今回出てきた、キング牧師の言葉について。
アメリカではかなり有名な名言らしい。原文は以下のとおり。
If a man is called to be a streetsweeper, he should sweep streets even as Michelangelo painted, or Beethoven composed music, or Shakespeare wrote poetry. He should sweep streets so well that all the hosts of heaven and earth will pause to say, here lived a great streetsweeper who did his job well. 引用元
作中の訳は私である。
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緋沙子のことはあきらめよう、と思った。
強い力だった。意志と情熱が、陛下のお心から流れ出て、見えない水路をたどり、私の心に注ぎ込まれる。
私には自分の意志なんてないのかもしれない、と思った。
私の背中には電線が生えていて、陛下が操作なさっているような気がする。私の決意も翻意も、陛下の思うがままで、陛下を楽しませているだけ――そんな妄想さえ浮かぶ。
陛下とめぐりあうまで、私はまったく違う道を歩んでいた。
まんがを描きたかった。アシスタント修行に明け暮れ、たくさんの友人と出会った。全世界の運命よりも、自分のネームのほうが重要だった。マーチン・ルーサー・キング牧師は言った。「もし道路掃除人になったなら、ミケランジェロが描いたように、ベートーベンが作曲したように、シェイクスピアが作詩したように、道路を掃除しよう。主がそこに立ち止まり、『ここには偉大な道路掃除人がいた』と言うほどに、道路を掃除しよう」。まさに私はそんな風にまんがを描きたかった。
今でも、それがどうでもいいことだとは思わない。もしこれから先、なにかのめぐりあわせで、またまんがを描くようになれば、きっと同じように心血を注ぐだろう。
けれど、今のところは、そういうめぐりあわせにはない。
「陸子さま――」
きっといま私はとても恥ずかしい顔をしているにちがいない、と思う。自分自身を客観的に見ようとする気持ちが、ほとんどなくなってしまっている。
「なーに?」
「私の望みも、陸子さまでございます」
「望んで。うーんと」
「陸子さまが、どんなに平石さんのことを気にかけておられるか、存じております」
陛下のお顔が曇った。けれど私はかまわず申し上げた。その言葉は、自分でも意外で、しかも自然だった。
「私が平石さんを引き取ります」
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