古代ヨーロッパの人間が、初めて鐙を見たとき、なにを想像しただろう。歩兵に対する騎兵の絶対優位、築城のメリットの増大、さらには蒙古の襲来を見て取っただろうか。まさか。
「Referer HoundがWebを変える」と言っても、鐙から中世ヨーロッパをイメージするのと同じで、わかれというほうが無理だ。ここで詳しく解説してゆきたい。
まずは、一次的な効果から。
TVは、視聴者がなにもしなくても情報を垂れ流してくるが、Webはそうではない。能動的にリンクをたどったり検索したりしなければ、なんの情報もやってこない。では、人が能動的に情報を求めるときには、どんな情報を求めるか。
漠然と「なにか面白い情報」などというものを求めて行動する人は少ない。まず特定のテーマがあり、そのテーマに関する情報を求める――それがWeb上での通常の行動パターンだ。
さて、blogである。
もしblogをずっと一つのテーマだけで書きつづけたら、それはblogというよりニュースサイトになる。この世のすべてのblogがニュースサイトだとしたら、人間という生物はきわめて合理的だということになるが、事実はそうではない。自分がその日思ったことを書きたい、そしてそれを人に読んでもらいたいという欲求は、合理性をたやすく蹴散らす。
blogに、自分がその日思ったことを書く。すると、そのblogには統一されたテーマがないので、情報を求める人の関心を呼べなくなる。Googleからの読者を待つだけのblogのできあがりだ。
もし、Googleが猛烈に賢かったら?
検索結果にノイズが混じる文字列ではなく、抽象的なテーマで検索できたとしたら? クローリングなどというノロマな仕組みではなく、blogが更新されると同時に登録されるとしたら? 更新直後のblogを上位に表示してくれるとしたら?
もしGoogleがそんなものだったなら、Googleからの読者を待つだけのblogにも、今よりずっと多くの読者が来るはずだ。
Referer Houndがそれを実現する。
もちろん、テーマの種類はある程度限られる。たとえば「年金問題」というテーマではReferer Houndはうまく機能しないだろう。Referer Hound後の世界でも、こうした巨大なテーマは、マスコミやGoogleの領域だ。また、あまりに小さいテーマでも、Referer Houndは役に立たない。「我が家のペット」というテーマに関心を抱くのは本人だけだ。
Referer Houndは、両者の中間にあるテーマで機能する。フィガロはまさにReferer Houndが機能する大きさのテーマだ。
以上により、Referer Hound後の世界を現在の世界と比べると、まず2つの点で異なる。
1. 無名の雑多なblogがよく読まれる
2. 中規模のテーマの流通が盛ん
これが、Referer Houndの一次的効果である。
1の効果は、無名blog作者の幸福とやる気を増進させるだけだろうか? 後日に続く。
素晴らしいアイデアとアルゴリズムですね。感銘を受けました。
ただ私は面倒くさがりでリンクをはらないことが多いので、そういう人が多かったらだめですね。
私は「無名blog」の客を増やす、というプロジェクトで政府からお金をもらったことがあります。結果は、うーん、無念。
ご声援ありがとうございます。
たとえ全blog中の5%だけがリンクを貼るとしても、blog全体の99%以上が無名blogであることを考えると、これはなかなかインパクトがあるのではないでしょうか。
ビジター側が5%しか興味を持たない場合、それは本当に5%ですが、サイト側の5%は圧倒的な量です。