2007年02月26日

永遠の愛

 クンデラ『不滅』(集英社文庫)の冒頭近くで、主人公アニェスは思考実験をしている。設定は以下のとおり。
 アニェスが、夫ポールとともに自宅にいるところに、ある特別な訪問者がやってきた。その訪問者とは、地球と人類の創造者である。彼が告げたところによれば、人間はその死後、別の惑星に送られて別の生を与えられるという。それに引き続いて彼は、アニェスとポールにこう問いかける。以下72ページから引用する。

 「(中略)つぎの生において、あなたがたはずっと一緒にいることをお望みですか、それとももう会わないことをお望みですか?」
 アニェスはその質問を予期していた。だからこそ、訪問者と二人きりになりたいと思ったのである。ポールの前では、「もう彼と一緒に生きることを望みません」とは答えられないことを、彼女は知っている。彼のいるところでそんなふうに答えることはできないし、彼のほうにしても、彼のほうもまた来世の生をいまとは違うように生きたい、したがってアニェスなしで生きたいと思っているのは確からしいにせよ、彼女の前ではそうは答えられない。なぜならば、たがいに相手のいるところで、大きな声で、「つぎの生においては、わたしたちは一緒にいることを望みません。もう会うことを望みません」と言うことは、「わたしたちのあいだにいかなる愛もこれまで存在しなかったし、いまも存在していません」と言うのに等しいだろうから。それは彼らには大きな声では言えないことなのだ、彼らの共通の人生(すでに二十年間の共通の人生)は、愛の幻影の上に、二人とも心くばりして開発し維持している幻影の上にのっているのだから。それゆえ、この場面を想像して遂に訪問者の質問に到達すると、自分がいつも妥協するであろうこと、自分の願いに反して、自分の望みに反して、最後には「はい。もちろんですわ。つぎの生においても、あたしたちはずっと一緒にいたいとあたしは望んでおります」と、答えてしまうであろうことを彼女は知っている。

 この問題のことを仮に『アニェス問題』と呼ぶことにする。

 
 まず模範解答から。
 アニェスの置かれている具体的な状況に限らず、いかなる状況であろうとも(たとえ配偶者のことをどれほど愛していても)、「もう会わないことを望む」と答えるのが正解だ。
 問題は、もうひとつの選択肢、「ずっと一緒にいる」の「ずっと」にある。設問ではこれは事実上、無限(永遠)を意味している。これがもし、「次の生における一生のあいだ(そして次の次の生は存在しない)」であれば、その内容を検討してから答えるべきだろう。しかし永遠では話にならない。
 なぜか。
 まず、アニェスの置かれている具体的な状況にひきつけて答えよう。アニェスは愛の幻影を維持しなければならないが、その幻影は、永遠を要求するべきではない。「現在の生における一生のあいだ」と有限期間に限定された(現実の生活では自動的にそうなっている)からといって破壊されるような幻影は、そもそも価値が低い。
 永遠を要求する幻影は、離婚などによって遡及的に破壊される。現実に破壊が起こるかどうかは問題ではない。その可能性がある、という点が問題だ。このような可能性に脅かされている幻影は、薄く弱い。安定性に乏しく、動機付ける力も弱い。
 つまりアニェスは戦術上のミスを犯している。永遠を要求するような愛の幻影という、価値の低い地点を守ろうとしているのだ。
 この理屈は、アニェスの置かれている具体的な状況にかぎらず、あらゆる状況で成立する。遡及的に破壊される可能性がある地点を占めるべきではない。

 
 さて本題である。
 このアニェスという登場人物は、私にとって大きな謎だ。強い親近感を覚えつつも、理解を絶する。価値の低い地点を守ろうとするのも、アニェスが馬鹿だからと片付けるのではなく、人物造形の一環として捉える必要がある。
 アニェスは人類との無関係を望んでいる。彼女は、愛する亡父のことを空想して、印象的な振る舞いをさせている。以下41ページから引用する。

 (中略)父は沈みつつある船に乗っている。あきらかに、救命ボートは全員を受けいれることはできそうにないので、甲板では押しあいへしあいが猛烈になっている。父はまず最初は他のひとびとと一緒に走りはじめるのだが、激しく足を踏みつけあうのも辞さずに、身体と身体をぶつけあう乗客たちの白兵戦にぶつかったり、道筋を妨げているというので、あるご婦人から拳で激しい一撃を受けたりして、ふいに立ちどまり、ひとりだけ離れてしまう。結局、喧騒と罵詈雑言のなか、荒れくるう波の上にゆっくり降りてゆく、すしづめのボートを父はただ見まもるだけ。
 (中略)憎しみというものの罠は、憎しみがわれわれをあまりにきっちりと敵に結びつけてしまうことである。それが戦争の猥褻さである。相互に流される血の親密さ、眼と眼を見つめあってたがいに刺しちがえる二人の兵士の淫蕩な接近。アニェスはそう確信している。というのは、父が嫌悪したのは、まさしくそういう親密さなのだ。船の上での押しあいへしあいが彼の心を嫌悪感でいっぱいにしたので、むしろ溺死するほうを選んだのだ。たがいに打ちあい、足を踏んづけあい、相手を死地に送りあうひとびととの肉体的な接触は、海の清浄さのなかでの孤独な死よりも、ずっと厭わしいと父には思えたのだ。

 この振る舞いは、アニェスがかくありたいと願う自分自身でもある。
 アニェス問題における彼女の振る舞いは、人類との無関係を望むこととつながっている。愛の幻想も、できるだけ価値の低いものであってほしいと彼女は願っている。動機付けられることを望まないのだ。そのためにかえって物理的には夫ポールに結びつけられてしまうという逆説が、(アニェスの具体的状況における)アニェス問題のキモである。
 『不滅』の作中では、物理的に結びつけられた状態を選んだまま、アニェスは死ぬ。踏み切らないまま、やらかさないまま死んでしまうあたりが、糞大人の糞文学たる所以だ。
 では、やらかしてしまったら、どうなるのか――という話をいま書いている。が、やはりどうにも理解できない。アニェスとは長い付き合いになりそうな予感がする。

Posted by hajime at 2007年02月26日 01:44
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