この記事を読んで、「ああ、精神分析だなあ」と思った。
精神分析の主張ではなく、方法のほうだ。擬似問題を立ち上げては擬似説明を与える方法が、精神分析と同じだ。
精神分析の方法は、無能なシャーロック・ホームズとでもいうべきものだ。ゴミのような情報を収集してそこから問題を解決する――と思いきや、問題を解決することはできない。今日、精神分析が治療に役立つと主張する精神科医はほとんどいない。それでも、出発点の問題(=患者を治療する)から切り離されて体系だけは残り、見るものに「ふーん」と言わせる。
「ふーん。で、その体系がそこからどうなるの?」
ゴミのような情報のなかに擬似問題を見つけては擬似説明を与える、それだけだ。『「意志からインセンティブへ」とダイエット方法論の重点をズラしている点にあります』と擬似問題を見つけ、『近年の情報技術の台頭による「自己モデル」の変化』と擬似説明を与えるわけだ。
なぜ擬似問題と擬似説明なのか。「ダイエット方法論の重点」をそのように把握する必然性が、「自己モデルの変化」という擬似説明の中にしかないからだ。
上記の例で具体的にいえば、「意志からインセンティブへ」「自己モデルの変化」という擬似問題と擬似説明は、「『測定なくして改善なし』をダイエットに持ち込んだ」というシンプルな説明と両立しないし、シンプルな説明のほうが強い。筆者がシンプルな説明を無視して擬似問題と擬似説明をとる理由は、先に擬似説明ありきだからだ。つまり論点先取である。
無能なシャーロック・ホームズを発明したフロイトと精神分析業界はある意味で偉いが、同じパターンを踏襲するだけのポモ業界の偉さが私にはさっぱりわからない。