防弾装備について。
作中では面倒なので『防刃防弾チョッキ』で通しているが、本当はこんな感じだ。写真ではただの厚ぼったいTシャツに見えるが、750グラムと重い。それでもこの製品は防刃が弱いので、これよりもさらに厚ぼったいものをイメージされたい。また、両脇は開いていて、マジックテープで前後を留めるようになっている。そうやって体に密着させることで目立たなくするわけだ。
こんな薄い布で止められる銃弾は、それほど多くない。しかし、これを着用した人体なら、かなりの銃弾を止めたり逸らしたりできる。
*
「ひかるちゃん、お布団敷いて」
緊張していたせいか、一瞬、反応が遅れた。陛下は少し不安そうになさり、
「――露骨だった? でも、途中で出すのもつまんないでしょ?」
私は仰せの通りにした。
枕を布団の上に置いたときに、和室と布団の組み合わせから、古風な新婚旅行を連想して、
「枕が2つあると、それらしいのですが」
「あ、それ、いい! 岩崎さんに出してもらって」
私は携帯電話で岩崎さんに連絡した。枕はすぐに届き、布団の上に2つ並んだ。
「あとは、夜で、お風呂あがりで、浴衣かー。
夜は、どうしようもないよね。
お風呂あがりだと、ひかるちゃんが盛り上がらないから、これもしょうがないか」
「私はお風呂あがりでもいっこうに――」
「せっかくお散歩して、汗かいたんだよ?」
陛下はお召し物の袖をつまんで示された。こんな淡い匂いが届くほど近くはないのに、私の鼻は、陛下のお身体の匂いをかぎとっていた。私は顔を赤らめて、そむけてしまう。
「あーっ、ノリ悪ーい。
……って、私もだね。もういいや。寝る」
陛下はお布団に入ってしまわれた。私は笑って、
「おやすみなさいませ」
「おやすみー」
陛下は、お布団の左側を空けるように、右側に寄っておられる。私はジャケットとネクタイだけ脱いで、お布団に身を滑りこませた。
陛下の指先が、私の指に触れる。
握るのは、陛下のご安眠を妨げることになる。まさか本当に眠っておられるのではないだろうが、そういう設定になっている。握るかわりに、指が離れないように、触れつづけているように、注意する。
ベルトや防刃防弾チョッキをつけたままで布団に入るのは、どうも落ち着かない。陛下も、私ほどの重装備ではないとはいえ、落ち着かないのは同じはずだ。
「そのお召し物のままでは、お身体が休まりません。脱がせてさしあげます」
「おねがーい」
そうおっしゃったものの、陛下はお身体を起こしたりはなさらない。このまま脱がせるように、との思し召しだろう。私は掛け布団をはいで、スカートのファスナーから外していった。
何度もうつぶせと仰向けを入れ替え、腰や背中を浮かせていただき、次は下着というところまでたどりついた。その先へゆく前に、私は手を休めて、お召し物を畳む。
そこへ陛下が、
「ひかるちゃんは、そっちのほうが好きなんだよねー?」
そっちというのは――お召し物のことだとすぐに悟る。
「私は、」
「むきにならないの。笑顔。これ、命令ね」
私はとっさに笑顔を作った。
「はい」
「わかった? ほんと? じゃあね、命令。
私の服のほうが、私よりも好きなんだって、認めなさい」
笑顔を崩さないようにしながら私は、
「お言葉ですが、」
「め・い・れ・い。ひかるちゃんはー、私のいうことをー、きくの」
「……かしこまりました。
私は、陸子さまよりも、陸子さまが召されたあとの衣服のほうが、好きです。認めます」
「私の服が、どんな風に好きなの? いつもいっしょにいたい? 手をつないでほしい?」
それで陛下のお考えがわかってきた。
「いいえ。ただ匂いをかいで――」
この癖が陛下にばれたときに、仰せつかった。匂いをかぐのを、『ちゃんと楽しむこと。「自分でもわけがわからない」、じゃなくて』。宿題を調べられている小学生のような気分だった。
「――気持ちを満たしたいだけです」
「それって、布団のなかでもできるよねー?」
逆らう理由もない。
