遠距離狙撃の初弾はかわせるか。
ケネディ大統領暗殺のときの射距離は81m。遠距離狙撃に使うような銃弾の初速は1000m/s程度なので、発砲から着弾まで0.1秒もない。世界レベルの短距離ランナーでも、スタートの反応時間が0.12秒を切ることは稀だ。人間が関与していては絶対に間に合わない。
射距離400m以上になって、やっとわずかな可能性が出てくる。野球の打者が球筋を見分けるには0.2秒以上かかるので、デッドボールになる球に対しては、0.3秒未満の動作でかわしていることになる。射距離400mなら、あの程度にはかわせる可能性がある。
反応時間0.12秒は、神経を張り詰めさせて発砲を待ち構えているときの話で、平常時に0.12秒で反応するのは難しい。反応に0.3秒、動作に0.3秒として、射距離600m弱。この射距離では、動く標的を狙うこと自体が現実的ではない。
というわけで、遠距離狙撃の初弾はかわせない。夢のない話だが仕方ない。
*
月曜演説は正午から始まる。ただし国王が演説地に入る時間はもっと早い。
演説前に、その土地の有力者や、財団と縁の深い人物のところを訪れる。土地の有力者には、財団が推す政治家を伴ってゆき、選挙への協力を依頼する。財団と縁の深い人物には、一緒に写真を撮ったり、揮毫したりして、財団との結びつきを誇示する機会を与える。
ところが今日は、そうした予定がすべて演説後に変更になった。併合派テロ組織によるテロが計画されている、との情報が浮上したためだ。当初の予定より30分遅れて演説地に入り、到着から演説までの時間は、会場の控室でつぶすことになった。
控室の場所の件もあって、私は嫌な予感を覚えながら、公邸を出発した。
今日の演説地は、銚子の近くの田舎町だ。公邸そばのロシア陸軍基地からヘリで移動する。着陸までは護衛官はなにもできないので、陛下のお相手などをしながら、気楽に過ごす。
ヘリから降りて車に乗るまでのあいだが狙われやすい。1983年には迫撃砲によるテロがあり、ロシア軍兵士と財団職員に犠牲者が出た。
ローターの回転が止まり、車がヘリの前に横付けされる。財団の警護部職員が4人、ヘリの扉の前に並ぶ。
ヘリには装甲があるので、扉を閉じているあいだは、砲弾が直撃しないかぎり安全だ。乗員が何気なく扉を開けようとするのを、私は制止して、「安全確認をもう一度」と頼んだ。
「ひかるちゃん、なにかあったの?」
予防動作です、と私はご説明申し上げた。いつも同じタイミングで同じことをしていると、攻撃側にパターンを読まれる。ときどき違うことをすると、攻撃側はやりにくくなる。
「そうじゃなくて、ひかるちゃんの顔。ナーバスだよ」
「――申し訳ございません」
私は反射的に笑ってみせた。
「笑う門には福きたる、だからね」
陛下はご自分の頬に指をあてて、大きな笑顔を作ってみせてくださった。
と、イヤホンに、個人呼び出しの音がきた。私だけに聞かせている、という意味の音だ。
『状況は異状なし。無線に異常なければ、本部まで電話願います』
私は携帯電話で警護本部にかけて、異状なしと告げる。
扉を開けてもらい、車までほんの十歩ほどを歩く。まわりを財団の警護班4人が囲み、射線を妨げている。私は陛下の右斜め後ろを、体がぎりぎりぶつからない距離を保って歩く。傍目には何気ないこの動作が、実はとても難しい。初めてこの動作の訓練を受けたあとには、2日間は足腰が立たなくなった。警護対象から目を離して歩けるようになるまでに、一ヶ月かかった。
車は滞りなく、演説会場の市民ホールへと向かう。
施設の外周を警察が固めている。これといって普段と違うところはない。
通常の手順に従って、警護班、運転手、護衛官、国王の順で車から降りる。私は陛下の右斜め後ろを歩く。4人の警護班は、私よりも少し離れて、陛下を囲んで歩く。
と、イヤホンに、プッシュホンの6の音。
それは《発砲アリ》のサイン。
私は陛下の右腕をつかんで強くひっぱる。陛下のお身体は横に倒れながら回転する。警護部職員たちがこちらに飛びつこうとしているのが見える。私は陛下の倒れこむお身体の下に自分の身体を滑りこませる。
青空が見える。銃弾が飛来した感触はまだない。誤報か。
陛下のお身体を胸で受け止める。背中にアスファルトが叩きつけられる。防刃防弾チョッキが少しだけ役に立つ。陛下のお身体が私の胸にめりこむ。さらに警護部職員が降ってくる。私の身体は3人の巨漢に押し潰される。
銃声も着弾もない。誤報だ。
警護班のリーダーが、
「状況を願います」
『発砲閃光を検出しました』
「現場は銃声なし、着弾なし」
イヤホンから、本部のオペレータがうなり声をあげたのが聞こえた。
『誤検出です。状況に異状なし』
「状況に異状なし。了解しました」
私を押し潰している巨漢のひとりがぼやいた。
「なんでえ」
「さっさとどけ……」
私は息も絶え絶えになりながら抗議した。
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