2004年09月05日

かなりや

 スティーブン・ローウェンスタイン編『マイ・ファースト・ムービー』から引用する。203~205ページ。

 ――初めてあの映画を見た撮影所の反応はどんなでしたか?
 あまり感心していなかったね。電話が鳴って「やあ、バリーか、いい映画だったよ」なんて言ってはこなかったということだ。そのかわりこう言ってきた。「編集をもっと勉強しなきゃだめだ」「そうかもしれないが、例えばどうやればいいのか教えてくれないか?」「じゃあ、ひとつだけ言おう。若者がローストビーフ・サンドイッチを頼むところがあるだろう? 奴はそれを食べるのか食べないのかどっちだ? あんなのは無駄なんだ。切ってしまうんだ。ストーリーを語るんだよ」。私は答えた。「でも、あれがストーリーなんだ。あれがあの映画の大事なところ、ああいう人間関係がね」。楽しくない話し合いだった。それからあの映画をいろいろな都市で上映し、観客に感想を書いてもらった。とくに好評とはいえなかった。まあ、そこそこという程度。こりゃ大ヒットになるぞと撮影所が興奮するような映画にはとうてい思えなかった。そういうことがあったあとで、フェニックスとセントルイスとボルティモアで封切りした。入りはよくなかった。撮影所としては、こんな代物はスクラップして葬ってしまえという考えに向かっていったようだ。

 ――それではどのようにして、私たちが現在知る、そして愛する『ダイナー』になったのでしょうか?
 批評家のジュディス・クリストがタリータウンでセミナーを開いていた。あるときMGMの映画を何かかける予定を組んだんだが、準備が整わなかった。MGM / UAのスコット・マクドゥーガルが、彼は『ダイナー』を気に入ってくれたすばらしい奴なんだが、ジュディス・クリストにこう言った。「バリー・レヴィンソンの新作をやってみたらどう? 彼はメル・ブルックスとシナリオも書いているから、メル・ブルックスの映画をかけることだってできるよ。それに『ジャスティス』のシナリオも彼だから、ノーマン・ジュイソンとアル・パッチーノのあの映画だって見せればいい。それに『サンフランシスコ物語』だってそうだ。だから彼がシナリオを担当したこういう映画に、今度監督した映画を加えて、それで週末のセミナーを組めばいいじゃない」ってね。ジュディス・クリストはその言葉にのった。でも、そのためだけに私をニューヨークに飛ばすことに撮影所は消極的だった。いまさらなんだ。余計な物入りじゃないかってわけだ。それに批評家連中に『ダイナー』を見せたくもなかったんだな。

 ――批評家に見せたくなかったんですって?
 そう、あの映画は、いわばもう過去の遺物だったからだ。埋葬も済んでいた。スコット・マクドゥーガルがやったことは、あの映画をニューヨークにもってくることだった。そして会計課への口実として、レヴィンソンが当地でセミナーをこなし、他にも宣伝活動をすると言ってくれた。ところが撮影所のほうは関知していない。右手と左手がてんでバラバラに動いているようなものだった。スコットは上層部の意向にはかまわず、ニューヨークで批評家に『ダイナー』を見せた。ポーリーン・ケイルや「ローリング・ストーン」誌だったかな。そしてとてもいい手ごたえを得た。
 私のほうはジュディス・クリストのもとに行き、週末のセミナーに加わった。ポーリーン・ケイルをはじめとする批評家が、映画はいつ公開されるのか、批評を載せるのだからと問い合わせてきた。いつまでたっても撮影所のほうが返事をしないから、しびれを切らしたケイルは、映画が劇場にかからなくても批評は載せると言ってきた。「ローリング・ストーン」誌のマイケル・シュラーゴーも、いずれにしても自分の批評は載せると言ってきた。MGMは赤っ恥をかきたくなかった。それで五七丁目の〈フェスティバル〉にかかっていた自社の映画、あと一週間の予定だったんだが入りのよくないその映画を引っこめ、替わりに『ダイナー』を入れることにした。火曜日に『ダイナー』が五七丁目の〈フェスティバル〉で金曜から始まると知らせをうけた。最初の広告が木曜日にできあがった。「明日『ダイナー』公開」というようなやつだ。そうやって金曜日に初日を迎え、ポーリーン・ケイルの評が「ニューヨーカー」に、そして「ローリング・ストーン」にも評が載った。「ニューヨーク・タイムズ」も絶賛していた。
 初日の金曜、興行成績もよかった。そうしたら翌日の土曜の夜が暴風雨になった。そのときのことは忘れられない。私はシェリー・ネザランド・ホテルに泊まっていて、そこからは五七丁目と五番街の交差点が見えた。そのとき私はシドニー・ポラックと仕事をしていた。ちょうど彼が『トッツィー』の準備にかかっているときで、その手伝いをしていたんだ。で、ホテルの窓から行列は見えないかと眼をこらすんだけども、まだ夕方で映画館の前にはどこにも行列なんてできていない。シドニーはなぐさめてくれた。「寒いなかでも人は並ぶ。でも、雨はだめだ。雨のなか行列に並ぶ人間はいない」。そう言ってやさしく声をかけてくれたんだが、「これで終わった」と私は思っていた。一晩だけだった。あの映画を見たい人間は全員もう見てしまった。だから土曜の今日は誰もいないんだと。食事に出かけなくちゃいけなくて、劇場の横を車で通ったが、誰ひとりあたりにはいない。行列なんかなくて、猛烈な雨と風だけ。で、マークと食卓につくと、〈フェスティバル〉に立ち寄ったかと訊く。そんな気になれなかったと答えると、売り切れだという。そんなはずはない。誰も来てはいなかったのに。彼の話はこうだった。あそこには地下があって、劇場側はやってきた人をみんなそのなかに入れていた。彼が一〇時に行ってみると売り切れになっていたと。そして翌日の日曜日、昼の回は売り切れ。そのまま全日売り切れとなった。月曜も好調。するとMGM / UAの人間が四〇〇〇くらい上がりがあればね、そうすればひょっとしたら……なんて言いだした。火曜日には雪が降ったが、大入り満員。そうして二週めの週末を迎え、劇場記録を塗り替えた。

Posted by hajime at 2004年09月05日 07:39
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