中里一日記

[先月の日記] [去年の日記]

1999年11月

11月30日

 今野緒雪の「マリア様がみてる ロサ・カニーナ」入手。読者諸氏も必ずや入手されたい。

 「リトル・ウィッチ レネット」着手。まるで脳天気なボーイズラブのようだ。

 小谷真理の新刊を少しだけ読んだ。
 いつもながらに、どこにも行きつかない、閉じた世界の言葉だった。こんな風にじっとしていると、なにかいいことがあるのだろうか。

11月29日

 「女子高校生コンクリ詰め殺人事件」として世に知られた事件があった。日本共産党が泡を食って火消しに奔走したあの事件である。
 (私は日本共産党には利害も敵意もない。どんな政党であれ、党員の家庭でこんな事件が起これば、日本共産党がしたのと同じように行動するはずだ)
 この事件について書かれた本は、同時代の宮崎勤事件ほどではないが、かなり多い。それらの本の多くは、被害者憎悪というインクで書かれている。宮崎勤事件の被害者である子供たちがあまりにも明白に罪なき存在であったために溜まった鬱憤を晴らすかのように、というのは私の考えすぎだが、ともかく、そのモチーフの統一性には驚くばかりだ。
 このモチーフを表現するために、もっとも頻繁に用いられる手口は、被害者に非行傾向があるかのごとく印象づけることだ。どうやら彼らにとっては非行というのは、悪魔崇拝やトロツキズムに匹敵する過ちらしい。次が「なぜ逃げなかったのか」である。どうやら彼らの頭の中では、女子高校生というのはSAS隊員なみの精神力があることになっているらしい。前者は単なる誹謗中傷、後者は犯罪的なまでの想像力の欠如として片付けられる。
 が、これらはどちらも、ただの手段、ただの現象にすぎない。誹謗中傷をしてなんの疑問も感じない理由、犯罪的なまでに想像力を欠如してなんの疑問も感じない理由こそが問題であり、それを私は被害者憎悪と呼ぶ。

 さて、「保守テロリスト」が支持する、「社会の欠くべからざる支柱」である「持続的なテロ行為」とはなにか、少なくともその一部分は見えてきたことと思う。
 が、保守テロリストの支持するテロは、性暴力だけではない。
 マルクス主義経済学の挑戦によって、近代経済学は一つの確実な進歩を遂げた。それは、資本主義経済を倫理的に正当化することはできないと認めたことだ。
 バングラデシュその他の国・地域で貧民の子がばたばたと死んでゆく一方で、先進国では食肉生産のために穀物が浪費されるこの世界を、倫理的に正当化する方法はまったく存在しない。バングラデシュの貧民の子の死が「持続的なテロ行為」ではなく、「社会の欠くべからざる支柱」でもないと考えるには、かなり困難な正当化が必要とされるだろう。
 保守テロリストにならずに生きるのは、なかなか難しいことなのだ。

11月28日

 どういうものかこの世には、ただ運が悪いというだけで人はどこまでもひどい目に遭うのだという事実を、どうしても認められない人々がいるらしい。もしバングラデシュの貧民の子に生まれれば、かなりの確率で3歳前に死ぬという単純な事実が、彼らにはどうしても理解できないらしい。仮に彼らをアンチ運命論者と呼ぼう。
 それよりはまだ理解しやすいのが、持続的なテロ行為を社会の欠くべからざる支柱と考える人々である。事実確かに、人類発祥から現在に至るまでのほとんどの社会において、持続的なテロ行為は社会の欠くべからざる支柱となっている。仮に彼らを保守テロリスト(あくまでも保守であり反動ではない)と呼ぼう。
 アンチ運命論者と保守テロリストの結託によって成立しているのが、「被害者憎悪」というべき感情だ。犯罪の被害者に対して、「そんな目にあったのはお前が悪いからだ」と考えることである。
 これはアンチ運命論者にとっては、「私は悪くない→私はひどい目にはあわない」という結論をもたらし、保守テロリストにとっては、「自分のテロ行為は高い意味での正義である」という言い訳をもたらす。

