2008年02月18日

傍観者の倫理

米兵による性犯罪が起きるたび、「ついてゆく方も悪い」などと被害女性に責任を転嫁し、根拠もなく中傷する物言いが繰り返されてきた
 
 多くの排除現象の場合、わたしたちは「傍観者」であるか「観客」である。自分が直接の被害者にならないかぎり、けっして公共的問題に関与しようとせず、ひたすら私生活に引きこもる。現代の排除現象をしばしば悲劇的なものにしているのは、この傍観者的態度である。さきほど「相互共犯性」として述べたことは、たんに道義的に共犯だというのではなく、現実に排除現象の重要な要因になっているという厳密な意味で共犯なのである。そしてこれも「わたしたちが社会をつくる」ことのひとつの局面である。
 
 この世には、しなければならないことなど、ひとつもない。だから沈黙や無視を、私が責めるいわれはない。
 しかし、私生活に引きこもる後ろめたさから「被害者にも責任がある」とうそぶくことは、してはならないことに属する。
 
 それにしても、「自己責任」というのは「自業自得だから放置」のことだと思っていたが、「俺の空気を読めない奴らを征伐しろ! 俺が空気をガンガン作って世の中を支配してやるぜ!」という意味になったのはどういうわけだろう。

Posted by hajime at 2008年02月18日 01:56
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