お高くとまっているのが私の芸風だ。この芸風で、損をすることもあるし、得をすることもある。
得なのは、オチのつかないことが書きやすい。雰囲気で許してもらう。
損は、自分ではよくわからない。わからないから、こんな芸風なのかもしれない。だがおそらく、ほとんどの人間は、わからないようにできている。もしわかるものなら、誰もがみな同じ芸風で、同じことを書くだろう。
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自宅に戻ると、私はまず、ベッドのシーツを交換した。
できるだけ、なにも考えないようにする。いま思い出したくないことを思い出して、刺激されないように。
お風呂に入り、身体をすみずみまできれいにする。歯も磨く。
髪を乾かしてから、身につけていたものをすべて脱ぎ、ベッドの中にもぐりこむ。
私は、陛下のことを漠然と思い浮かべながら、自分の身体を慰めた。
現実的で具体的なことを想像すると、陛下のお気持ちが気になって、自分のことに集中できない。先日の入浴の際に拝見したお身体、肌が触れたときの思い、楽器のように鮮やかでかわいらしいお声、そんなものを漠然と思い浮かべる。
私の背中から電線がのびていて陛下につながっていて、私は陛下の一部で、陛下の思うがままに操られている――そんな空想もする。
陛下を思ってこうしたことは、まだ一度もなかった。けれど私の心と身体はごくあっさりと、それを受け入れた。
すぐに結末に至らないように事を引き伸ばしながら、じっくりと味わう。
いまの私の様子を、陛下がご覧になっている――そばにおられて目でご覧になるのではなく、背中の電線を通じて、遠くからこっそりモニターしていらっしゃる――そんな空想がわいてきて、私の身体にぴったりとはまる。
その空想がわいてからほどなくして、結末に至った。
それはとてもぴったりくる空想だったので、もっと続けたかった。けれど、身体がいうことをきかない。身体を使うのをあきらめて、じっとしたまま、事を反芻する。
もし、いま陛下がそばにおられたら、と思う。
いまなら、自分のことに集中する必要がないので、陛下のお気持ちを推し量ることも苦にならない。陛下のぬくもりと匂いを乞いたい。いったい陛下はどんなお顔で、どのように応じてくださるだろう。
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