2005年02月06日

TVアニメ『GIRLSブラボー second season』第2話

 1990年代のエロまんがには、劇的なイノベーションがあった。ポルノの分野で、これに匹敵しうる規模のイノベーションは、おそらく世界的にみても、1980年代日本のアダルトビデオだけだ。
 1970年代のエロ劇画やポルノ映画には、表現としては見るべきものがあったが、ポルノとしてのイノベーションは乏しかった。これは単純に頭数の差を反映している。1970年代、エロ劇画家やポルノ映画監督の絶対数は、現代のエロまんが家やAV監督とは比較にならないほど少なかった。
 1990年代、劇的なイノベーションが進行するなかで、エロレズは停滞していた。今日では、旧態依然たるエロレズ作品は商業誌から姿を消し、ごく少数の突出した作品だけが誌面に現れることができる(へっぽこくんSOFTCHARMなど)。
 香織派は、エロレズの停滞を不可避とみて、百合を非ポルノと定義した。この判断は基本的には正しかった。しかし今日、エロレズは少ないながらも優れた才能を集めつつあるように見える。これらの人々は、エロレズに未来を見ることのできる先駆者であり、その後ろには多くの人々が続いている。これから10年以内に、エロレズに劇的なイノベーションが訪れる可能性は、かなり高い。
 さて、TVアニメ『GIRLSブラボー second season』第2話である。これは、残念ながら、イノベーションがあるとは言いがたい代物だった。
 古いエロレズの発想には、男女間の非対称性・異質性の裏返しとして、女同士のあいだに対称性・同質性を求めるものが多い。双子レズなどはその典型だ。エロレズとしてのキャットファイトは、対称性・同質性という点で、古いエロレズの発想そのものである。
 (エロレズにおいて、女同士のあいだに対称性・同質性を求めるのは間違っている。人類の遺伝子の多様性は、チンパンジーなどに比べてはるかに小さいのに、人種や民族のような差異で分断されており、人類の同質性を感じるのは難しい。これと同じ理屈で、女性しか出てこない世界では、女性の同質性を描くことはできない)
 対称性・同質性を求めるのをやめて、エロレズはなにを描くべきか。
 へっぽこくんやSOFTCHARMが見るべき試みを行っているので、まずはそちらを読んでいただきたい。私としては、以下のようなモチーフに未来を感じる。
・なりきりとコスプレ
 つまり、イメクラである。劇中劇になるのでやりにくい面もあるが、二次創作ならさほど難しくない。
・DID(Damsels in Distress)とストックホルム症候群
 「監禁されてハッピーエンド」――私の正義には反するが、おそらく十分に成立する発想だ。
 世界は進歩している。10年前と違って、いまならエロレズに賭けるのも、そう悪くないだろう。

Posted by hajime at 2005年02月06日 05:02
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