メイドの流派には、大きく分けて、正統派と現代派がある。正統派は19世紀後半のヨーロッパ、それもイギリスのメイドを基準とする。現代派は、現在の人間にとっての喜びや楽しみを基準とする。
正統派なら、メイドの身長は低くあるべきだ。当時の労働者階級の栄養状態は悪く、身長は低かった。メイドと雇い主の身長差は、今日では想像することさえ難しい。
が、身長の低い正統派メイドの例は、ほとんど見当たらない。現代派もやはり背の高いものが多い。メイド服は、身長が低いと似合わないからだろう。
*
平石緋沙子は私に尋ねた。
「設楽さまは、陸子さまの内縁の配偶者とうかがいました。本当でしょうか?」
背の高い女だった。
15歳だそうだが、「子」ではなく「女」だった。身長は170センチ近くあるだろう。公邸のメイドはどういうわけか、たいてい私よりも背が高いが、なかでも彼女は上位グループに属する。
私は想像してみた。自分が彼女と並んだとき、どんな風に見えるか。ちゃんと自分のほうが年上に見えるだろうか。24歳と15歳。顔つきや物腰からして違う、そういう差のはずだ。けれど15歳が彼女なら、肌をよく見なければ、わからないのではないか。
「いいえ。
さっそく、からかわれましたね。ここはバッキンガムとちがって小さなところですから、そういうことはよくあります。私のほうから、たしなめておきましょうか?」
新しく公邸にやってきた使用人は、先輩たちに挨拶回りをする。私は公邸にあまりいないので、なかなかつかまらない。彼女が私をつかまえたときには、私以外の先輩にはもうすべて挨拶をすませていただろう。
だから、こういうおかしな話を吹き込まれることにもなるのだろう。
「お気遣いありがとうございます。でも、いまのは嘘です」
「嘘?」
「『うかがいました』、のところが。そんな話はうかがっていません」
平石緋沙子。
今年7月、ヒースロー空港からの便で関西国際空港に降り立ったところを、出入国管理法違反で日本の警察に逮捕された。他人名義のパスポートの交付を受け、行使した疑い。その後、未成年の千葉人とわかり、外務省を経て鑑別所に移送。8月中旬、審判準備期間が切れて解放、同時に不審判決定。これは外交上の理由による決定だった。もし審判をしたら公判になり、日英千3国の外務省と内務省・警察、さらにはイギリス王室を巻き込んだ大騒動になったはずだという。
そんなでたらめな女が、解放されてから一月もたたないうちに、国王公邸で働いている。彼女のバックは、ずいぶんな大物らしい。
「そうですか。それなら私も嘘で答えるべきでした」
「別の答に変えますか? いいですよ?」
「いえ。厄介事は嫌いですので。嘘は厄介事の極みです」
「じゃあ、私と約束してください。
もし設楽さまが、陸子さまのことで私に嫉妬したら、そのことを私に隠さないでください。私も、設楽さまへの嫉妬を隠しません」
そんなにも私の思いは目に見えて明らかなのだろうか。自分が嘘のつけない性分とはわかっていても、これは少し悲しかった。
「それは、なんのための約束でしょう?」
「陸子さまのお心を安らかにしてさしあげるためです。嫉妬がよくないのは、嘘や隠し事を招くからです。嘘は厄介事の極みです」
「自信ありげなご様子ですね。陛下とはもうなにか、具体的なことが?」
「約束していただけたら、お答えします」
話しているうちに、だんだん彼女が15歳に思えてきた。頭はいいらしく、言葉は大人びている。けれど心は素直で、あどけない。『嫉妬がよくないのは、嘘や隠し事を招くから』――嫉妬したことがない人の言い草だ。
「……誠実に努力する、という約束ではどうでしょう?」
「かまいません」
「では、お約束します。さきほどのお返事を聞かせてください」
「遅番に回されました。それだけです」
遅番は午後3時から深夜までのシフトだ。体力的には厳しいが、陛下のお顔を拝する機会がもっとも多い。ただし彼女の場合は、遅番といっても、午後4時から9時までだろう。学校と労働法がある。
「平石さんは学校がありますからね。――ああ、これは嫉妬です、おそらく」
平石緋沙子は初めて笑った。
こんな風に笑う人なら、陛下がお気に召されるのも当然だし、そうあるべきだ、とさえ思った。
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