2006年04月17日

1492:36

 書くことは少しだけ戦争に似ている。
 「おれは三回ヴェトナムに行ったが、何度か危ない目にあったことがある。そんなときは、小便をちびるほど恐ろしい。それでいいんだ」(スティーブン・ハンター『極大射程』下巻286ページ 7andy

 
                         *
 
 その晩、美園から電話があった。
 着信するなり開口一番、
 「ひかるさん、この屈辱は忘れないからね。一週間くらい」
 「そうですか。私はもう忘れました」
 「忘れた? なにを?」
 「手枷足枷に首輪にコルセット、こちらで預かっています」
 「もう悪者やめたから聞くけどさ、そんなに嫌だった? それなら謝りたいんだけど」
 「わかりません。忘れましたので」
 余裕綽々で応じていると、矢のように飛んできた。
 「でも私の匂いは覚えてるでしょう」
 鼻孔に、あの健康な汗の匂いが、よみがえる。
 「やめてください」
 思わず声が低くなる。
 「あれのせいで変な癖ついた? 責任は取るよ。欲しくなったら言って。おやすみ」
 電話が切れた。
 
                        *
 
 「私ねー、もうじき風邪ひくかも」
 帰りの車中で、陛下がおっしゃった。
 「なにかお身体に障りがございますか?」
 月曜日は、国王の1週間のなかで一番辛い。月曜演説だけでも移動や準備で負担が大きいうえに、演説地の地方党組織の幹部と会うことが多い。これは、国王だからといってちやほやしてくれるような相手ではない。特に今日の相手は、名うての割譲派だった。
 「それはないんだけどー。予感っていうか、予想っていうか、予定っていうか」
 つまり、仮病でずる休みをしたい、という意味だ。私は微笑んで、
 「かしこまりました。ご不例は明日でしょうか?」
 「たぶん、あさって」
 その『たぶん』が気になった。運転手に聞こえないよう声をひそめて、
 「月のものでしょうか?」
 「なにそれ?」
 「つまり、生理でしょうか?」
 「……えいっ」
 陛下は握り拳で、私の眉間をごつんとなさった。かなり本気の一撃だった。涙が出てきて、ハンカチをあてる。
 「明日はひさちゃんがお休みでしょー?」
 「恐れながら申し上げます。私をお叱りくださるのは嬉しいのですが、罰はもう少し手加減くださいませ」
 「ひかるちゃん、目が恐いよ? いけないなー、もっとしてあげる」
 私は罰を覚悟して顎を引いた。けれど陛下は、
 「うそうそ。いたいのいたいの、とんでけー」
と、おまじないをかけてくださった。
 「ありがとうございます」
 私が幸せに包まれていると、
 「……あ、生理って、そっかー。ごめんね」
 なにごとかを納得なさったらしく、うなずかれた。私はわけがわからず、
 「なんのことでしょう?」
 「え? ちがうんだ? なーんだ」
 私がとまどっていると、陛下は私の耳に囁いてくださった。
 「私のおまんこなめるつもりできいたのかなー、って」
 恥ずかしいというより、どうしていいかわからなかった。
 「……恐縮です」
 「苦しゅうないよー」
 陛下の笑顔につられて、私も笑う。
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Posted by hajime at 2006年04月17日 02:42
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