2005年07月08日

アンソロジー『[es] ~エターナル・シスターズ~ vol. 2』

 もう10年近くも前のことだ。私はある日、宗教の勧誘を受けた。相手はこう言った。「世の中はどんどん悪くなっていると思いませんか?」。「いえ、どんどん良くなっていると思います」と私は答えた。
 用意していた答ではない。実際、私はこのあともう二度と、同じ質問を受けていない。もし受けたら、必ず言ってやろうと思っているのだが。
 私はすべての変化を信仰する。盲目的に、といってもいいだろう。
 なぜ私がコンピュータに関心を持つのかといえば、これほど変化の速い分野もないからだ。ではなぜ百合に関心を持つのか。実はこの分野も、ある意味では、きわめて変化が速い。少なくとも、変化の種子を秘めている。
 ムーアの法則の基準でみれば、人間はほとんど変化しない。そのため、まんがや小説は、流行の最先端こそ移り変わるが、古いものがまったくのナンセンスになるという事態は起こりにくい。1970年のマイクロプロセッサには骨董品としての価値しかないが、1970年のまんがは、もしかすると当時の読者以上に楽しめる。
 では、1970年のまんがのうち、もっとも価値下落の著しいのは、どんなものか。
 私のみるところ、もっとも価値が下がったのは、恋愛を扱った作品だ。1970年の恋愛まんがの大半は、いまでは表現上の迫力しか残っていない。少なくとも、いま望月三起也『ワイルド7』を読むように手に汗握って読めるかといえば、否としかいえないものが多い。
 これには理由がある。アクションやギャグに比べて恋愛は、物理的・生物的・社会的な基盤に立脚する面が少ない。外部の基盤に深く根ざしていればいるほど、基盤が変わることなしには作品も変わることができない。もし明治維新のような大革命があって社会的な基盤が変われば、そういう作品も大きく変わるのだが、1970年から現在のあいだにそうした革命は起こらなかった。
 とはいえ、恋愛にも社会的な基盤があるではないか? その最たるものが結婚と夫婦生活――そのとおり。だから、「ある意味で百合は変化が速い」というわけだ。
 本書を読んでいると、百合と変化について考えさせられる。
 どう考えさせられるのかは、読者諸氏のご想像にお任せする。その想像が、明日の百合を作るのだ。

Posted by hajime at 2005年07月08日 00:35
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