 さて、上の話がいったい何を意味しているか、読者諸氏は理解されただろうか。続きは明日。

11月27日

 久しぶりに「将棋世界」12月号を買ったら、藤井が竜王を防衛中、田中寅九段がA級に復帰していた。故村山聖八段が病死して以来ずっと、将棋から離れていたのだ。
 プロの将棋は想像を絶する世界の将棋なので、私ごときにはなにも言えない。ただ、私のカンでは、順位戦のA級最終戦で、名人挑戦の権利を争って藤井と村山が戦えば、村山が7:3の割合で勝ったような気がする。

 もっとも印象に残っている将棋といえば、羽生が七冠を達成した王将戦第4局である。
 私は、二日目の午前中の一部を、TV中継で見た。あの1七桂と3八歩を、リアルタイムで目撃した。
 羽生の3八歩――忘れがたい。

11月26日

 リーフノベルズの巻末を見て、笑った。
 原稿の募集をしているのだが、条件の一つが、「43字×16行で195ページ前後。(誤差は3頁程度におさめて下さい)」である。なるほど、これなら編集の手間が省けて、ぐっと安く作れる。しかも、300枚強とはいえ1.5%の誤差に収めるのは多少の技術と努力を要することなので(まさか文章の2割を不必要な情景描写で埋めるわけにはいくまい)、送られてくる原稿のレベルはおのずと高くなる。うまい手といえばうまい手だ。
 が、私はあえて笑う。なぜなら、それがプチブルだからだ。
 「195ページ前後。(誤差は3頁程度におさめて下さい)」――まさに労働者階級的な文章、それも、今では滅多にお目にかかれないほどに労働者階級的だ。プチブルたるもの、こんな文章を笑わずにおれようか。なにしろ、労働者階級的なものを嘲笑することこそ、私たちプチブルの第一の義務である(ちなみに第二の義務は、スノビズムによって貴族階級的なものを俗化・破壊することだ)。
 かくして私たちプチブルは、全世界をプチブル化するという崇高な目標に向けて、今日も力強く邁進中である。共産主義世界で官僚が勝利したごとく、資本主義世界で勝利するのは、私たちプチブルなのである。

11月25日

 超ハに6番打者登場。
 序盤のかったるいどんちゃん騒ぎを6番打者で引っ張る予定なのだが、展開が重いよジョニー… マルチギャル構造のギャル小説をまともにやるには、マリナシリーズ方式しかないような気が。

 佐藤亜紀の新刊、「ブーイングの作法」を立ち読みした。
 実は私は以前から、佐藤亜紀はオタク文化圏に近いところで暮らしている・いたのではないかと疑っている。主な根拠は、「戦争の法」に出てくる四人組のリーダーのあだ名が「眼鏡」であることだ(参照:アニメのうる星)。今回も、「(フランスのせこい映画における、小娘へのドリームの入りっぷりが)ロリコンアニメと変わらない」というフレーズが登場し、私の疑惑をかきたててくれた。
 文脈からいって、ロリコンアニメといってもアダルトアニメではなくオタク向けアニメのことであろうから、TVをつけたら放送していたのでつい30分ばかりつきあってしまった、という体験をすることもあろう。が、そういう体験の一度や二度で、こういうフレーズが飛び出すものだろうか。その筋の人が身近にいる・いたか、本人がその筋である・だったかの、いずれかに思えてならない。

11月24日

 問題:
 一つの場に7人が同時に出てくる場面を、小説で書くことを想像せよ。

 7人いるといっても捌けるはずの形なので、戦略的には心配していない。が、戦術的には問題がありすぎる。私は書くほうだから混乱はしないものの、読むほうは絶対に混乱する。うーむ。

11月23日

 サターンの「銀河お嬢さま伝説ユナ REMIX」を最初の5分だけやった。
 50円ならまだしも600円だったので、あまりのつまらなさに激怒した。二度とやるまい。

 なると真樹の「世紀末ダーリン」は、キャラの身長体重をかなりリアルに設定している。
 少女まんがの世界では、身長180cm体重58kgくらいの無理めな数字を平気で設定してくれる。「ま、アイドルの『身長157cmウェスト58cm』と同じか」と思っていたが、リアル志向な数字を見て少し驚いた。若年男性の標準よりもやや重めなので、おそらくプロ野球選手のデータを元にしたか、BMIで逆算したのだろう。
 ちなみに、BMIはたいして意味がないと思う。体型や、筋肉質かどうかによってまったく話が変わってくる。書店発表のベストセラーリストなみの信頼性しかない。

