中里一日記

[先月の日記] [去年の日記]

1999年12月

12月31日

 これをお読みになる読者諸氏は、すでに2000年に生きているのだろう。
 などと言いつつ、実はこの日記を書いている時点ですでに2000年になっている。この日記はそういうシステムなので仕方ない。

 千号作戦の中盤をうねうねと書いていたら、エロにしたい衝動がふつふつとわきあがってきた。4番打者の元ネタ(美澤千歳)の影響だ。これが自己ゲバの恐怖か。我ながら恐ろしいキャラを設定してしまったかもしれない。

12月30日

 最近、20世紀の歴史を回顧する企画が多い。
 が、どういうわけか、第2次大戦におけるソ連とスターリンの役割が、あまりにも軽く見られていることが多い。かわりにノルマンディー上陸が大々的にクローズアップされている。
 笑止もはなはだしい歴史感覚だ。1944年春、すでにドイツの敗北は確実なものになっていた。ノルマンディー上陸は、極論すれば、ドイツ降伏という火事場に駆けつけてきた火事場泥棒にすぎない。ドイツを打ち砕いたハンマーは、ソ連のものだ。
 血と汗をもってナチスの蛮行をやめさせた功績に対して、歴史がどう報いたかは、現在のロシアに見るとおりである。マスコミはアメリカの功績ばかりを言いたて、ソ連の血と汗をほとんど無視する。当然といえば当然のことだ。血と汗にはどんな値打ちもなく、したがって、血と汗が報われることなどないのだから。報われるのは、政治的な立ち回りである。
 肝に銘じておこう――血と汗を流すのは、貧乏人か、馬鹿者か、さもなければボルシェビキである。そのどれでもない私たちは、冷房のきいた部屋で立ち回るのだ。勝利は戦場で得るものかもしれないが、利益は、冷房のきいた部屋にしか転がっていない。

12月29日

 千号作戦は現在88枚、予定の4分の1を消化して、中盤の難しい構成に差しかかりつつある。終盤の収束を見通しつつ、思わせぶりな動きでわが方の意図を秘匿するのである。
 現在のところ、1番と6番の使い方が難しい。二人ともビジュアルに重点があるので、文章では辛い。まんがやアニメなら意味もなく主人公に絡んでいればすむキャラも、小説では同じようにはいかない。7番の動かし方も悩ましい。

 超ハの6番打者は、眼鏡でストレートロングで背が高くて家庭教師でメイドさん(24歳)である。
 このキャラを決めたあとで気づいたのは、最近のメイドさんキャラの主流は背が低いということだ。マルチの影響だろうか。私的には、メイドさんキャラは背が高いほうがいいように思う。
 理由づけをしてみると、「背が低い」と「働き者(がんばり屋)」、「背が高い」と「マイペース(怠け者)」はそれぞれ、強い正の相関のある属性である。家事労働には、背が高い・マイペース属性のほうが、周囲に放射するストレス量が小さくていい。ワーカホリックに家事をやられては家人はたまったものではない。

12月28日

 というわけで結局、ワンダースワンはごく普通に、CCさくらで遊んでいる。
 NHKが絡んでいるソフトなので、知世が第1期アニメ版の偽知世かと心配していたが、杞憂だった。全国の純真な小学生に正しい愛のかたちを教え導く、香織派のもっとも強力な味方、大道寺知世がここにいる。

 どうも私の行状は、人の目にはよほど個性的に映るらしい。ある友人などは、自宅や家庭教師先で私の行状を言いふらすという。
 その友人が、あるとき家庭教師をしている小学生に、「はっちゃん(私のあだ名)てCCさくら読んでるんだよ」と言ったところ、彼女は、「大人でもCCさくらなんて読むんだ!」と大いに驚いたという。
 これを聞いた私は、「ほんとに小学生もCCさくらを読んでるんだ!」と驚いた。オタク生活をしていると、小学生がCCさくらを読むとはとても思えない。これが赤ずきんチャチャなら「確かに小学生」と思えるのだが、CCさくらでは無理だ。

 友人(上の友人とは別人)に東京少年の曲を聞かせたところ、「歌詞が恥ずかしい」「近所のおばさんみたいな歌」と大笑いされ、毎日のように聞いていると言ったら徹底的に馬鹿にされた。80年代のわからん奴め。

