2005年01月20日

存在可能世界と移行可能世界

 世界中のキーボードがみなDVORAK配列である世界は、存在しうる。その世界は、この世界より少しだけよいところのはずだ。しかし、よりよい世界だからといって、このQWERTY世界がいまからDVORAK世界に移行してゆくと信じるのは、ウルトラ・トロツキストだけだろう。
 もしメール1通を送信するたびに1円かかるとしたら、スパムメールは不可能になる。一日100通のスパムに襲われる世界より、有料メール世界のほうが、はるかによい世界だ。電話をみても郵便をみても、プッシュ型配信は送信者がコストを負担すべきだという主張は、万人の支持を受けるはずだ。しかし有料メール世界は決して訪れない。電子メール以外の「プッシュ型」技術はすべて死に絶えた。
 DVORAK世界も、有料メール世界も、世界中の人々がみんなで足並を揃えて、少しずつ犠牲を払うことでしか実現できない。たとえすべての人が、払った犠牲の百倍の利益を得るとしても、足並は決して揃わない。DVORAK世界と有料メール世界は、存在可能な世界だが、移行不可能な世界なのだ。この世に革命が存在するのは、移行不可能と思えた世界をたぐりよせるためだが、有料メール世界をたぐりよせられる革命など想像することさえできない。
 Referer Houndの「フラグメント」という発想にインパクトがあるのは、移行可能世界としての逆リンクWebを実現するものだからだ。
 もし、リンク元のリンク要素にGUIDをつければ、Referer Houndよりもずっとうまく逆リンクWebを実現できる。しかしこれは、「世界中の人々がみんなで足並を揃えて」の極端な例だ。「世界中の人々」が「少しずつ犠牲」を払ってくれなければ、動きさえしない。
 逆リンクWebを実現する技術として、いままで少しでもまともに動いたのはTrackBackだけだ。blogツール間に限定するという割り切りが、成功の鍵であり限界でもある。TrackBackの限界はいずれ詳しく論じたい。とりあえず、「世界中の人々」のつきあいが悪いことだけは確かだ。
 Referer Houndは、「世界中の人々」に対してなにも求めない。Webサイトの運営者が作業するだけで、それは動く。動くだけでなく、ただちにWebサイトの価値を高める。
 とはいえ、Webサイトの価値を高める方法は数多い。文章の見出しを工夫する、データ量を減らして表示を速くする、検索をつける、など。こうした手段が尽くされていないサイトがほとんどなのに、なぜReferer Houndだけがサイト運営者を動かせるのか? 答は2つある。
 第一に、Referer Houndをつけて楽しいのは、なによりもまず運営者本人だからだ。
 運営者は、自分の文章を他人の目で読んだりしないし、自分のサイトの遅さよりも見栄えを気にする。だから、そんなところを改善しても、運営者にとっては楽しくもなんともない。しかしReferer Houndは高度なアクセス解析でもある。アクセス解析に関心がある運営者は、見出しのつけかたを気にする運営者より、はるかに多い。アクセス解析は楽しいからだ。
 第二に、Referer Houndは目立つ。
 よい見出しや表示の速さは目立たないので、その重要性に気づくことも少ない。目立つものがいかに速く広まるかは、かつてろくでもないFlashやフレームが大流行したのを見てもわかる。
 というわけで、普及上の障害があるとすればおそらく、スパムとユーザビリティだけだ。
 もしかするとReferer Houndには、電子メールのように、スパム攻撃に対する本質的な脆弱性が潜んでいるかもしれない。また、フレームのように、ユーザビリティ上の本質的な欠陥があるかもしれない。もし、どちらの障害もなければ――Webの全面は変わるだろう。

Posted by hajime at 2005年01月20日 23:27
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