11月22日

 7200rpmのHDDの入ったマシンを使った。
 マシンの速さ=HDDのシークタイム、という認識を新たにした。5400rpmのHDDとは格が違う。

 菜槻さありの「MIKOTO」を読んだ。
 50枚で書ける話を、ふわふわした文章で3倍の長さに引き伸ばしているのは、やはり一種の芸なのだろうか。5冊100円でなければ激怒しているかもしれない芸である。

11月21日

 なると真樹の「世紀末ダーリン」を読んでいる。
 百合に対するボーイズラブの優位について考えさせられる。なにかしら根源的な有利さがあるような気がするのは気のせいか。

 というわけで、ここは一番、少コミ・イデオロギーの分析をせねばなるまいと結論した。
 少コミ・イデオロギーについての私の知識はすぎ恵美子に限られているので、圧倒的に情報が不足している。とりあえず「快感フレーズ」でも読むべきか。

11月20日

 サターンのウテナをウテナEDでクリアした。
 あとは樹璃とアンシーと主人公デュエリストを見て終了の予定。ちなみにうちの主人公の名前は貴島碧という。
 名前だけ飛ばしてセリフを言うゲームを音声付きでやったのはこれがはじめてなのだが、なるほど、ときメモ2の名前読み上げシステムは強力そうだ。

 長野まゆみの「天体議会」を読んだ。
 地学のかわりにパソコンをネタにしたパロディを考えた。アキバの怪しいたまり場に集う少年たちが、「この世に汚れないものなんてないさ。ビットも汚れるんだぜ」、「ウィルスは人間に感染する。もちろんバイナリは感染しないが、概念が感染する」などと怪しい会話を交わすのである。
 文章は、「鍵盤」と書いて「キーボード」、「固定記憶装置」と書いて「ウィンチェスター」とルビを振る。表紙は4004の回路図がいい。タイトルは、「少年アキバ」か。
 私的には少年よりも少女がいいものの、少女だとあまりにも無理がある。パロディだからあえて少女、という手もあるが。うーむ。

11月19日

 サターンは、XRGB-1というアップスキャンコンバータを経由して、パソコンのディスプレイにつないでいる。サターンとXRGB-1のあいだは当然RGB接続だ。
 このXRGB-1、黒レベル調整がないので、部屋が真っ暗でないと暗い部分が潰れて見えない。うーむ。

11月18日

 ウテナのゲームのためにセガサターンを入手した。
 それにしても、サターンはいつのまに白くなったのだろう。コントローラもチャチくなっているような気が。うーむ。

 ウテナのためのサターンとはいえ、ウテナだけではつまらない。ウテナ以外にサターンで百合なゲーム… ユナはPC-FX?

11月17日

 寮・図書室・保健室の次は、教室と決まった。猫・セロハンテープ・翼の次は、血である。ちなみに最後は屋上で締める予定。
 とだけ書いてもなにがなんだかわからないが、「月猫通り」を読んでいるとわかるらしい。

11月16日

 今度は、感動しなかった小話を。中世ヨーロッパのものである。

 ある愚か者は死に臨んで聖体の拝領をことわった。その理由は、最近亡くなった自分の姉は、聖体を受けるとたちまち死んでしまったからだという。

 こういう文章を小説の一ページ目に配置すると、文学的になっていいかもしれない。

11月15日

 市販mp3ソフトをちらっと見て思う。なぜラジオのタイマー録音はこんなにも無視されているのか。
 24時間連続録音が可能で、目的の日時を入れると再生されて、CMを飛ばすための十秒スキップボタンのあるmp3ソフトがあれば、必ず買うのに。

