。ビューアにも難しい問題が多いのだ。

12月5日

 新刊の版下を作った。入稿は明日。
 「今日読ませられれば、明日はいらない」と、ジャック・ハンマーのごとく思い続けてきた私なので、今日という日が来ようとは夢にも思わずにいた。今日すなわち、遠い昔(四年前が遠い昔でない二十七歳がいるだろうか?)の原稿と向き合う日である。
 どうやら私は自分の信念に忠実に生きてきたらしい――校閲していて、死ぬかと思った。いらなかった明日を生きるのは容易ではない。

12月4日

 Palmで文字入力していると、「縦一文字」「横一文字」な某まんがを思い出すのは、もしかして私だけかもしれない。

12月3日

 新刊の版下を準備している。
 いつもながらに昔の原稿を見ると憂鬱になる。面白ければ面白いで、「今の自分はこんなに面白いものを書いているだろうか」と憂鬱になり、つまらなければつまらないで、「こんなにつまらないものを印刷にかけるのか」と憂鬱になる。いずれにしろ憂鬱なので、そう思っただけで憂鬱になる。
 新刊は116ページ500円A5オフセット、書名は「歴史のくずかご」。収録作品を考えてみると、図らずもぴったりの題になった。

 私はファミリーベーシックより解像度の低い環境を使ったことがない。携帯電話も持っていない。だから、120×120ドットとはどういう世界かわからない。Palmを手に入れたのは、160×160ドットの世界を知りたかったからでもあった。
 まずDOCビューアを使ってみて、ひとつわかった。まともな縦書きを実現するには、専用のフォントが欠かせない。横書きフォントをそのまま縦書きにしたのでは、字の重心がふらついて、見られたものではない。最低でもひらがな・カタカナは必要だ。
 こう考えてみると、サブピクセルレンダリングはかなり効いてくる。滑らかさだけでなく重心合わせにもなるのだから。

 かつて私は、電車の中で、Palmで小説を書いていると覚しき人を見たことがある。もちろんスタイラスでだ。世の中には漢がいるものだと思った。といってもOL風の女性だったが。
 自分でやってみると――私はいまこの文章をPalmで書いている――、ますますその漢ぶりに頭が下がる。疲れたのでPalm終わり。
 Palm再開。今度はPOBoxである。Palmの漢字変換よりは相当ましとはいえ、別世界というほどでもない。

12月2日

 「ボーイズラブ=強姦されてハッピーエンド」の認識を世に広めるにあたっては、無視できない問題がひとつある。
 いったいどういうわけか、私の知るかぎりでは、「強姦」という語を口にするのに心理的抵抗がある人が多いのだ。「戦争」だの「殺人」だのといった語はなんの抵抗もなく口にするのに、である。
 おそらく、この心理的抵抗は、「強姦されてハッピーエンド」イデオロギーの基盤を構成する要素のひとつだ。攻めるにせよ避けるにせよ、十分に考えに入れておく必要がある。

 Palm m100を手に入れたので、さっそくMIDP for Palm OSを入れようとしたら、メモリ4MB必要などと書いてあった。軽く無視してインストールすると、とりあえず支障なく動く。
 液晶の出来が素晴らしい。伊達に解像度が低いわけではない。
 意外にも動作音がある。Graffitiで入力した瞬間、高い音でチリリリと鳴るのが耳につく。
 ROM内蔵のアプリも、なんの問題もなく動く。当たり前のようだが、これがWindowsCEの最大の問題だったのだ。
 WindowsCEは、ROMへのアクセスが非常識に遅い。たとえば、MC/R330のROMにはATOK Pocketが入っている。おかげで、R300では実に軽快に動いたATOK Pocketが、耐えがたいほど遅くなった。この問題さえなければ、WindowsCEがPalmに速度面で遅れを取ることなど、絶対にありえない。

12月1日

 Palm m100が、5000円で投げ売りされているので買った。詳細は後日。

 

今月の標語:

(ウテナ風に)

「………ねえ………新刊って……
なん…ですか?」

 

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