2008年02月27日

妹の命を救ってくれなかったカントへ

 従軍しないと決意した理由をここで明確にした方がよさそうだ。説明しても少々長く、わかりにくいかもしれないのだが、当時、私は自分は真に明晰だと思っていた。しかし、極めて重大な問題の決定をするに当たり、真に明晰でいられる人などいるのだろうか。これまで一度たりとも定言的命令が意味あるものと考えたこともない。カントの哲学あるいは今日カント哲学としてまかり通っているものは、傲慢と愚かさの極みとしか私には考えられない。常に普遍的格率の道徳率に従って行動せよと主張するのは、的外れか、偽善かの何れかである。どのような行動をとろうとそれを正当化するのにその格率を持ちだせばよいのだから。私など「でも誰もがあなたのように振る舞ったら…」と意見されたことなど数え上げたらきりがない。例えば選挙でも決して投票に行かないと言った場合だ。そういう時には、「誰もが私のように振る舞うなんてことはあり得ないからご心配なく」と答えるようにしている。
『アンドレ・ヴェイユ自伝 下』(シュプリンガー・フェアラーク東京)52~53ページ

 私の知るかぎりではカントは、コペルニクス的転回という金字塔を除けば、ロクなことを言っていない。そして、コペルニクス的転回が注目されるようになったのは、言語論的転回が始まってからのことらしい。それまでは真面目な顔で「アプリオリな総合的判断」などとぬかしていたのだろう。ヴェイユでなくても知恵のある人間なら馬鹿らしいと思ったにちがいない。
 (ただし、これがなぜ馬鹿らしいかを解明するのは、馬鹿馬鹿しいほど難しい)
 しかしそれにしてもヴェイユの物言いには刺がある。このあいだ紹介したくだりといい、ヴェイユは西洋哲学――1930年代にフランスの学校教育で教えられていたような、言語論的転回が始まる前の、デカンショ節なもの――になにか含むところがあるらしい。妹(シモーヌ・ヴェイユ、哲学者、社会運動家。第二次大戦中に中二病をこじらせて34歳で死んだ)を救えなかった西洋哲学を恨んでいたのだろうか。

Posted by hajime at 2008年02月27日 20:40
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