2006年03月15日

ジョージ・オーウェル『水晶の精神』(平凡社)

 戦中から晩年にかけて書かれた評論を集めた本である。権力や全体主義を扱ったものが多い。
 権力や全体主義について書くとき、どんなアプローチをとればいいだろうか。オーウェルは、人間の弱さから入った。
 貨幣は鋳造された自由である。だから、自由のない人間ほど貨幣を有難がる――ドストエフスキーの言葉だ。貨幣が自由をくれるように、権力は強さをくれる、だから弱い人間ほど権力を有難がる――オーウェルのアプローチを私なりに要約すると、こうなる。
 このアプローチは、言うは易く行なうは難しだ。他人の強さは嫌でも目に付くが、弱さを感じ取るのは難しい。他人の弱さを感じ取るには、それと同じ弱さを、自分のなかに見出さなければならない。自分の弱さは、認めるだけでも辛いのに、見出すとなると絶望的に苦しい。だがオーウェルにはそれができたのだろう。
 本書のどの一編をとっても全人類に読ませたい傑作だが、特に、晩年のトルストイを批判した評論は、神業だ。頭の痛くなるようなたわごとから、トルストイの弱さを探り当てて、鮮やかに描き出す。人間に対する興味と尊敬と同情が詰まっている。
 松本清張の最高傑作は『点と線』ではない。あれはただ歴史のいたずらで有名になっただけで、最高傑作どころか最低駄作だ。同様に、オーウェルの最高傑作も『1984年』ではない。あれはソルジェニーツィンなみにくだらない。よい本を求める全人類に、本書を勧める。

Posted by hajime at 2006年03月15日 22:58
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