12月27日

 ワンダースワンと「森田将棋」を手に入れた。
 弱い。強さが「普通」だと、六枚落ちでも負けようがないくらい弱い。中盤がへろへろとか地平線効果ばりばりとかそういうレベルではなく、やさしい必死問題を見落とす。ワンダースワンのCPUは1MIPSもないらしい。
 乾電池駆動でも10MIPSやそこらは当たり前の昨今、こんな弱いCPUを選んだ馬鹿の頭の構造が知りたい。君はどうやってゲームボーイポケットに対抗するつもりなのかね、ええ? なにからなにまで同じような中身で、どうやって差をつけるつもりなのかね、ああん? 値段では負けているようだがね? マニアパワーを集めるなら、開発キットとフラッシュメモリカードが出ているはずだね? いい条件を出してソフト開発者を集めるなら、後発でゲームボーイポケットと競うのは営業上厳しくないかね? 「パソコンゲームと連携して使えるエンターテイメント用PCコンパニオン」とか、「高速なCPUと高品位音源が実現する、画面表示とは違う次元の表現力」とか、そういうおいしいコンセプトは山のようにあると思わないかね? それを、ゲームボーイポケットの後追いかね? 総合力で勝てない場合はローカルな優位を築けと、経営学の授業で教わらなかったかね? 君はピピンアットマークの失敗からどんな教訓を得たのかね? 人の真似だけすればいい、という教訓かね? だとしたら、真似る対象をいささか間違えているとは思わないのかね?
 結論:バンダイの将来は危うい。

12月26日

 今日こそ普通に日記してみる。

 コミケに行ったものの、カタログさえ手に入れていないやる気のなさなので、会場に着いたのは1時、買ったのはエレホンの本だけだった。
 香織派の委託本は、注釈商法(12ページA5のコピー誌が500円)が2冊売れていて驚いた。ねえジョニー、この人たち正気じゃないよ… なお注釈・解説の売り上げは、ウテナのDVDの購入資金などに有効に活用されています。

 コミケ帰りにアキバに行ったら、「夜勤病棟」というエロゲーの絵が気に入ってしまった。しかしストーリーは私が最悪に嫌いな代物なので手は出せない。うううこの憤りをどこにぶつければいいのやら。
 あの絵で、ボーイズラブ系ベタ甘イデオロギーの、百合なゲームを出してくれたら絶対に3本買う、いや5本買う。

 小Jを読んだら、小説道場の「あらすじ」が拡大モードになっていた。まともな投稿はよほど少ないらしい。門番の皆様もお暇だろう。というわけで、千号作戦の終了後、超ハを送りつけることに決定。

今日の指名手配:
 初期不良のHDDを交換に行ったら、チェックするから明日また来いとぬかすパソコン屋、その名はT-ZONE。
 この途方もなく人をなめた対応に遭って、ふつふつとわきあがってくるこの気持ちは、怒り? いいえ違う、これは怒りじゃない。この気持ちを言葉にすれば、そう――『ぶっ殺す』!
 「ジョジョの不思議な冒険」によれば、『ぶっ殺す』と言ったときにはもう殺しているのが正しいギャングだそうだが、私はギャングではなくプチブルなので殺さない。「なるほど経営が傾くわけだ」などと悪態をつきながら、ただ正義の審判を待つばかりである。

12月25日

 2000年などもはや眼中にない私は、すでに21世紀を見つめている。
 なにしろ21世紀には解決すべき問題が山積している。エアカーや、銀色のプラグスーツや、チューブの中を走る車への疑問。人類はゲリラ戦というシステムを御しうるのか。そしてもちろん、百合を普及させること。
 現在の情勢を見るかぎり、とりあえず21世紀中には銀色のプラグスーツは無理らしい(いったい誰が考えたネタなのだろう。ぜひ根拠が知りたい)。エアカーやチューブはまだ希望が持てるものの、20世紀を彩る技術の大半が19世紀の科学の視野に収まっていたことを考えると、期待薄である。
 うまいものを腹いっぱい食っている人々は、政治的には羊の群れよりも安全なので、全人類をたらふく食わせればゲリラ戦は起こらない。民族や国家がどうのこうのというたわ言を真に受けるのは、食い詰め者とボルシェビキだけと相場が決まっている。が、経済学者の予測によれば、今から40年後、人類の貧しい半分は現在よりもさらに餓えるようになるという。中途半端に餓えた人々を押さえつけておく有効な手段を開発しないことには、ゲリラ戦は制御できそうにない。
 そして百合。
 世界にはこれほどたくさんの、切実に解決が望まれていながら解決不能と思える問題があるというのに、百合の普及だけが例外であるとは、なかなか言えない。
 しかし、どういうわけか都合のいいことに、いつでも希望だけはあるのだった。まさしく、希望ゆえに未来は尊いのである。

