2006年04月22日

1492:37

 民主的な国なら、首相や大統領に投じられる費用(給与や警護)は、その国の一人当たりGDPによってだいたい決まる。
 が、立憲君主制国家の君主に投じられる費用は、一人当たりではないGDPに大きく影響される。たとえば、日本の皇室予算は約250億円、デンマーク(人口541万人)の王室予算は約11億円だ。

 
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 水曜日、陛下は本当にお風邪を召された。
 熱や咳はそれほどでもないものの、お声が出ない。まったく出ないのではなく、出すと痛むとのこと。昼食をご一緒した際も、仕草や表情ばかりで、お声はほとんど聞かれなかった。楽器の奏でるような鮮やかなお声をなによりも誇りとなさる陛下にとっては、辛い病状にちがいない。
 それでも陛下は、この休日を有意義に過ごされているようだった。昼食のときに当番のメイドから聞いた話では、TVゲーム、アニメ、読書と、趣味に熱中しておられるとのこと。
 私は、執務室で書類仕事をしていた。今日の課題は、攻撃のシナリオだ。警護の隙を突くシナリオを書き、その成功の可能性を評価することで、警護の改善に役立てる。
 午後3時、おやつをご一緒するために、お部屋に伺う。
 陛下が公邸で昼食をとられるときには、お側仕えの者は全員ご一緒する。だから陛下のお声がなくても、賑やかに過ごせる。けれど、おやつの時間には、ご一緒するのは私だけだ。当番のメイドはついているものの、お仕事モードで、雑談にも加わらない。
 陛下はお布団の上に座っておられる。ときどき私がしゃべり、陛下は仕草と表情で応えてくださる。あとは、静かにお菓子を食べ、お茶を飲む。不思議な気分だった。
 「では、下がらせていただきます」
 私が腰を上げると、
 「たいくつ」
と、陛下がひとこと、おっしゃった。
 「私でよろしければ、無聊をお慰めします。昔話でもいたしましょうか」
 この昔話というのは、私が口からでまかせに作るものだ。とりあえず『昔むかしあるところに』と言ってから、話を考える。
 陛下は首を左右になさり、
 「ひかるちゃんも、たいくつして」
 私は微笑んだ。
 「ここにいるだけで、よろしいのですか? では、喜んで」
 陛下はお布団に横になられた。私はその側に座っている。当番のメイドが、おやつの皿などを持って下がり、二人きりになった。
 眠気を覚えられたのか、陛下のまぶたが下がる。私はそのお顔を見つめていた。目を閉じたお顔をこんなにじっくりと拝見したのは、初めてだった。見慣れたお顔は、少し様子が変わるだけで、見ていて飽きない。
 ふと、まぶたが開く。
 陛下と目が合う。私は微笑み、視線をわずかに外した。
 すぐにまた、まぶたが下がる。私はまたお顔を見つめる。
 陛下のお顔は骨格からして美しいが、肌のお美しさときたら、基礎化粧品の広告に出られそうなほどだ。美容担当の働きがいいのだろう。今度、遠野さんに会ったら、褒めてあげなくては。
 まぶたが開く。
 さきほどと同じように、私は微笑んで視線を外す。すぐにまぶたが下がり、私はまたお顔を見つめる。
 陛下のお顔は美しく整っておられるものの、完璧な均整ではない。丸顔で品がない、という悪口は、当たっていなくもない。けれど、もし完璧に整っていて、品のある面長の顔だったら、それはただの別人だ。私が自分の顔を変えたいとは思わないように、陛下にも違うお顔であってほしいとは思わない。
 まぶたが開く。
 「たいくつして、ないでしょ」
 「はい。申し訳ございません」
 「あっち見てて」
 陛下は障子のほうを指で示された。私は仰せのとおり、障子のほうを向いた。
 もう見るべきものはなく、思いをかきたてられることもないのに、私はわけもなく、わくわくする。わくわくしている自分がおかしくて、それがまた楽しい。
 陛下の息の音が聞こえる。眠っているように穏やかな。
 時間が止まっているような時間だった。この時間は終わることなく、永久にこのまま続くような。
 お布団から衣擦れの音がして、陛下はおっしゃった。
 「て」
 見ると、陛下の御手が、お布団からはみ出していた。手のひらを上にして、誘うように開いている。
 私は、自分の左手を重ねた。御手はそれをつかむと、布団の中にひっこんだ。
 指をからめるように、互いの手を握りあう。
 「……これでは、退屈などできません」
 「もういいの」
 時間の感覚が遠のく。
 いつのまにか陛下は眠りについておられた。規則正しい息の音が、ますます時間の感覚を遠ざける。
 
 静かに襖が滑り、緋沙子が現れた。時計を見ると、確かに4時だった。緋沙子がくる時間だ。
 私は口に指をあてて、声を出さないようにと伝えた。緋沙子はうなずき、無言のまま忍び足で私のそばにきて、座った。
 私の左手が、陛下のお布団の中にあるのを、いぶかしく思ったらしい。指でさして、目顔で尋ねる。説明のしようもなく、私は右手を差し出した。
 その右手を、緋沙子は、両手で握りしめた。
 そのとき私は目を丸くしていたと思う。緋沙子は私の反応を窺うように、上目づかいに私を見ていた。
 驚きが収まったころ、私の手の指先を、口に含んだ。舌で、ちろりちろりとなめる。前歯で、甘噛みする。
 私は手をひっこめた。
 緋沙子は恨みがましそうな目で私の顔を見た。すぐに立ち上がり、また忍び足で離れてゆく。
 緋沙子が出ていって、初めて気がつく。
 まずいことになった。
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Posted by hajime at 2006年04月22日 03:33
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