笙野頼子『極楽・大祭・皇帝』(講談社文芸文庫)所収の「皇帝」を読んだ。一言でいえば、史上最強のひきこもり小説である。
タイトルの「皇帝」とは、ひきこもりの主人公の自称である。といってもひきこもりなので、称する相手は自分自身、というよりは「声」だ。皇帝は、「声」に抵抗して、一日一日をやっとの思いで生き延びている。
声 おまえはおまえだ
皇帝 私は私ではない
ひきこもりの密室においても人は社会から自由ではない。たとえば、「おまえはおまえだ」と自同律を押し付けてくる声は、ひきこもっている本人の魂に染み付いていて逃れられない。社会の実態のなかでは自同律など建前だが、ひきこもりの密室のなかでは公理となって暴力的に皇帝に迫る。
皇帝は、声と戦っていないときには、人類が全員ひきこもりになった理想世界を夢想する。その理想世界では人は、生涯に一度も他者と出くわさない。身体的接触はおろか会話さえもないので、魂に「声」を染み付かせることもなく、ひきこもりの密室は完璧なものになる。皇帝は本気でこの理想世界を建設するつもりでいる。
ひきこもりの密室の迫力はもちろんのこと、密室のなかで跳梁する個人言語をすくいあげる作者の技量も素晴らしい。コミュニケーション能力とやらが豊かだと自称するリア充の言語に対して、根源的で徹底的な闘争を演じている。
他人を「リア充」と妬む暇がある人は、この「皇帝」を読むべきだ。自分のリア充っぷりと日和見主義を恥じて死にたくなるだろう。