2004年10月29日

イマゴロジー

 クンデラの『不滅』は、小説としては面白いが、書かれている内容には、事実でないものが多い。192ページから引用する。

 昔モラヴィア地方のある村で暮らし、すべてを経験で知った私の祖母にとってこれぞ現実であったようなものも、今日の人間にとっては、もうずっと以前からそうではなくなってしまっている。(中略)もし家に食べるものがなければ、モラヴィア地方の農業は盛んだと、彼女に信じこませることは、誰にもできなかったろう。

 たとえ農業が盛んであっても、農民の家に食べるものがないという事態はざらに起こる。もっとも極端なのが、ソ連の農業集団化の際に起こったウクライナの飢饉だ。ウクライナは穀倉地帯だが、スターリンはいわゆる「飢餓輸出」を行い、大飢饉を起こして数百万人を死亡させた。
 ソ連での事例は極端だが、市場経済のもとでも、やはり農業地域にしばしば飢餓が起こることが知られている。
 非農業地域では、飢餓はたいてい、戦争等による物流の遮断から起こる。主力産業になんらかのトラブルが起こって貧困層の収入が減った場合には、収入の得られる地域へと移動するからだ。
 農業地域の場合、まず、主力産業である農業にトラブルが起こりやすい。それも、旱魃や洪水などによる広範囲のトラブルが起こりやすいので、収入の得られる地域へと移動するのが難しい場合が多い。農業以外の産業でこれほど広範囲のトラブルを生じるのは、物流を絶たれた場合だけだ。こうして農業地帯の貧困層は、逃げ出すこともできないまま、飢餓へと沈んでゆく。
 おわかりだろうか。農業は盛んだからといって、「家に食べるものがない」という事態を逃れられるわけではない。むしろ農業が盛んであるほうが、「家に食べるものがない」という事態を招きやすいとさえ言えるのだ。
 ヨーロッパの農民は、こうした仕組みを、すべて理解していたはずだ。別に誰かが筋道立てて説明することもなく、当たり前のこととして。
 農業が盛んである=食べるものがある、という短絡的な図式は、なるほど、まことにイマゴロジー的である。

Posted by hajime at 2004年10月29日 01:21
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