12月24日

 90年代も残すところあと一週間となった今日このごろ、読者諸氏はいかがお過ごしだろうか。
 私はこのあいだ80年代を清算しおえたばかりで、90年代には手もつけていない。ついでに2000年も無視して、このまま21世紀を迎える予定である。つまり私的には、2000年は始まる前から終わっているのだった。
 などと世迷い事をわめきちらしつつ、「火曜サイエンス劇場」の世界を考えているのが最近の私である。
 6月20日の開戦から6週間でベルリン陥落、11週でジブラルタルを手中に収める。ベルリン陥落を機に、コーカサスに戦略予備を投入、イギリスに宣戦布告する。7週でスエズを抜け12週目にはトリポリを包囲、15週でマルタを奪取。これならアメリカが手をつっこむ暇もない。こうして1941年の冬には、ダンツィヒからジブラルタルまで、アレクサンドリアからキールまで、ヨーロッパ・北アフリカの全域に赤旗がひるがえるというわけだ。これでイギリスが降伏するかどうかだが――すると考えよう。
 ソ連のヨーロッパ制圧の勝利のショックでモンロー主義の嵐がアメリカを襲う。アジアからも手を引いて北米大陸で篭城戦である。日本は1946年には降伏だろう。
 戦後の支配体制は、中世ヨーロッパ的な二重権力構造を採用する。教会が党だが、権力は教会よりもさらに大きい。中央委員会幹部は司教、書記長は枢機卿、ロシア共産党書記長が法王だ。1000人の党員が党内の出世競争にあけくれ、10万人の党員候補がマルクス主義信仰を説き、500万人の信者がそれに従う。世俗のことはほとんど市場と官僚に任せる、つまり官僚と党の分離がポイントである。この仕組みならたぶん日本はうまく動く、ような気が。

 こういう世界の様子を考えるべく、ディミーダル・アンゲロフの「異端の宗派ボゴミール」を読んだ。どうやらマルクス主義というのは、なにかにつけて「史的なんたら」と言い、階級闘争でものごとを採点していれば格好がつくものらしい。

12月23日

 アニラジ完全捕捉プロジェクトが重大な障害につきあたった。パソコンから出る電気的ノイズがあまりにも大きすぎるのだ。
 ラジオの出力をサウンドカードにつながない状態でも、CRTがついていると厳しい。つないでいると、CRTを消した状態でも厳しい。二つ揃えば論外だ。もちろんアースは取っているし、アンテナは屋外に置いているし、電源は配電盤から別系統だ。
 対策としては、
・ラジオをパソコンからさらに離す
・光デジタル入力のあるサウンドカードと、単体ユニットのADコンバータを使って、パソコンとラジオをアイソレートする
・降圧トランスを使って電源をきれいにする
 離すといっても、部屋をまたぐとなれば容易なことではない。うーむ。

今日の百合物件:
 花見沢Q太郎の「おひさま」に収録の「テクニカルスロット」
 ずっと昔、ヤングアニマルに載っていたのを見て以来、ずっと単行本化を待っていた。百合なところは少ないものの、その軽さに当時はかなり感激した。経験のない人が百合を手がけると、重い形を強引に捌く展開になりやすいのに、「テクニカルスロット」にはそういうところがまったくなかった。今読んでも面白く、学ぶところの多い作品である。
 それにしても、学校の図書室の開館日というネタの由来がこれだったとは、自分でも知らなかったよジョニー…

