笙野頼子『絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男』(河出書房新社)を読んだ。
内容紹介は面倒なので省略。各自読むなり調べるなりされたい。
感想――知感野労こと「普通の男」は、まるで光源氏だ。作者もこれに気づいていたのか、25ページで「紫ノ上萌エー」とおちょくっている。
光源氏は、幼児的全能感と嫌味が服を着て歩いているような男(つまり「普通の男」)で、自分よりランクの劣る女にしか手を出さない。たとえば紫の上は源氏物語中で最高の女とされているが、光源氏は紫の上がまだ幼いときに、つまり美貌や知性といったランク要素がまだ発達していないときに、手を出している。なぜランクづけするのかといえばもちろん、相手を見下して安全を得るためである。見下せない女が相手では、自分の幼児的全能感が傷ついてしまうかもしれないからだ。そんな奴が天下の色男というのだから紫式部の悪意が炸裂である。脳の半分が嫌味、残り半分が悪意でできているような連中(平安貴族)は大喜びしたことだろう。あるいは紫式部も「にっほん」の住人だったのか。
さて紫式部の嫌味と悪意にくらべて笙野はどうかというと、どうも圧倒的に負けている気がする。知感野労は単なる悪役で、主人公はその支配に抵抗する正義の人という構図では、嫌味も悪意も出てこない。山墓二円(現代版光源氏)のろくでもない物語のほうが面白そうだ、と思ってしまったのは私だけだろうか。