中里一日記

[先月の日記]

1999年1月

1月31日

 心へこむパソコン雑誌というのがある。
 少し前までのOS/2雑誌は、実に心がへこんだ。市場での敗北にはロマンのかけらもない。ただひたすらに心へこむ。
 このあいだTRONWAREの最新号を手にとったら、自殺したくなるほど心がへこんだ。なんと表紙が、Virtual PCを使ってB-Right/Vを動かしているiMacである。これを見てへこまない人間は、人の心がないか、それともパソコンを知らないかのどちらかだ。
 対Windows戦にはオープンソース、というのが現在の流行だし、実際、オープンソース以外にWindowsに対抗できる旗印は存在しない。個人ユーザにクソ高いOSとバカ高い開発環境を買わせる時点ですでにB-Right/Vは負けているのだが、それでも腐ってもBTRONである。お高くとまっていればそれなりにサマになるのだ。それが、なにが悲しくてVirtual PC。

1月30日

 「異次元の世界エルハザード」の第13夜(TVでは放映せず)を見た。この巻は、なんの都合か知らないが非売品で、貸し出しているレンタルビデオ屋が少ない。私の行き付けの店は2店とも置いておらず、見つけるのにずいぶん苦労した。
 ファトラとアレーレが大活躍するという話を聞いていたのだが、そして実際大活躍しているのだが、さらに言えば「異次元の世界エルハザード」のなかで一番面白い回なのだが… 私の求めるものではなかった。

 愉快だが役に立たない思いつきというのが、世の中にはある。私もいくつか持っている。仕方ないのでここで埋め草にしてみたい。
・ハリウッド映画「アメリカ沈没」
 いつもの「アメリカは最強」がテーマの映画。もちろん大統領が大活躍して、最後は沈没を防いでハッピーエンド。
・エロショタ アイリス×レニ
 「レニは男の子」なのは定跡として、「アイリスは実は男の子」がポイント。アイリスはまだ12歳なので、生まれつき特別に女性的な容姿をしているわけでなくても女の子で通る(と主張しても説得力がある)のだ。これはかなりの盲点ではないかと思う。あとアイリス攻も重要だ。

1月29日

 眠い。きゅう。

1月28日

 先日、「Silent Driveはあまり効かない」という意味のことを書いたが、多少誤解だった。
 私のマシンのケースはATミニタワーで、電源と5インチベイが同じ高さに並んでいる。Silent Driveを5インチベイに入れたところ、電源のファンの音がSilent Driveの後ろに当たって反響し、騒音を発していたのだ。HDDの音を抑えこんだはいいが、電源ファンの音を増幅してしまったわけである。
 そういうわけで、Silent Driveの後ろに吸音材として食器洗い用スポンジを置いてみると、かなりの効果があった。
 といってもやはり4000円は高いと思う。

 Ultra2 SCSIの規格にLVDというのがあり、これに対応した機器でSCSIを固めればケーブルを10m以上も延ばせるということを、今日はじめて知った。すでに製品も出ており、パソコン用として妥当な値段で売られている。
 不覚だった。このLVDを使えば、HDDを別の部屋に置くのが非常に簡単になる。ネットワークドライブのような面倒なことをする必要もなければ高価なフラッシュメモリHDDもいらない。静音マシンを作るために必要なのは、デスクトップVAIOや100Base-TXではなく、LVDだ。

1月27日

 最近、私のまわりのごく一部で話題のTV番組、「8時だJ」を5分間だけ見た。
 西原理恵子いうところの「お好きな人にはたまらない」という表現がこのうえもなく的確である。毎週ビデオ(それも最高級のS-VHSもしくはDV)に録画して保存し、さらに編集してテーマ別名場面集を作っている人が、日本全国に千人単位で存在するに違いない。
 読者諸氏もぜひ一度、実物をご覧になることをお勧めする。二度と見たくなくなるだろうが、一度は見る価値があると思う。