12月22日

 無差別テロというのは、誰がいつ発明したものなのだろう。
 「テロリズム」というのは政治神学がらみの語なので、「無差別テロ」という語の定義について議論をしようとすると政治神学の歴史から説き起こさなければならなくなるため、独断により簡略に説明する。無差別テロとは、ある体制に非自発的に組み入れられた人間を、その体制に組み入れられているというだけの理由によって、その殺傷を正当化し実行することである。
 「無差別テロ」という語にこのような説明を与えるなら、京都の日野小学校グラウンドで行われた殺人は、無差別テロである。
 無差別テロ行為そのものにはなんら驚かない。今日も世界のどこかで無差別テロは起こっている。しかもそれは、大の大人たちの、理性的な組織が行っていることだ。力なきものを対象に選んだことにも驚かない。自分より強い相手に暴力を振るえるのは、しっかりした組織の十分に訓練されたメンバーと、ドン・キホーテだけである。
 私が驚くのは、あれほど幼い文章を書く人間の頭に、無差別テロの論理がしっかりと根づいているということにだ。
 いったいいつのまに、無差別テロの論理はそんなに普及したのだろう。いったいなぜ、無差別テロの論理は主張に値すると思えるほど受け入れられるようになったのだろう。
 もしかして無差別テロの論理とは、自然発生的に生じる論理なのかもしれない。もしそうだとすれば、無差別テロの論理はいっそう厳しく排斥されるべきだ。
 無差別テロの論理が社会に受け入れられつつある、私はそう思えてならない。文京区の幼児殺しは無差別テロの論理によって行われた殺人だが、犯人を擁護する動きが一部にあると聞く。神戸の子供殺しの犯行声明文に、感銘を受けた教育評論家がいると聞く。
 私はけっして無差別テロの論理に耳を傾けない。それはなにひとつ正当化しない。それは悪質なこじつけにすぎない。それは「太陽がまぶしかったから」という言明以上の意味を持たない。無差別テロの論理に耳を貸す者どもにアナテマ。

 この事件の報道をインターネットで追っていたところ、おかしな点をいくつか発見したので書きとめておく。
 「中学生から高校生風。青色のフード付きハーフコート姿で、黒縁の眼鏡をかけていたという」(毎日新聞21日)
 「犯人は小学生から中学生で身長160センチ前後」(時事通信社22日)
 「目出し帽を被った」「身長160センチ前後で、小学校高学年から中学生ぐらいにも見え、青色ジャンパー姿で、眼鏡をかけていた」(京都新聞22日)
 このような人物が男性であるという確証を持つには、なにが必要だろうか。
 目出し帽のせいで顔は見えない。冬のことなので体の線も見えない。中学生で身長160センチ前後といえば、男でも女でもおかしくない。だが、どの報道を見ても、まるで自明のことのように、犯人は男であるとしている。
 かなり確実な証拠に、声がある。「終始無言で切りつけた」という報道はないので、この可能性はあるだろう。が、「奇声をあげながら」「なにかをわめきながら」という報道もないので、確率としては低いと思える。
 犯行声明文をよく見ると、一人称が「私」になっている。あのように幼い文章を書く男の一人称としては、やや奇妙に感じられる。
 だが現実にはきっと、まるで自明のことのように、犯人は男なのだ。なぜそれが自明であり、またなぜ現実がそれを裏付けるのか、私にはどうしてもわからないのだが。

12月21日

 ついにアニラジ完全捕捉プロジェクトが完成しつつある。Fresh Music、CFリーダ、AMラジオの三種の神器が揃ったのだ。
 が、AMラジオからの入力は、レベルが合わなくて音が割れる。サウンドカードとAMラジオ、いったいどちらが悪いのか。とりあえずFMでは割れないのでラジオくさい。うーむ。

今日のアナテマ:
 週末のアキバに女連れでやってくる男どもにアナテマ。

12月20日

今日の地雷物件:
 RATOCのCFリーダ(USB接続)は、Windows98では、30MBくらいある複数ファイルをまとめて書きこもうとすると、必ずハングする。Windows2000RC2ではこの現象は生じないので、ドライバのバグの公算が大だ。

今日のテーマ:
 ボーイズラブが総受の文化だとすれば、百合は総攻の文化?