11月14日

 超ハの新たな問題点が二つ明らかになった。
・含みを感じられない読者には退屈
 含み戦略なので当然といえば当然だが、用いられている含みの背景を知らない読者には、ひたすら情報が提示されているだけにしか見えない。『背の低いキャラがエプロンドレスを着て頭に大きなリボンをつけていれば、その外見は「ロリ」という含みを持っている』(4月27日の日記より)ということが読み取れない読者にとっては、エプロンドレスも大きなリボンも、なんの意味もない情報にすぎない。
・捌き偏重、つなぎ軽視
 「作品中のすべての含みのうち、ストーリー中で実現されるのは氷山の一角」であるべき含み戦略において、氷山の一角よりもはるかに多くの含みを実現させようとしてしまった。そのためにつなぎが圧迫され、推進力を欠く結果となった。
 二つのうち捌き偏重については、回避されるべきものであるだけに痛い。「つなぎが一番、含みは二番」と肝に銘じよう。

11月13日

 またしても日記の日付がオーバーシュートしていた。うーむ。

 感動した小話を二つ。まずは、中世ヨーロッパのものを。

 ある司祭が死の床にある道化師に対して、生きているうちに遺言を書いて、自分の財産を処分したらどうかと勧めた。道化師は答えた。「では、そうしましょう。馬を二頭持っていますが、一頭を王様に、もう一頭を司教さまに遺しましょう。わたしのもっている衣服や雑貨のたぐいは、騎士、男爵、お大尽様方にお譲りしましょう。」司祭は驚いて、なぜ道化師は貧者にではなく、このような者たちに遺そうとするのか、と言った。すると、次のような回答が返ってきた。「ですが、あなた方司祭は説教で、神にならわなければいけないと言っているじゃないですか。神は、地上の富を貧者ではなく富者におあたえになりました。そこでわたしも、自分の財産について同じようにしようと思ったのです。」

 今度は現代のものを。

 あるとき、経済学者とその娘が道を歩いていた。一ドル札が落ちているのに気づいた娘がそれを拾おうとしたとき、経済学者はこういった。「拾うな。もしそれが本物なら、すでに誰かに拾われているに違いない」

11月12日

 TVアニメの「セラフィム・コール」を見た。双子の妹の話である。姉と百合。
 前回(姉の話)を見ていないとよくわからない話だった(演出が、という意味で。筋は取れる)。とりあえず一応のポイントは押さえているように思える。

 ATOK Pocketを調べたら、さりげなく「パームサイズPCには対応していない」と書いてあった。
 くわっ! 「Windows CE 2.0/2.11に対応」じゃなかったのか貴様は! おかげでWindows CEの優位がだいぶ失われてしまった。きゅう。

 某作家が某同人誌の某文庫特集で、自分の作品がこっぴどくけなされていたのを読んで、「連中には俺の小説がわかってない」というようなことを自分のホームページの掲示板に書いていた。
 アンチ・ファンレターの類いではないやりかたで作品をけなしてもらえる機会など滅多にない。けなしの論理を認めるかどうかはともかくとして(この世には正当化できないことなど一つもないのだよ、ジョニー君)、その機会が訪れたことをまずチャンスとして捉えるのが賢いやりかただと思う。「連中は俺の小説がわからないからけなすんだ」ではどうしようもない。
 が、実は私は、その某作家の実物を見てしまった。正直にいって、この人の作品をけなす言葉を本人に読ませるのは、心ない行いだと思わされた。
 なにも天使のようにいい人に見えたわけではない。ただ彼は、年を取り、疲れていた。自分が力に満ちているときには想像しがたいことだが、弱い者にとっては、賢く振る舞うのは生易しいことではない。
 が、だからといって彼に、「あなたがそんなに弱った人だとは知りませんでしたし、あなたがこの本を読むとも思いませんでした。もし知っていたら、こんなにけなしたりはしなかったでしょう」と言ってみても仕方がない。
 記された言葉は、ときとして無慈悲だ。

 かえりみれば私も容赦なく駄作をけなしてきた。私の言葉も、どこかで誰かを意味もなく傷つけているにちがいない。
 だが私は、書かざるをえなかったのだ、と言い訳しておく。もともと人は、書かざるをえないことしか書かないし、言わざるをえないことしか言わないのだから、なんの言い訳にもならないのだが。

