最近の「これはひどい」といえば、少女漫画に学ぶ[ヲトメ心とレンアイ学]『海の闇、月の影』編である。
篠原千絵『海の闇、月の影』といえば少コミ史上屈指の大傑作だ。私の大のお気に入りでもある。それがこんな杜撰な自虐disのネタにされては黙ってはいられない。なお以下ネタバレを含む。
で、この流水、なんでこんな悪いことをするかというと、好きで好きで仕方がない、当麻先輩が欲しいから。ところがどっこい、この当麻先輩は、双子の流風とイチャイチャむんむんお付き合い中なのだ。簡単に言えば、双子の妹と自分の恋しい男がイチャイチャしやがるので、腹が立って暴れてる女に超人的な能力が備わっていた、という話。
なんとも無邪気に吹き上がってくれたものだ、この糞ヘテロセクシストが。
筆者がまさか本気でこんな読みをしているとは思わない。「そこはお約束で」という気分で、ヘテロセクシズムにねじまげてみせたのだろう。私が許せないのはそこだ。
難しいところでヘテロセクシズムに流れても、別に文句はない。それなら百合的な読みに接したとき、「そんな読みがあるのか!」と膝を打ってくれるだろう。が、『海の闇、月の影』はエンターテインメントにふさわしく、明快な読みを与えている。
『海の闇、月の影』の旋回軸は姉妹の相克であり、当麻先輩はその焦点のひとつにすぎない。流水が豪快な悪事に乗り出すのも、姉妹の相克へと流風を追い詰める狙い(物語上の)がある。だから流水は、極悪人にふさわしい自滅(『白雪姫』の王妃のように)ではなく、流風の手にかかって死ぬ。これでもし流水と流風が赤の他人なら迷惑千万なストーカー事件だが、一卵性の双子という設定により、「宿命の二人」という関係になっている。
以上の読みはまず間違えようのないもので、筆者にもわかっているはずだ。しかし普通に紹介するのでは、お題との関係で面白くないと思って、「そこはお約束で」という気分で、ヘテロセクシズムに歪曲したのだろう。
そんなお約束を押し付けるな。
ヘテロセクシズムに歪曲するまでもなく、ヘテロセクシャルにしか読めない作品は世にいくらでもある。なのに、よりにもよって『海の闇、月の影』をヘテロセクシズムに歪曲するとは。こういう非道をなんと言い表したものか。不見識? 杜撰? 体制翼賛? もっと的確な言葉がありそうなものだが、思いつかない。
自虐disのために『海の闇、月の影』を歪曲するとしたら、たとえば以下のようにするべきだ。
流水は、「私と流風は一心同体!」と思い込んでいた。同じ暮らしをして、同じ顔で、同じ男(当麻先輩)に憧れて、一心同体のつもりでいた。ところが、当麻先輩と流風がつきあうことになり、「一心同体」が崩壊してしまう。それで流水はパニックに陥って、「なによっ! 生まれる前から一緒の私を捨てて男なんかと!」と泣きわめいて大騒ぎ――ができればよかったんだろうね。そのかわりに流水は、壮大な八つ当たりを始めてしまう。怪しい超能力とウィルスを駆使して、「当麻先輩をよこせ」と流風に要求したり、さらには人をバンバン殺したり洗脳したり、果ては人類滅亡しそうなほどの破壊活動にいそしんでしまう。
「私と流風は一心同体!」。流水と流風は一卵性双生児というマンガ的に特別な関係だから、こんな思い込みもアリだよね、という演出になっている。流水みたいに強烈に思い込んだあげく八つ当たりをしても、「特別な関係だから」で済まされる演出になっている。
でも、胸に手を当てて、小中学生の自分を思い出してみよう。「私と××は一心同体!」みたいな思い込みって、一卵性双生児の姉妹なんかいなくても、友達相手に、うっすらと、心当たりがあるのでは?
「私と××は一心同体!」みたいな思い込みが、男という邪魔者に引き裂かれたときの辛さ、いたたまれなさ。また逆に、友達に辛い思いをさせてしまうかもしれないと予期してしまう心、後ろめたさ。そういう隠された負の感情を極限まで拡大したのが、ホラーサスペンス『海の闇、月の影』なのだ。
あまり歪曲できなかった。『海の闇、月の影』がいかによくできているかということだ。
Posted by hajime at 2007年09月27日 00:05