12月19日

 Windows2000RC2で、SCSIカードを認識させるのをあきらめた。万策を尽くしたものと信じる。
 その後の調べで、Windows2000RC2がCA810のPCIバスを正しく扱える例を見つけた。すると地雷物件は、CA810ではなくDC-390Uか。そういえばTekramのサイトには、やる気のなさそうな雰囲気が漂っている。Windows98のことといい、Tekramは地雷原かもしれない。

12月18日

 Intelのサイトを見たら、CA810のBIOSが矢継ぎ早にアップデートされているのを見つけた。私がダウンロードしたのは、最悪に危険な代物だったらしい。FTPでダウンロードサイトを調べたら古いBIOSのファイルが見つかったので、とりあえず以前の安定なものに戻しておく。

 Windows2000RC2を再インストールした。CD-ROMからHDDにファイルをコピーする際、およそ100MBに1ビットの確率でビットが反転していることに気づいた。ホワーイ?
 MAME32は動かない。NeoRAGExは動く。DVD-ROMドライブが動かないのでゲームは試せない。CyQ'veのUSBモデムは動かない(なぜだ?)。RATOCのCFリーダは、多少動作が怪しいような気もするが動く。
 スワップの嵐は、スワップファイルを高速なドライブに移すことで解決した。動作速度はWindows98より速いかもしれない。メモリが256MBもあれば確実にWindows2000のほうが速そうだ。

12月17日

 超ハの調べ物がてら、榊東行の「三本の矢」を読んだ。いわゆる架空戦記小説だが、主戦場が大蔵省という変わり種だ。
 官僚というと私は、ゆりかもめから眺める臨海副都心のことを思い浮かべる。あきれるほど美しい光景である。こういうものを見せてくれるのなら、数千億円くらいの無駄遣いは大目に見よう、という気にもなるくらいに。あれで、ゆりかもめの運賃が200円だったら、そのまま大目に見るようになっていたかもしれない。

 女装ボク男が嫌なのを我慢しつつ、なるもみずほの「少年ヴィーナス」1巻を読んだ。一応百合もあるものの、片方が男装なのがよくない。とはいえ長髪なのでなんとか許せる。
 レイチェルの学ランや高見沢の髪型が、微妙にウテナに思えるのは気のせいだろうか。

12月16日

 Windows2000RC2は、i810ではIRQの共有に問題があるような気配がする。MSのサイトのHCLをよく見ると、CA810やAsusのMEWはないのに、SU810やSuper MicroのSUPER 370SWDはある。
 察するに、CA810やMEWは前衛的なIRQの共有をやっていて、それをしていないのがSU810やSUPER 370SWDなのではないかと思う。Intel製マザーボードでありながらWindows2000もまともに動かないとは、CA810とはなんたる地雷物件か。

12月15日

 最近のCA810の不安定は、IDEケーブルがヘボだったせいだと判明した。どうも断線しかかっていたらしい。

 Windows2000RC2をインストールしようとして失敗している。
 MSはTekramに悪意でもあるのだろうか。DC-390UといえばWindows98のインストールでトラブルを生じることで有名だが、今回もコケている。HCLを見ると、さりげなくDC-390Uはリストから外れている。うーむ。
 仕方ないのでDC-390Uを外して、HDDにコピーしたファイルからインストールした。スワップの嵐に見舞われた。やっぱりRAMが64MBじゃダメだよジョニー…

12月14日

 説教小説には一定の人気がある。
 たしかに、説教は楽しい。説教者が自分と同じ価値観の持ち主であれば。そして物語は元来、価値に属さない旋回軸を持つことが難しい。
 比較的説教臭くない旋回軸の一つは、私の知るかぎりでは「理性」だが、これもまたずいぶんと人工的な代物だ。間抜けな知識人のような物言いをしてみると、理性は英語ではrationalityとなる。ratioすなわち比率、なんの比率なのかといえば、目的と手段、投資と収益、犠牲と獲得である。
 が、この比率を無視する思想が、この世界と歴史のかなりの部分を(それこそ無視しがたいratioで)覆っていることを私たちは知っている。彼らにとってはきっと、理性という旋回軸は、恐ろしく独善的で説教がましく、ほとんど言語道断に感じられるだろう。ファシストを倒すための戦いに若者が命を捧げようというとき、「それで、君は自分の犠牲――たとえば、両手両足と性器を失って、廃兵院で残りの一生を過ごす可能性も検討すべきだと私は思うのだが――からなにを獲得するつもりで、それは割に合うのかね?」などと問い掛けるような思想はトロツキズムであり、真っ先に銃殺刑に処されるはずだ。
 理性でさえ説教臭いとしたら、なにが残されているのか。容易には答えられない質問である。

12月13日

 村上龍の「五分後の世界」のような話で嫌だが印象深かったので、平塚らいてうの文章を引用する。「文学史を読みかえる」研究会・編の「〈転向〉の明暗」(インパクト出版会)68ページから。