 噂によれば、K6-3の消費電力は最大で20Wを越えるらしい。Pentium IIでさえ最大で20W台前半である。性能も発熱もPentium II並みということか。
 どうも最近のクロックアップ情勢を見ていると、0.25μプロセスのP6コアを600MHzで動かすことは難しいらしい。となると、DixonがSlot 1版Pentium IIとしてIntelから出てくる見込みは薄い。もちろんこれは、どこかのメーカがBGAパッケージからSlot 1用Dixonを作って出すことをさまたげるものではない。

1月26日

 Dixonが出荷された。
 注目すべきはBGAパッケージだ。これを使って、Slot 1用Dixonを作るメーカがきっと現れるだろう。どんな性能が出るか楽しみである。

 Silent Driveという、HDDの静音ケースを買って使ってみた。
 本来、非常にうるさいHDDに使うものなのだろう。私のマシンのレベルでは、4000円もしたわりには効果はかんばしくない。これなら別のことに使うべきだった。
 これまでの経験からすると、静音マシンを作るには、デスクトップVAIOのような素性のいいマシンをベースにしてファンや通気路をチューンする、というのがベストだと思う。もしくは、ファンで冷却する必要のない電源を外付けにし、フラッシュメモリHDD+100Base-TXでマシンから完全に駆動部をなくしてしまうかだ。金があるなら後者がお勧めだが、最低でも50万円はかかるだろう。うーむ。

1月25日

 Dixonの出荷が近い。
 もし私の予想が正しければ、Dixonはほとんどの場合で、同クロックのPentium IIより速い。さらに、Dixonのほうがより高クロックで動く。
 もしDixonがモバイル用にしか使われないとなると、デスクトップよりもモバイルのほうが高速に動作するという、おかしな状態になる。もしくは強引に(おそらく技術的な手段で)Dixonの動作クロック数を低く制限するかだ。さらに、K6-3というPentium IIキラーも出てくる。もし私の予想が正しければ、K6-3よりもDixonのほうが速い。
 以上のようなわけで、インテルはDixonをデスクトップ用に投入しないわけにはいかない、と私は見ている。二次キャッシュなしの旧Celeronと新Celeronを同じ「Celeron」という名前で出したように、Dixonの600MHzを「Pentium II 600MHz」という名前で出すのではないだろうか。
 ここで誰しも考えることは、Socket 370版Dixonが出てくるかどうかということだ。技術的にも営業的にも、出さない理由はどこにもない。Socket 370版Celeronに、Dual CPU用のピンが存在するということも、この予想を補強する。
 というわけで結論は、「焦ってSocket 370マザー+Socket 370版Celeronを買うな」である。現段階では、Slot 1マザー+Socket 370版Celeron+変換ゲタがもっとも手堅く、また今後の展開を楽しめる組み合わせだと私は見ている。

 もっとも私は、ISAバス完全撤廃が実現するまでは新しいマザーボードを買うつもりはない。私はISAバスが憎いのだ。

1月24日

 最近、社会における正統性の力について、認識を深める体験をした。
 すさまじいばかりの力である。私が正統性というものを屁のつっぱりほどにも思っていないせいで、さらに強く感じられたのかもしれない。権力というものの本当の凄さを、初めて実感したような気がする。
 また、新興宗教の教祖になる人の気持ちがわかった。政治的な世界では、正統性をあやつるくらい面白いことはないだろう。政治家になっても社会の正統性をあやつることは難しいが、新興宗教の教祖になれば、信者たちの正統性を思いのままにあやつれる。

1月23日

 Pentium IIIのプロセッサIDは、電子商取引などの安全性を高めるとインテルは主張しているが、
・なりすます対象のプロセッサIDを不正に入手する
・ユーザが勝手に設定したプロセッサIDを送るようにソフトを書きかえる
 この両方が技術的に可能なら、cookie以上の意味はないような気がするのは私だけだろうか。

