2004年12月15日

設定マニア

 資本主義国ではお伽噺は「むかしむかし~」で始まるが、共産主義国では「いつかきっと~」で始まるという。
 もともとは単なる笑い話だが、よく考えてみると、ここには鋭い洞察が含まれているように思える(たいていのことは、よく考えてみれば、鋭い洞察を見出せるものだが)。
 お伽噺を批判的にしか受け取れない人は、そもそもお伽噺に縁がない。また、いわゆる「設定マニア」的な発想とも相容れない。お伽噺の世界は、事物の論理ではなく、意思の論理で動いている。
 いま「設定マニア」と言ったが、マルクスは設定マニアの轍を踏むのを注意深く避けた。設定マニア、すなわち空想社会主義だ。「構想を詳しく仕上げれば仕上げるほど、それはますます空想となっていった」(エンゲルス『空想から科学へ』)。設定マニア的であることを拒むなら、共産主義者が語る未来はお伽噺でなければならない。
 むしろ問題は、「むかしむかし~」のほうにある。
 なぜ「むかしむかし~」なのか。共産主義者のように、予言としてお伽噺を語ることができないのは、なぜか。言い換えれば――ファンタジーが受けてSFが受けないのは、なぜなのか。
 ここにはおそらく、人間の本性にもとづくなにかがある。

Posted by hajime at 2004年12月15日 01:44
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