11月11日

 対コバルト・ノベル大賞用の原稿を、30枚まで書いて捨てた。
 教訓:じじいに昔話をさせてはいけない

 かわりに、「火曜サイエンス劇場」の世界の話を考えている。トハチェフスキーがスターリンに勝ち、ソ連が資本主義を北米大陸に封じこめた20世紀末の日本で、生徒として学園に潜入した秘密特命党員が唯物論的弁証法を武器に、学園に巣食う悪のキリスト教秘密結社と戦うのである。
 …と思ったが、政治的にヤバいかもしれない。なにしろ日本にはまだ北朝鮮がある。うーむ。

 「Deep Purple」をクリアした。
 コストパフォーマンスのことを忘れれば、かなり肯定的に評価できる。「With You」のように無駄に長いということもないし、なにしろ男がまったく出てこないのだ。それだけでも評価に値する――というのがエロゲー界の現状である。ううう。五千円や一万円、一時間で使い果たしてもちっとも惜しくない、という向きにはお勧めできる。
 一応文句をつけておくと、
・キャラの表情は変えよう
・64k色以上では半透明アンチエイリアシングはきわめて重要
・個人的にCD-DAは嫌い

11月10日

 突然だが、西在家香織派は新メンバーを募集する。

 募集人数:
 若干名

 応募条件:
・百合に対する深い情熱を持つかた
・小説を書きたい・書いているかた
・来年度、東京大学教養学部(前期課程)に在学見込
 科類・年齢・容姿・セクシュアリティは原則として不問だが、思想上の理由により、喫煙者・トランスセクシュアル・トランスヴェスタイト・自称アダルトチルドレンはお断りさせていただく。

 メンバーの特典は、
・学生会館の印刷システム(1000枚の情報ペーパーを1000円足らずで作成できる)の利用法およびノウハウを学べる
・印刷物の作成にあたって人手(私)を借りられる
・中里一の百合作品ライブラリを利用できる
・毎週土曜日、百合について議論できる
・コミティアに無料でサークル参加できる
 など。
 応募はメールにて受け付ける。第1回募集の締切は4月1日である。ふるって応募されたい。

 応募者ゼロに10万ガバス。

11月9日

 コミティアの売り上げでウテナのDVDを買おうとしてアキバに行ったところ、噂の「Deep Purple ~深紫~」というエロゲーを発見した。ここで会ったが百年目、まさに見敵必買である。
 さっそく今日から「With You」に替わって少しずつ進めていくことにするが、忙しいのでまだ着手していない。きゅう。

 左手にPalm、右手に片手キーボードというプランの現実性について詳しく調べたところ、Windows CE P/PC機を使えば多少は現実的であることがわかった。
 例のクレイドルをそのまま使うのはまずい。なにしろ重い。ではシリアル延長ケーブルを自作して、クレイドルとPalmを切り離せばどうかというと、重さの問題は解決されるものの、今度はシリアル入出力と画面表示を平行して行った場合のPalmの性能が問題になる。PC Watchの記事によれば、GoType!やSH-Keysを使って高速にタイプするとCPUがキー入力に追いつかず、時にはハングするという(こういうことは普通は誰も書かないし、誰も問題視しない。パソコン界とはまことに恐ろしい世界である)。たとえドライバの改良によってこの問題が解決されても、かな漢字変換の問題がまだ残る。さらに言えば160×160の解像度はいかにも小さすぎる。英語なら必要十分なこの解像度も、日本語ではあまりに厳しい。
 しかしWindows CE P/PCならすべて解決である。シリアル入力を文字入力デバイスに定義する方法はあるはずだし(元来が組み込み用である)、画面は320×240だし、ATOK Pocketは動く。不利な点といえば、稼動時間が短いこと(といってもシリアル通信は電池食いなので、電池容量の差で逆転するかもしれない)と、Palm Vと比較した場合にはやや厚くて重くなることくらいだろうか。
 というわけで例のクレイドルは、PS./2→シリアル変換器として利用する。やはりWindows CEは勝つのである。