1月22日

 大塚ぽてと原作・原案のパソコンソフト集(?)、「愛があれば大丈夫」が、アキバの某店に980円で売っていたので買った。ブックレットのまんがは読んだが、まだインストールしていない。
 しかし、声優(西原久美子・長沢美樹と愉快なその他たち)と大塚ぽてと以外になにもないことが明白すぎてしかたないようなパッケージである。これを発売当初に買うには、かなりの愛と勇気が必要だったことだろう。

 Jim McCarthy「ソフトウェア開発のダイナミズム」(Microsoft Press)を読んだ。
 ソフトウェア開発管理の本には、「締め切りのある長篇小説を書くと、必ず最後に時間不足で苦しむのはなぜか?」「執筆の遅れを管理可能なものにするには?」等の疑問への答えにつながるヒントが隠されている。
 今回も、「そうだ、マイルストーンだ!」と悟った。しかし、適切なマイルストーンを設けるにはどうすればいいのか、それが問題だということも悟った。とりあえずは、この中里一日記を利用して、自分の行動パターンを観察してみたい。

1月21日

 アップルがIEEE1394のライセンス料徴収の方法を変えようとしており、規格としての先行きが怪しくなってきたとの情報がある。
 IEE1394が潰れるということは、デバイスベイも潰れるということだろうか。私がPC98(もう去年のことになってしまった)でもっとも期待していたのが、このデバイスベイなのだが。これで残る楽しみはISAバス完全撤廃だけになってしまった。

 Pentium IIIではDVDレベルのMPEG2リアルタイムエンコーディングができるらしい。少なくとも、そう主張している企業が一社ある。どの程度まで本当なのか楽しみだ。

1月20日

 昨年11月29日の日記に書いたとおり、雑誌「美粋」が潰れた。
 成功するためにとるべきだった方針については以前書いたが、この失敗自体から教訓を引き出すなら、「読者から言い訳を奪うな」だ。
 現代という世界では、強まった人々ばかりが目立つ。目に見えることを鵜呑みにしてしまうと、強まっていることが当たり前で、弱まっていることは例外なのだという錯覚に陥るかもしれない。しかし実際には、弱まっているほうが当たり前なのだ。
 弱まった人々は言い訳を必要とする。言い訳を奪われたとき、強まることを選択する人もいるだろうが、引き下がってしまう人のほうがずっと多い。
 もちろん、強まった人々だけを対象にするやり方もあり、成功例もある。たとえばかつての雑誌JUNEである。しかしそれは、弱まった人々をも対象にするのとはまったく違うアプローチだ。どちらが優れているかは一概には言えないが、少なくとも確かなのは、二つを混ぜたものが最悪だということだ。
 道は二つしかない。「言い訳をたっぷり用意する」か、それとも「言い訳させない」かだ。中間はない。

