全人類に読ませたいので、とりあえずここに書く。R・デーケン『フロイト先生のウソ』(文春文庫)197-198ページより。
最初の調査は、一九八六年のスペースシャトル・チャレンジャー爆発事故の翌日におこなわれた。約一〇〇名の被験者に、事故のニュースをどんな状況で聞いたかを書面で答えてもらった。回答は、七項目の質問(「そのとき、どこにいましたか」、「誰といましたか」、「そのニュースを何で知りましたか」など)に答える形でおこなわれた。数年後、コンタクトが取れた被験者(約半数)に再度同じ質問リストに答えてもらった。最初の調査のときと答えが食い違う項目があった人には、暗示や誘導尋問や助言によって正しい記憶を呼び覚まそうとした。
その結果は、映画「トータル・リコール」(アーノルド・シュワルツェネッガー扮する主人公が、架空の冒険の記憶を植え付けられる)を彷彿とさせるものだった。まず、回答者の四分の三が、同じ質問に答えたことがあるのをすっかり忘れていた。七項目すべてが最初の調査での回答と食い違った人は四分の一に上った。一致した項目の数は、平均で二・九だった。つまり、事実上全員がまったく別の記憶を作り出していたのである。
こんな傑作な回答もあった。「カフェテリアで食事中に事故のニュースを聞いた」と最初に答えたある女性(「それを聞いて気分が悪くなった」とコメントしていた)は、二度目に質問されたときには次のように答えを修正していた。「そのときはちょうど部屋でぶらぶらしていた。そこへ女の子が廊下をばたばたと走ってきて、『スペースシャトルが爆発したわ!』と叫んだ」
これは事実ではないだろう、というのがナイサーとハーシュの見解である。この話は、ショッキングなニュースが伝えられるときの紋切り型のイメージに基づいているのかもしれない。回答した女性は、最初は自分が「スペースシャトルが爆発したわ!」と叫ぶところを空想していたのかもしれない。
刺激や暗示によって正しい記憶を呼び覚まそうとする試みは、すべて徒労に終わった。あとから塗り重ねられた記憶を取り払うことに成功した例は一つもなかった。最初の調査の回答を見せられると、被験者は全員、「そんなことを私が言ったとおっしゃるんですか」とあっけにとられたという。なかには、「それでも、私の記憶に間違いはありません」と言い張る人もいた。自分の記憶に対する被験者の自信度は、記憶の正しさとは何の関係もなかった。被験者全員が自分の記憶は正しいと言い張ったのである。記憶の内容が生き生きしているとか具体的であるとかいったことも、記憶の正しさとは無関係だった。間違った記憶の多くはきわめて具体的だった。
「自分の記憶に対する被験者の自信度は、記憶の正しさとは何の関係もなかった」「記憶の内容が生き生きしているとか具体的であるとかいったことも、記憶の正しさとは無関係だった」というところは特に重要だ。「何の関係もなかった」「無関係」である。生き生きした記憶は、それが正しいことの兆候ではなく、間違っていることの兆候でさえない。自分の記憶力に慎重であるからといって、その記憶の正しさが高まることもなく、逆もまた真ではない。
どうやら人間は、自分自身の記憶について何も知りえないらしい。