 しかし考えてみると、PS/2→シリアル変換器程度なら自作で作れるはずなので(ちょっと前のトラ技に、PS/2キーボードからの出力を受ける機械の自作記事があった)、わざわざ高価なクレイドルを買うこともない。なお、「PICライター買ったらクレイドルより高くつくだろうが」というツッコミは却下である。
 あと、ロジクールの片手キーボードは押し下げる力がかなり要るタイプなので、ポケットの中で使うにはやや厳しい。

11月8日

 コミティアに参加した。注釈・解説は2冊売れた。
 最近のコミティアは男性化が進んでいるような気がする。女性はほとんど前を通りさえしなかった。うーむ。

 松本清張の「点と線」がSFで、トラベルミステリーのかわりに通俗SFがその地位に座り、毎週火曜午後9時から「火曜サイエンス劇場」が放送される世界のことを考えている。ちなみにこの世界では、ニュー・アカとは新左翼のことであり、「構造と力」は権力闘争に関するマルクス主義理論書である。
 この世界で登場人物たちは、「僕たちは1999年にいる、にもかかわらず、80年代を終わらせることができない」「『終わった』という概念は終わった」などとNGワードをわめきちらしつつ、なにもしない。
 いわゆるセンス・オブ・ワンダーというのは、これくらいでいいのだろうか。

 Palm III用のPS/2キーボード接続クレイドル(電池駆動)が出た。
 これにロジクールの片手キーボードをつければ、モバイルギアIIモノクロ版よりサイバー感40%アップのモバイル執筆環境ができるような気が。左手でPalmを持ち、右手でポケットの中のキーボードを叩けば、雑誌も読めないほど混んだ満員電車の中で執筆することもできる。痛快だ。
 問題は、Palm IIIにはATOK Pocketがないことだ。記憶容量やCPU速度の問題があるので将来的にも不可能だろう。やはりWindows CEは勝つのである。

11月7日

 明日はコミティア。スペースはP07b。新刊は「旧世界秩序」、本編300円(B5・48p)、注釈・解説500円(A5・12p)。注釈商法、本当に実行する。12ページA5のコピー誌に500円というのは史上最高の頒価ではないかと自負している。ビアン系(政治的)サークルに時々ある男女価格差に対抗して、女性のみ注釈を有料にしようか、などと一瞬考えたが、無意味に反感を買うだけなのでやめにした。
 なにぶんにも500円もする本なので、立ち読みですべて読まれてはかなわない。よって、店頭見本には紙を貼って一部を伏字にするなどの対策を施すことを考えている。あしからず。

11月6日

 「With You」、攻略法を見ずにやったら、どうしようもなく尻切れトンボのバッドエンドを踏んだ。一気に私的駄作度が高まった。
 だが、いい作戦を立案するには難しい条件であることは認めよう。ヒロインは真奈美だけに絞り、乃絵美と菜織で打撃力を稼ぎ、ミャーコを狂言回しに使う。これが正しい。ヒロインは一人か三人以上であるべきで、二人はまずい。二人では安定的な勢力均衡が成立しないからだ――というのは冗談だが、勢力均衡に類するなんらかの仕掛けがないと不安定に感じる。「幼馴染み」がその仕掛けだと言われても私的には納得いかない。

11月5日

 聖堂騎士団からの情報によれば、リーフの次回作は、魔法少女ものでレズものになる可能性があるという。…エロゲー版パルフェ?

 それにしても「With You」は長い。速読術の教材かと思うほど長い。エロゲーの文章に才気など望むべくもないが、短くしてくれとなら望んでもよさそうだ。

11月4日

 朝日新聞が強姦という言葉を言い換えなくなったことに、最近ふと気がついた。いったい何年越しの活動が実ったのか知らないが、めでたい。

 川村湊の「満州崩壊 「大東亜文学」と作家たち」という本を読んでいる。
 金文輯という親日派作家を扱った章で、小林秀雄がこの作家について書いた文章が引用されている。それがすこぶる面白いので、ここにも引用しておく。