 私は自宅の電話をISDNにしていない。
 理由はいくつかある。まず単純に、移行に費用と手間がかかる。プロバイダも移ったほうがいいし、そうなるとこのホームページも移動することになって面倒くさい。このプロバイダのISDN回線料金はまるで冗談なのである。
 しかし最大の理由は、ISDNの留守番コードレス電話にまともな値段のものがないということだ。
 もちろん、TAのアナログポートにアナログの留守番コードレス電話をつなぐこともできる。実際そうしている人がほとんどなのだろう。だが私にはできない。なぜか。デジタル―アナログ―デジタル変換になるからだ。
 アナログ―デジタル―アナログ変換、これはわかるし、当たり前のことだ。アナログの実世界から、デジタルの抽象世界に情報を送り込み、最後にはアナログに戻して人間に提供される。しかしデジタル―アナログ―デジタル変換はそういう必然性を持たない。理論上、デジタルからデジタルへの変換は、アナログを介さなくても必ずできる。デジタル―アナログ―デジタル変換は、コストや歴史的経緯や演算能力といった、きわめて泥臭くかつ見苦しい理由によってのみ生じる。
 デジタル―アナログ―デジタル変換といっても、TV放送のゴースト除去チューナーであれば私も気にしない。TV放送網のインフラは巨大で、デジタル―アナログ―デジタル変換という見苦しさを説明するのに十分な規模のものだ。それに、デジタル―アナログ変換をしているのは、物理的にも社会的にも遠いところにあるTV局だ。それをどうこうしようとは思わないし、思えない。
 だが、TAのアナログポートにアナログの留守番コードレス電話をつなぐことによって生じるデジタル―アナログ―デジタル変換は、そうではない。
 まず、デジタル―アナログ変換をしている場所が、まさに手の届くところ、ほんの目の前にある。それが、ほんの数十センチのアナログ区間を経由して、再びデジタル変換される。この、ほんの数十センチというところがポイントだ。1km先ならまだしも、ほんの数十センチ。想像するだにもどかしさに気が狂いそうになる。
 見苦しさを説明する理由も小さい。留守番電話用の録音チップなど、今ではごく安価なものだ。設計・製造のイニシャルコストにしても一千万円にもならないだろう。ISDNの普及率から考えれば十分に安い。たかが一千万円のイニシャルコスト、たかが数百円の半導体のために、デジタル―アナログ―デジタル変換が正当化できるだろうか。こんな不条理を許して得られるメリットといえば、たかが回線速度が2倍強になり、電話回線が2回線同時に使えるという程度なのだ。こんなメリットは私にとっては重要ではない。少なくとも、デジタル―アナログ―デジタル変換を正当化するようなメリットではまったくない。
 もし自宅の電話をISDNにして、TAのアナログポートにアナログの留守番コードレス電話をつないだりしたら、その日から私はいても立ってもいられなくなるだろう。ほんの数十センチのためにデジタル―アナログ―デジタル変換を許しているのかと思うと夜も眠れず、いつか発作的にアナログの留守番コードレス電話をひっこぬいて、窓から投げ捨ててしまうにちがいない。
 問題はまだ続く。
 値段を考えなければ、ISDNの留守番コードレス電話というものも存在する。アナログの数倍の値段だが、それで心の安らぎが得られるなら(場合によっては)安い。
 だが私は安心できない。電話機のなかでデジタル―アナログ―デジタル変換をやっていないという確信が持てないからだ。これほどISDN電話機の需要が少ないなかで、ISDNの留守番電話用の録音チップを新しく起こすだろうか? アナログのものを流用しているのではないか? もちろん現在の録音チップはADC内蔵で、デジタル入力のピンなどあろうはずもない。だから録音チップのためにデジタル―アナログ変換を行い、さらに録音チップ内部でアナログ―デジタル変換しているのではないのか?
 買う前に電話機を分解して、基板に乗っているチップを確かめられればいいのだが、あいにくそうもいかない。買ったあとで分解して、「やっぱりアナログの録音チップだ」とわかっても、高価な電話機を捨てることもできない。したがって私は、電話機を分解することなく、疑惑を抱きつつ使うしかないのだ。
 こんな疑惑を忘れているときもあるだろう。だが、たとえば友人と話している最中に、あるいは食事をしている最中に、突然この疑惑を思い出して悩むのだ。いつか私は、真実を恐れながらも電話機を分解してしまうだろう。そうして、もしアナログの録音チップを基板上に発見したら、その瞬間に電話機を窓から投げ捨ててしまうにちがいない。そして私は、高価な電話機と、疑惑に悩んだ時間を失うのだ。こんな巨大なリスクはとうてい冒せるものではない。
 こういうわけで、私は自宅の電話をISDNにしていないのである。