自分の服を脱ぎ、シャツの下の防刃防弾チョッキも脱ぐ。
脱いだとき、陛下の視線を感じて目を上げると、まさに私を見つめておられた。恥ずかしくて、腰に手を回してしまう。けれど陛下が目をそらしてくださる様子はない。私はブラジャーに手をかけた。すると、
「下着は脱がないで。それと、私のシャツブラウス、持ってきて」
そうして私は布団に戻った。
すべきことはわかっていた。お互いの息がかかる距離で、陛下と向き合いながら、
「お願い申し上げます。陸子さまのお召し物の、ぬくもりと残り香を楽しむことを、どうかお許しください」
本当はもう楽しんでいた。お布団には、陛下の匂いがしみついている。
「いいよー」
お召し物を鼻に近づける。
落ち着くと同時に、高揚する。きっと私はいま妙な顔をしている。目を細めて、微笑んでいるような、眠たそうな。
その最中に、陛下は私の手から、お召し物を奪い取ってしまわれた。奪い取って、ご自分の胸に押しつけながら、
「ほら、もっと、くんくんして」
一瞬そうしかけて、やめて、そのかわりに、まず陛下の唇に指で触れ、次に、唇で触れた。
「こっちのほうが好きなんでしょ?」
と、お召し物を示される。
「浮気でございます」
私は素早く自分の下着を脱ぐ。脱いだものを枕元に置こうとした手を、陛下はおとりになり、
「ひかるちゃんの、くんくんしちゃうよ」
そうおっしゃって、そうなさった。
私は理不尽なくらい昂ぶった。お身体の上におおいかぶさり、自分の肌をこすりつける。気のきかないやりかただとはわかっていても、どうしても、こうしたかった。
「私の服にしてるみたいに、して」
大いに不満だったが、陛下の仰せには否応もない。
「……かしこまりました」
「胸とか、いいんじゃないかな?」
陛下は華やかな下着を好んでお召しになる。その下着に包まれた胸に、鼻を近寄せて、匂いをかぐ。
匂いをかぐ行為には、言葉も接触もない。お互いの表情も見えない。陛下はこんなことを楽しまれるのだろうか。お顔をうかがうと、目が合う。
「楽しくない?」
「陸子さまが退屈なさっているのではと、気にかかりました。これといって動きのないものですので」
「私の服にするときも、そんなこと気にしてる? 服は退屈しないよ?
私は、ひかるちゃんがひとりで勝手にさかってるのが、好きなの。ええとね、だから、私でオナニーしてほしいの」
陛下はいつも、言いにくいことを、ためらいなくおっしゃる。私はあまりそういうことを言えないたちなので、どう申し上げたものか困ってしまう。
「陸子さまのお召し物で、そのような真似をしたことはございません」
「おまんこ使うばっかりが能じゃないよ。ひかるちゃんが匂いをかぐっていうのは、鼻で気持ちよくなるんでしょ?」
それで私は、陛下のお身体をてっぺんからつま先まで、匂いをかいでゆくことにした。胸から始まって、わきの下、首、口、耳と進んでいったが、髪まできて、やめた。
「申し訳ございません。鼻が疲れて、匂いがよくわからなくなってきました」
鼻そのものより、精神的に疲れた。匂いをかぐのは疲れることだと、初めて知った。
「それじゃ、ひとやすみしよ」
けれど私は休まず、陛下の下着を脱がせてさしあげた。
補正力のある下着なしで横になると、陛下のあのとても女らしいお胸も、存在感がない。それが寂しくて、胸のふくらみを作るようにまさぐってみると、その手ごたえに驚いた。もしこれが胸なら、私のは胸ではない。
「ひかるちゃんに揉まれたら、もっと大きくなっちゃうよ?」
陛下がご自分の胸をどのように思っておられるのか、私は知らない。誇りとなさっているのか、厄介に感じておられるのか。その両方だろう、と見当をつけた。
「大きくなったぶんは、私が支えてさしあげます」
その胸に唇で触れ、歯を立てて、甘く噛む。緋沙子がしてくれたように。
事の終わりまで、緋沙子の名前はあがらなかった。
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