「自称犬の調教師」というのはかなりメジャーな肩書きのようで、Googleでは455件と出る。
私としては、この手の不思議な肩書きのひとつに、「元スターリニスト」を加えたい。
ゴルバチョフからナベツネまで、いまも世界中に数千万人が生きていると思われるこの人々は、あまり認知されていないようだ。Googleでex-stalinistは1120件。ヨーロッパや日本と比べてアメリカには少ないからだろうか。しかし今から100年後、元スターリニストの精神は、重要な研究テーマになるだろう。
元スターリニストがみな共通して持っている、あの独特の痛ましさを、どう言えばいいのか。思いつくかぎり最悪の意味で「大人になる」ということを経験した(通過儀礼!)とでも言おうか。自己犠牲が否定される物語は美しく、感動を呼ぶ。では、自己でない犠牲が否定される物語は。それも、莫大な犠牲を出したあとに否定される物語は。
間違ったハシゴを登ってしまったのは、おそらく彼らの罪ではない。が、そのために彼らは、死ぬまで宙吊りにされつづけることになった。
宙吊りの運命に耐えられない者は、幻想上の足場を持ち上げて、「我々の生きる大地はここだ」と叫ぶ。ソルジェニーツィンが、「革命前のロシア」を持ち上げて、そうしているように。ゴルバチョフは宙吊りに耐えられる稀な人間だが、おそらくはそのために、しゃべるのをやめられなかった。彼を飛行機にたとえれば、言葉と理念はプロペラだったのだ。
「地面なんてもともと幻想だ、元スターリニストはそれを失っただけだ」というのは真実だろう。しかし、元スターリニストの痛ましさを見るにつけ、思う――真実を喝破することと、それを体験することは、まったくの別物だ。