 岡本かの子さんの出征将士を想ふ散文詩を拝誦し、事変以来、皇軍勇士の心境に神を見、彼らが現人神にまします天皇陛下に、帰命し奉ることにとつて、よく生死を超越し、容易なことでは到達し得ない宗教的絶対値に易々としてはいつてゐることにひどく感激してゐたわたくしは、ようこそ言つて下さつたと、まことに同感至極で、おそらくこれは銃後の日本女性大衆すべての今言はんと欲してゐるこころでありませう。
 『おのれをすてし将卒のいづれも顔の美しき』永瀬清子さんの詩の一節、いかにもいかにも。新聞写真やニュース映画を見つつわたくしもいつもうれしく、又有難く思ふことはこれです。あの朗な、自然の笑ひを浮べた顔! 天皇陛下の萬歳を唱へて死ぬ時も笑つて死ぬといふのも本当でせう。陛下の御稜威のもとにおのづから大悟の境に安住し得る日本人は、思へば何といふ仕合はせな国民なのでせう。

 まあ、気楽にやろう。

12月12日

 ギャ会で、「恋愛シミュレーションツクール」を使って、ボーイズラブゲームを作ることになった。ボーイズラブなのに絵だけ女の子、という趣向で、つまり「1999年の夏休み」だ。
 声の出演はもちろんギャ会の面々である。現在までに決まっている配役は、
秀才系の攻: 堀内樹那氏
ワイルド系の攻: 玖我新氏
主人公を敵視するライバル: 月無朔夜氏
年下攻を目指す健気な下級生: 見月界夢氏
訳知りで黒幕っぽい数学教師: 堀坂圭氏
 である。ちなみに私は「通りすがりの人物A」になる模様。
 問題はシナリオだが、……私?

12月11日

 久しぶりに「ONE」をやった。途中までやりかけで放ってあった七瀬をクリア。
 例によって「ここまでやるか」が炸裂している。シナリオライターの確信犯ぶりに乾杯である。

12月10日

 どうもこの日記は、世間の日記とはずいぶん違うものになっているので、たまには世間の真似をしてみよう。

 朝起きたら、もう6時半になっていて大慌て。今日から断食月、日が出ているあいだは飲食できない。急いで朝食を作って食べ、ついでにカロリーメイトを4本食べたら、もちろん気持ちが悪くなった。食べ終わった時刻は日の出後だったような気もするが、神は細かいことは気になさらない。

 職場についたらいきなり、いかにも怪しげな小包を押しつけられた。配達時間を指定できるタイプの宅急便で、中から時計の秒針の音が聞こえる。配達指定時刻は10時で、小包を押しつけられたのが9時10分。「50分以内に解体すれば大丈夫」とは編集長の仰せだ。汗だくになりながら、30分かけて解体した。爆発したらこのフロアは全滅のはずなのに、みんな平気で仕事をしていた。慣れとは恐ろしいものだ。
 弾体は鋳鉄(なにかの部品だと思う)、爆薬はTNT、信管は雷酸水銀と竹の手作りと、かなり本格的だった。温度センサがあったのを見たときにはぞっとした。液体窒素をかけたり、1箇所を長いこと触っていたりしたらお陀仏だったに違いない。

 帰りに自宅の留守電をチェックしたら、馴染みの古本屋から「『ゲルニカ』の初版が揃いで入りましたよ。乙女ちっく通信としおりもついてます」との連絡が。飛ぶように神田を駆け抜けてゲット。2500円。

 日没を待ちかねて夕食。まったく断食月は辛い。

12月9日

 今月4日の日記に書いた、「マルチ萌えと千歳萌えには正の相関、芹香萌えと千歳萌えには負の相関」という仮説は成立しないことが判明した。全文検索で調べたところ、芹香萌えと千歳萌えの組み合わせが多く発見されたためである。
 この調査をしていて、世にはあかり萌えが多いのだと知った。また、やはりというべきか、志保萌えは発見できなかった。

 マザーボード(IntelのCA810)のBIOSをアップデートしたら、Savage4がとてつもなく不安定になった。仕方ないので、今はオンボードビデオで使っている。やっぱりCA810じゃダメだよジョニー… 早くi180eでFC-PGAのマザーボードを買わねば。

