書くことは少しだけ戦争に似ている。
「おれは三回ヴェトナムに行ったが、何度か危ない目にあったことがある。そんなときは、小便をちびるほど恐ろしい。それでいいんだ」(スティーブン・ハンター『極大射程』下巻286ページ 7andy)
*
その晩、美園から電話があった。
着信するなり開口一番、
「ひかるさん、この屈辱は忘れないからね。一週間くらい」
「そうですか。私はもう忘れました」
「忘れた? なにを?」
「手枷足枷に首輪にコルセット、こちらで預かっています」
「もう悪者やめたから聞くけどさ、そんなに嫌だった? それなら謝りたいんだけど」
「わかりません。忘れましたので」
余裕綽々で応じていると、矢のように飛んできた。
「でも私の匂いは覚えてるでしょう」
鼻孔に、あの健康な汗の匂いが、よみがえる。
「やめてください」
思わず声が低くなる。
「あれのせいで変な癖ついた? 責任は取るよ。欲しくなったら言って。おやすみ」
電話が切れた。
*
「私ねー、もうじき風邪ひくかも」
帰りの車中で、陛下がおっしゃった。
「なにかお身体に障りがございますか?」
月曜日は、国王の1週間のなかで一番辛い。月曜演説だけでも移動や準備で負担が大きいうえに、演説地の地方党組織の幹部と会うことが多い。これは、国王だからといってちやほやしてくれるような相手ではない。特に今日の相手は、名うての割譲派だった。
「それはないんだけどー。予感っていうか、予想っていうか、予定っていうか」
つまり、仮病でずる休みをしたい、という意味だ。私は微笑んで、
「かしこまりました。ご不例は明日でしょうか?」
「たぶん、あさって」
その『たぶん』が気になった。運転手に聞こえないよう声をひそめて、
「月のものでしょうか?」
「なにそれ?」
「つまり、生理でしょうか?」
「……えいっ」
陛下は握り拳で、私の眉間をごつんとなさった。かなり本気の一撃だった。涙が出てきて、ハンカチをあてる。
「明日はひさちゃんがお休みでしょー?」
「恐れながら申し上げます。私をお叱りくださるのは嬉しいのですが、罰はもう少し手加減くださいませ」
「ひかるちゃん、目が恐いよ? いけないなー、もっとしてあげる」
私は罰を覚悟して顎を引いた。けれど陛下は、
「うそうそ。いたいのいたいの、とんでけー」
と、おまじないをかけてくださった。
「ありがとうございます」
私が幸せに包まれていると、
「……あ、生理って、そっかー。ごめんね」
なにごとかを納得なさったらしく、うなずかれた。私はわけがわからず、
「なんのことでしょう?」
「え? ちがうんだ? なーんだ」
私がとまどっていると、陛下は私の耳に囁いてくださった。
「私のおまんこなめるつもりできいたのかなー、って」
恥ずかしいというより、どうしていいかわからなかった。
「……恐縮です」
「苦しゅうないよー」
陛下の笑顔につられて、私も笑う。
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