1月19日

 「Re-leaf」をやって感じたことのうち、エロゲー全体にかかわるものをいくつかまとめて書いておく。
 女性キャラの私服があまりよくない。風子の私服は冴えないし、玲の私服は私的にはかなりとほほだ。「Re-leaf」は画面の99%で服を着ているので、服の問題はかなり目立つ。露出の少ないエロゲーにはファッションコーディネーターが必要だと思う。冴えない服を着ているキャラは、絵と行動がどんなによくても、やはり冴えなく感じるものだ。
 テキストの誤変換がひどい。校正・校閲に完璧を求めるとコストがかかりすぎるだろうが、バイトに校正をやらせる程度ではるかにマシになる。そういえば、通信教育の雑誌広告に「校正技術」というのがあるが、あれで校正を学んだ人はいったいどこでバイトしているのだろうか。
 動作が重すぎる。ことに「Re-leaf」は繰り返しプレイすることを前提にした設計なので、動作速度はゲーム全体の出来にクリティカルに関わる。
 絵の色設計に改善の余地が大きい。現在のパソコンCGの最大の強みは色だ。パソコン用CRTモニタの色の鮮やかさと再現性は、TVや印刷とは桁が違う。そのためエロゲーでは、最高の色設計は最高の原画に匹敵しうると私は考えている。少なくとも、スタッフの役職として表記するくらいの価値はある仕事だ。

1月18日

 最近アキバのいくつかの店で売っている、山洋の静音タイプのファン(8cm角)をご存じだろうか。あれを買ってきて、電源ユニット内部のファンと交換してみた。
 電源単体で見れば、効果は劇的だった。なにしろ風量が増えて騒音が減った。完全無音とはいかないものの、HDDと比較するとまったく問題にならない騒音レベルである。
 しかし問題はやはりHDDだ。制振ゴムや吸音板を使って多少減らすことはできるだろうが、多少減らしてもしょうがない。やはりフラッシュメモリHDD+100Base-TXだろうか。ただWindowsがブートできる容量のフラッシュメモリHDDは高くて手が出ない。うーむ。

1月17日

 「Re-leaf」の自力攻略をあきらめた。なにしろ重い。

 「銀河旋風ブライガー」のビデオの1巻を見た。
 悪くない。悪くないのだが、これなら新ルパン三世のほうが上だと思ってはいけないのだろうか。…いけないのだろう、多分。

1月16日

 ちょっと調べてみたところ、「Re-leaf」のシステム部分(プログラム・ストーリーシステム)は悪評紛々である。さもありなん。
 製作スケジュールが破綻した場合、発売予定日を必要なだけ遅らせる会社のほうが偉いと思うが、偉い会社といい雑誌は潰れると相場が決まっている。一概に悪しざまに言うこともできない。

1月15日

 ヘンリー・A・キッシンジャー「外交」の、ベトナム戦争に関する章はすばらしい。全人類に読ませたい。

1月14日

 シーズウェアのサイトに「Re-leaf」のパッチ(Ver. 1.01)を発見したので、入れてみた。かなり快調になったが、長時間走らせていると動作が変になる。なんとなくメモリリークくさい。

 藤井みなほ「秘密の花園」(りぼんマスコットコミックス)を読んだ。
 ………これ、ギャグ?

1月13日

 「Re-leaf」というエロゲーをやった。設定やパッケージからみて女同士メインと読んで買ったら、的中である。さすがは私だ。
 といっても、手放しでほめるような出来ではない。
 動作が重い。画面切り替えがどうしてあんなに遅いのか。たかが640×480×16ビット(32ビット?)である。気絶するほどおかしなことをやっていないかぎり、あんなに遅くはならない。わざと待たせているなら論外だ。
 ストーリーシステムにバグがある。一回のなかで、一回性のイベントが二度起こった。
 テキストに誤変換が多い。口述筆記で書いたのかと思うほど多い。テストプレイしてデバッグしたとはとても思えない。壮絶な製作スケジュールがうかがわれる。
 そしてなんといっても、草槻玲というキャラが惜しい。ヴィジュアルといい行動といい、最初のうちは怒涛のごとき期待を持たせてくれたキャラだったが、わかってみると「よくあるパターン」だった。期待しすぎた私が悪いのだろうか。
 これからの百合において、草槻玲のようなポジションとヴィジュアルのキャラは、もっと飢えていて、人間的にいかがわしくて、狂信的な情熱があって、人の弱みを見抜いてつけこむのが天才的にうまい――たとえれば、そう、ゲッペルスを仲間に引き込んだころの若きヒトラーのごときキャラであってほしい。草槻玲というキャラの一番惜しいところは、満ち足りた人のような印象である。

