まさか誰も言わないだろうと思っていた。Binary 2.0、そんなものがあるとすれば、それはWindowsのことだ。
Windows 3.1とOLEに始まる12年の歳月を、MSが無駄に費やしたとお考えなら、いますぐに「私は馬鹿です」と顔に書くべきだ。非Windows陣営が同じ歳月をほとんど無駄に費やしたからといって、MSも同じだと考えるのは、まさに馬鹿のしるしである。
OLEに始まる一連のバイナリコンポーネント技術(COM、ActiveX、etc.)のなかで、MSは、コンポーネントを単一ベンダがバイナリで配布することによって生じる可能性を追求し、実現してきた。その全貌はとうていここで書ききれるものではない。その成果は、正しく理解して運用すれば、きわめて魅力的なものである。無数の野良ビルドの発生を防げないオープンソースにとっては、致命的な躓きの石にもなりうるほどだ。
「どこに革新が? たいがいはマイクロソフト」という問答は、バイナリにおいて特にあてはまる。
だから、Binary 2.0などとは、誰も言わないだろうと思っていた。だが誰かが言い出したからには、私も言わなければならない。Binary 2.0、それはWindowsのことだ。