12月8日

 教室で血な話を立案している。
 が、どう考えても、嫌な感じに重い話にしかなりそうにない。しかも、こういう話が受けないのかというとその逆で、(少なくとも私がマーケティングリサーチできる範囲では)大いに受けるのだから嫌になる。
 オタク文化の軽さを、私はこよなく愛している。たとえば松原香織や奏亜希子の、どう切っても血も涙も出てきそうにない、あの天使的な軽さを。富士見ファンタジア的な、オリジナルを持たない偽物の群れ――まるで生命のように――の軽さを。小さな一個人である作者の限界から解放された軽さを。

12月7日

 眠いよジョニー…

12月6日

 「レネット」、二度目のパルフェ終了。実はココットと、などということがないかぎり、これで「レネット」は終了である。
 これは、確かに、注目に値する。コストパフォーマンスを考えるとどうかと思うが、ほかに比較できるような物件が皆無なので、コストパフォーマンスの概念は無意味ともいえる。

 ここに書いて目的を達せられるかどうか不明だが、「どらまらんど」の佐藤都さん、お手紙ありがとうございました。そちらのMicrosoft Internet Mailの設定が正しくなされていないため、お返事を差し上げられません。
 勤務先のマシンからのお手紙とお見受けしましたので、勤務先の管理方針等のために受信が不都合なのかもしれませんが、受信が不都合な場合には送信はより深刻に不都合なので、お気をつけ下さい。

12月5日

 マルチ越え作戦は、総合的には失敗に終わったものの、奇襲は成功していたとの調査結果が出た。というわけで、最適化の指針に、「奇襲はコストパフォーマンスが悪い」を付け加える。
 人気は三番打者が(当然ながら)過半数、二番・五番が並んだ。二番が強いのは、よく捌けているから当然として、五番の強さはやや意外だ。20代後半は外せない線らしい。
 逆にへこんだのは一番と四番。四番がへこんだのは予定どおりとはいえ、それでも多少は支持があるかと思っていた。一番打者、脱いだというのに効かなかった。やはり文章ではだめらしい。
 はかない系キャラの身長が162cmというのは高すぎるのだろうか。私的には、小さいほうが密度が高くて生命力がありそうな気がする。やおい界の「背が低い=受」法則に反発を覚える私は、受の身長を高めに設定することが多いので、こういうことにもなる。リバーシブルは百合の重要なアドバンテージなのだ。

 長野まゆみの「夏期休暇」を読んだ。
 このごろ追求中の、「実の姉妹(除く双子)の百合」というテーマに一つのヒントを得た。それは、三姉妹にすることだ。
 実の姉妹(除く双子)の百合が権力闘争と深くつながっていることには気がついていたのに、迂闊だった。権力闘争といえば三人、三人といえば権力闘争ではないか。
 しかし、三姉妹だとどう考えても美少女系エロまんがにしかならないような気も。

12月4日

 「レネット」をクリアした。
 ペトログラードやエカテリンブルグで流れている噂を総合すると、どうも二度目のパルフェが問題らしいので、10月1日からもう一度だけやることにした。
 主人公の声を聞いて思ったことには、声にオペラ歌手的な深みがないと三石琴乃系のオーバーアクションはとても支えられない。この声優はとりあえず、毎日腹筋100回と縄跳び一万回をこなす必要があるような気が。

 どうも今月中に、超ハ内の日付に追い越されそうな見込みである。
 が、近い未来よりは近い過去のほうが書きやすい。11月後半があんなに暖かくなるとは思わなかった。いま「小春日和情報」を読んでいる東京在住の読者の皆様は、「こんなに寒くないよ」と思っておいでのことだろう。ちなみにあの日程は、期末試験と冬休みから逆算して決めている。

 マルチ越え作戦に続いて実行中の現在の作戦は、まだ名前が決まっていなかった。しかし名前がないと不便なので、「千号作戦」と命名した。千は美澤千歳(「Natural ~身も心も~」)の千。
 千歳といえば最近、マルチ萌えと千歳萌えには正の相関、芹香萌えと千歳萌えには負の相関があるのではないかと疑っている。こうした相関について確かな知見を得られれば、最適化に大いに役立つはずだ。

12月3日

 「レネット」を二度やるには、心の余裕がかなり必要のような気がする。いや二度どころか一度やるだけでもかなり要る。どう考えても、「レネット」をやるより超ハを書くほうが百合的にも非百合的にも楽しいよジョニー…