 いつか御丁寧な御手紙いただき御返事あげず失敬しました。君の「ありらん峠」を今読みましたのでお返事がはり率直な読後感をこの紙面をかりて書きます。
 あの作品は感服しません。第一に君の精神は大変弱々しく甘つたるく思はれた。第二にああいふ異常な事実を書くには君の想像力は充分だとは思はれませんでした。
 異常な出来事や病的な心理を描くといふ事、ただそれだけでは面白い事はない、さういふ事をして平常な出来事、平常な心理をあつかつてはとても表現しきれないものが表現出来なければ、つまらぬと思ひます。事実病的なものをあつかつた古来の傑作は、平常な手法では思ひも及ばぬ心理につきあたつてゐるものです。君のあつかつた材料には、さういふ意味での必然性が不充分だと存じます。
 併しさういふ必然性は理屈でどうにもなる事ではなく、作者が実際に病的な性質を持つてゐなくては、さういふ必然性が自ら作者には起こり得ない。ガルシンもゴオゴリもポオも、さういふ人達は実際に病的な人間であつた。実際に病的な人間でなくてああいふ仕事が出来た筈はない、と私は信じてをります。又さうでなくては文学なぞいふものは面白いものではない。又それ程文学といふ仕事は自分をいつはれないものだ。
 平常な人間でも病的な空想をほしいままにする事は出来ます。がそれは飽くまでも空想で作家の想像力とは別の事と考へます。空想といふものは観念上の遊戯であり、想像といふものは性格的な力だと存じます。君の作品は空想的です。ほんたうの想像力といふものはもつと血肉の裏づけのあるもので、さういふものは一読すればわかるのです。
 私は君がもつと平常な材料で自分の力をためす事を望みます。以上。

 たいていのエロ・グロ・ナンセンスは「観念上の遊戯」で切って捨てられる。さすがは小林秀雄というべきか。
 なお、私はキッチュの信奉者であり錬金術師の末裔なので、「観念上の遊戯」の肩を徹底的に持つ。もちろん、芸のない遊戯は論外だが。

11月3日

 最強の妹という説さえある乃絵美を研究すべく、毎日少しずつ「With You」をやっている。
 つまらないゲームだと思っていたが、とりあえずキャラの服はいい。こういう細部を楽しめば、なかなか楽しめるような気もしてきた。
 とりあえず乃絵美について現在までわかったことは、
・ポニーテール
 やはりポニーテール最強?
・お弁当
 妹=お弁当という図式は重要なのかもしれない。
・病弱
 私は妹といえば天野成(やまざき貴子の「ッポイ!」)なので、どうもイメージが合わない。病弱はどちらかといえば姉のほうがいいような気が。ギャル的には病弱=保護欲であり、妹に保護欲するのは力関係からいって当たり前だが、姉に保護欲すると力関係のねじれが生じて面白い。
・内気
 ギャル的には内気=独占欲。これまた姉のほうがいいような気が。もしかすると一般的には、力関係をねじらないほうがいいのかもしれない。

11月2日

 IntelliMouse explorerにはSDK等は存在しないらしい。毎秒1500回の位置検出ができる計測器は、いったいどこにあるのだろう。

 今日の豆知識:WACOMのArtPad fan USBは、intuosと同じドライバ(WACOMのホームページからダウンロード可能)が使える。傾き検知ができるようになったりはしないが、マッピング設定はできるようになる。

11月1日

 訳あって、石油ショックの頃の「天声人語」を読んでいる。
 記者の経済音痴ぶりに眩暈がする。これを褒めたのはどこの馬鹿だ。「庶民感覚で」とか言ったら殺す。

 訳あって、IntelliEye(IntelliMouse explorerの位置検出部)の技術を使った計測器を探しているが、見当たらない。
 毎秒1500回の位置検出を行っているそうだが、USBマウスの出力としては毎秒150回になる。私が求めているのは元の1500回のほうだ。あんな便利なもの、絶対にあるはずなのに、どうしても見つからない。エレコムかどこかから同じ技術を使ったマウスが出ているので、MSの独占技術ではないはずだ。
 しかしもし計測器があっても、買うとどうせ50万円くらいするだろう。8000円のIntelliMouse explorerと比べるといかにも理不尽だ。もしかして、IntelliMouse explorerのSDK(もしあれば)を見ると、なにか書いてあるだろうか。

 

今月の標語:

「頑張りません勝つまでは」


[メニューに戻る]