1月12日

 復活。

 「ヤンキー・ゴー・ホーム」(仮題(嘘))脱稿。どうせ一次予選も通らないので、正式タイトルは秘密。ペンネームも変えてみた。

1月7日

 「ヤンキー・ゴー・ホーム」(仮題(嘘))、240枚を突破。あと30枚くらいの予定。
 ジョニー… ふふふふふ、キーボードかきならすだけでわかりあえるのさ僕たちは…(意味不明)

1月6日

 しばらくモニタを使っていると、後ろのほうから、原因不明のプチプチという音がしはじめる。うーむ。

1月5日

 モニタを買い換えたせいで、次のパソコン全面更新が遠ざかってしまった。
 私は、モニタとビデオカードをつなぐケーブルが嫌いだ。アナログだからだ。モニタとビデオカードのあいだはデジタルでつながれるべきなのである。
 ビデオDACはモニタが持っているべきだ。アナログ伝送はありとあらゆる害悪をもたらす。「このビデオカードは色が綺麗で~」「Voodooにビデオ信号を通すと画質が~」、果ては「このモニタとこのビデオカードの組み合わせは~」とくる。こうした腹立たしく非合理的な問題はすべて、ビデオDACとモニタが分離されていることが元凶である。
 液晶モニタのための規格にPanelLinkというのがあり、これがまさにデジタルでマシンとモニタをつなぐ。現在はまだほとんど製品が出ていないが、液晶モニタがますます増えるにつれて普及するのではないかと私は見ている。そうなれば当然、CRTでもPanelLink入力端子を備えたモニタが登場するだろうし、次に買うモニタはそれにしたいと思っていたのだ。

 従来のAT互換機用キーボードを、USB経由でつなげられるアダプタが近々登場するらしい。楽しみなことである。

1月4日

 12月26日に「そろそろHDDが飛びそうな気がする」と書いたら、予感的中である。ただし例によって、飛んだのはHDDではなかった。前はモバイルギアIIのRAMだったが、今度はモニタである。
 修理に出すようなモニタでもなかった(5年前のMAGの17インチ)ので、SONYのCPD-17GSを買ってきた。さすがに最新のモニタだけあって、きっちり調整すると気持ち悪いくらいよく映る。それにしても今のモニタは、コンバージェンスまで前面のボタンで調整できるのだからよくできている。

1月3日

 PSEmuProの新バージョンを試した。相変わらずテキスト表示がおかしい。没。

 FF5をだらだらとやっているが、どうも楽しくない。楽しかったら「ヤンキー・ゴー・ホーム」(仮題(嘘))に差し支えるので、ちょうどいいという気もするが。

1月2日

 「ヤンキー・ゴー・ホーム」(仮題(嘘))、現在185枚。
 ふふふ… ジョニー、あと70枚だよ… あと9日だよ… ふふふふふ…

1月1日

 あけましておめでとうございます。

 新年ということで、いつものスカしたスタイルを少しだけ崩して、あまり上品でない話をしてみたい。
 コミケで満漢全席謝々台風の本を買ってきた。男性向け創作の本である。男性向けというわりには、私がスペースに行ったときには女性ばかりが集まっていた。つまり、それくらい生ぬるい本である。
 それはともかく、この本にはひとつ、非常に気になることがある。それは、男が煙草を吸った直後にセックスしていることで、気持ち悪さのあまり鳥肌が立った。相手が煙草を吸った直後のセックスなど、想像するだにおぞましい。私なら問答無用で足蹴にしているところだ。それ以前に、煙草を吸うというだけでまっぴらだが。
 人の感覚にはずいぶん個人差があるということは知っているし、たいていのことは理解できるとまではいかなくても拒絶しないでいられる自信はあるのだが、これだけは駄目だ。


[メニューに戻る]