 超ハは現在、6番打者を使って圧力をかけつつ防御中。私は防御が苦手なのでやや辛い。ここで部分的に有利な体勢を作って小攻勢、それからまた防御。なんとも重い展開だ。調べものもたくさんある。きゅう。

12月2日

 「リトル・ウィッチ パルフェ」と「レネット」は21世紀のテトリスである、という噂を思いついた。
 テトリスは、ソ連が西側に送り込んだ破壊分子兼プロパガンダだという噂があった。その噂によれば、テトリスは高い中毒性によって西側の産業の生産力を破壊し、同時に、「労働は喜びである」という思想を人々に刷りこみ労働疎外に目覚めさせるのだという。
 「パルフェ」と「レネット」は、テトリスとは逆に、旧西側が旧東側に向けて放つ、資本主義の思想を人々に刷りこむために開発されたゲームである。若年労働力(14歳)の深夜労働(午前2時・3時)が当たり前であるとし、材料入手を通じて事業の投機性を教え、蓄財の自己目的化を訴える。
 投資信託、株、先物取引があればなお結構なので、続編ではこれもぜひ入れてほしい。奢侈品の購入は必須だ。店を立派にするオプションや広告を打つオプションも欲しい。
 さて、「パルフェ」と「レネット」の問題点は、どっぷりと資本主義に漬かって生きている私がなぜいまさら資本主義をプロパガンダされねばならないのか、というところにある。

 ゲームでプロパガンダすることを考えてみると、なかなか面白いものが考えられる。
・フェミニズムのドラクエ
 仲間を集めて全世界的な女性団体を組織し、このネットワークを通じて魔王に政治的・経済的・倫理的圧力を加え、最後には無害化する。
・動物愛護の電子ペット
 プレイヤーは飼い主ではなくペットになり、さまざまな飼い主を体験する。プレイヤーの選択は基本的にゲームの進行とは無関係で、ほとんど飼い主次第で決まる。実験動物になることも。
・イスラム教の恋愛シミュレーション
 金と力が十分あれば二股どころか四股までOK。絵は背景だけでキャラがない。

 こうしてみると、やはり百合の恋愛シミュレーションは、百合の普及に欠くべからざるアイテムかもしれない。
 それにしても「あやかし忍伝くの一番」と「パルフェ」「レネット」はなぜどちらもあんなに面倒なのか。「To Heart」のように簡単にクリアできるべきであると、私は強く主張する。
 思うに、ミッション系の女子校を避けるところですでに弱い。前人未到の荒野を行くのに、王道を避けてはならない。まだ誰も登ったことのない山に登るのに、冬季だったり無酸素だったり単独だったりする必要はないのだ。
 以下、現在求められている百合の恋愛シミュレーションの要素を列挙してみる。
・ミッション系の女子校が舞台
 中高一貫教育で、同じ校舎に中学生と高校生が混在している学校がよい。制服はオリジナルデザインが王道。
・メインヒロインは一人か二人
 王道をゆくには一人か二人で十分だ。同級生はやや変化球で、上級生か下級生(もしくは両方)がよい。
・ライバルが必要
 主人公が男だと、およそこの世でもっとも不必要な存在だが、百合では王道とされる。ライバルを狙えるのは百合ならではの変化球で、余裕があれば面白い。
・部活・生徒会は避ける
 間を持たせやすいので使いたくなるが、王道はこんなものには頼らない。会話と態度による濃密な空中戦こそ百合の醍醐味である(サクラ大戦のLIPSが特許でないならぜひ使うべきだ)。
 「会話と態度による濃密な空中戦」が難しいことはわかっているが、それでもぜひやってほしい。女子校育ちの頭のいい女性には会話のプロが多い。彼女たちはどう考えても、0.1秒間で9手先まで読みを入れている。アマチュアがプロの将棋を見るような、あの感触を再現したゲームがあれば、私はこの世界に生まれてきたことを心の底から喜べるだろう。

12月1日

 「マリア様がみてる ロサ・カニーナ」を読んだ。
 こう… 「西部戦線異状なし」?

 そういえば最近、うまく捌ける話を読んでいないような気がする。ドストエフスキーでも読むべきか。読んだことはないが、よく捌ける話らしい。

 

今月の標語:

「せ~が~」


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