『もっと!イグ・ノーベル賞』を読んでいたら、ロン・ハバートのくだりで、ランダムハウスが馬鹿をやらかしていたのが目に入った。なんと、「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」なるものを、一般読者にアンケートしたのだ。
ご想像のとおり、上位はカルト作家の目白押しである。ロン・ハバートの『バトルフィールド・アース』は3位に入っている。その下はトールキンだ。
このランキングを見て、私は気になった――ロン・ハバートを退けて1位2位に輝いた「アイン・ランド」とは、いったい誰なのか。
結論からいえば、レーニン主義者だ。それも、マルクス・レーニン主義に変質する前のレーニン主義者だ。
私のいう「マルクス・レーニン主義」や「レーニン主義」とは、政策の主張ではなく、もっと基本的な態度を指している。「ファシズム」という言葉が今では、思考を放棄した集団主義的な情熱を指すようなものだ。
態度としてのマルクス・レーニン主義の特徴はなにか。国家や社会への没入、教条的・観念的な正義感、中庸の感覚の欠如、そして、ユーモアの欠如である。粛清と戦争がこうした態度を育んだ。
典型的なマルクス・レーニン主義者としては、ソルジェニーツィンが挙げられる。彼の語り口はまさにマルクス・レーニン主義者のものだ。フォード大統領は、彼を馬鹿者とみなして、面会を避けたという(典拠)。柔軟さと共感能力をなによりも必要とするアメリカの政治家なら、そのように感じるのも無理はない。
レーニンはどうだったか。
国家や社会への没入は? 彼は「国家は死滅する」と予言した。
教条的・観念的な正義感は? そもそも彼に、正義感といえるようなものがあったのかどうかさえ怪しい。国政にあたっては、「君子は豹変す」の実例を数多く提供している。彼の権力欲と正義感は同一のものだったのではないか。
ユーモアの欠如は? 彼はユーモアの達人とはいえなかったが、よく笑った。精神異常を思わせるほどだったという。
ここまでは相違点を挙げたが、もちろん共通点もある。
マルクス・レーニン主義の目的は国家守護なので、現状を肯定する。レーニンの目的は政権転覆なので、現状を暗く描く。ただしどちらも、敵とユートピアを描いてみせることでは共通する。
もうひとつの重要な共通点が、素朴反映論だ。
認識論なるものを認めない――というのが(好意的にみれば)レーニンの言いたかったことなのだろう。が、そのために素朴反映論を持ち出してしまうのでは、病気で死にたくないからといって自殺するようなものだ。
ランドは、こうしたレーニン主義の態度を、すべて備えている。ただし、そのレーニン主義は、ソルジェニーツィンのマルクス・レーニン主義と同様、ある軸で反転している。
レーニンがユートピア的な集団主義者であったのに対して、ランドはユートピア的な個人主義者なのだ。
ランドが英雄として描く人々は、権力欲と正義感の板ばさみになったりはしない。利己主義の忠実なしもべだ。かといってランドの主張は、個人が生きるうえでの指針にはとどまらない。敵とユートピアを描いてみせる。そして、致命的なまでの、素朴反映論。
このインタビューはよくできていて、ランドの思想をうまく要約している。
レーニンに反論するのがたやすいように、ランドに反論するのはたやすい。だが、つまらない反論をしても、文字どおり、つまらない。
『鬼戦車T-34』というソ連映画がある。ドイツ軍の捕虜になったソ連兵が、T-34を奪って脱走を試みる。主人公は最後に、子供を助けようとして外に出たところを、狙撃されて死ぬ。
ランドにいわせれば、この死に様は、馬鹿げているだろう。私もそう思う。まったく馬鹿げている。私が主人公なら、こんなことはしたくない。
が、こんな馬鹿げた死に様を回避して、それでもっとましなことができるのかといえば、私はどうも、そんな気がしないのだ。