2004年06月09日

サラ・ウォーターズ『半身』

 つまらない。理由はふたつある。
・主人公がつまらない
 『このミステリーがすごい!』の2003年版でこの作品を推した人に尋ねたい。こんな奴が主人公でいいのか、と。いつ化けるのかと思っていたら、最後まで化けなかった。
 主人公が化けなかったことと同根だが、
・オチがない
 理屈がつくことと、オチがつくことは、まったく異なる。将棋にたとえれば、大駒が捌けていない。
 ついでにいえば、アリストテレスは『詩学』で、当時の有力説に反対して次のように主張している。「たとえば『オデュッセイア』のように二重の組みたてが見られ、善人と悪人にとってそれぞれ反対の結末が生じる。(中略)しかし、このような二重の組みたてから生じるよろこびは悲劇のよろこびではない。それはむしろ喜劇だけに属するよろこびである」(第13章)。
 ここは非常に間違いやすいところなので、詳しく解説しておこう。まず『オデュッセイア』については、アリストテレスのほうが間違えている。『オデュッセイア』の結末は、『To Heart』のマルチEDに似た構造の「泣き」であり、アリストテレスの思っているような「オデュッセウスとペネロペイアはいつまでも幸せに暮らしました」という結末ではない(2003年7月7・8日の日記参照)。『詩論』のアリストテレスは、デウス・エクス・マキーナの意味を理解しなかった。
 また、ここでは「二重の組みたて」に力点があり、勧善懲悪はその具体的な形態のひとつにすぎない。『詩論』の散逸部分には、風刺劇への言及もあったと考えられるが、風刺はいつでも、悪人が幅を利かせ善人が馬鹿を見るさまを描く。これもアリストテレスのいう「二重の組みたて」に含まれる(そして風刺劇は喜劇なので、「喜劇だけに属するよろこびである」とつながる)。
 もしアリストテレスが『半身』を読んだら、自説の強い裏づけを得たと思うだろう。私も同意する。シリアスな物語では、「二重の組みたて」は第二級のものだ。

Posted by hajime at 2004年06月09日 08:34
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