2004年08月20日

大人は質問に答えない

 福本伸行「賭博黙示録カイジ」には印象的なセリフが数多く登場するが、「大人は質問に答えない」というセリフは特に印象深い。
 久美沙織がある女子校で講演したときのエピソードが、まさにこのセリフを地でゆくようなものだった。このエピソードは一読の価値があるので、こちらをご覧いただきたい。注目すべきは、教職員がアンケートへの回答を拒否した、という点である。
 この某女子校の教師たちは、久美沙織のどんなメッセージよりも強く、生徒たちに教えたのだ――「大人は質問に答えない」。これは私の推測だけではなく、講演を聞いた当の生徒も、そのような印象を受けたという(私は聴講者のひとりを個人的に知っている)。
 大人は質問に答えない。それはなぜか?
 「答はあるのに、なにか理由があって答えない」、のではない。答える理由がないかぎり、答は用意されていない=存在しない。久美沙織は「思考停止」と批判するが、大人の論理では、思考する理由がないのに思考する人のことを哲学者という。
 答が欲しければ、答えるべき理由を作るのだ。そうすれば、質問するまでもなく、相手のほうから話し始める。
 私が、やおい・BLのことを「強姦されてハッピーエンド」だと主張してやまないのも、彼女たちが答えるべき理由を作るためだ。
 「強姦されてハッピーエンド」という認識が広まれば、やおい・BL界の心ある人士は、対抗してなにかを言わざるをえなくなる。統計的にいえば私の主張は圧倒的に正しいので、その正しさのゆえに、対抗せざるをえなくなる。部外者が「そうか、強姦されてハッピーエンドなのか」と思ってやおい・BLを読み、実際にそのとおりのものをそこに見て、「まさしく」とうなずく――このような「理解」の広がりに対して無関心でいるのは、きわめて困難だ。
 あなたがもし、やおい・BLについて詳しく知りたいとお考えであれば、ぜひ「強姦されてハッピーエンド」という認識を広めていただきたい。
 汚い手ではある。だが、「答があるはずだ」という幼稚な前提に立った質問は、見苦しい。

Posted by hajime at 2004年08月20日 07:10
Comments