『東日流外三郡史』をはじめとする和田家文書は、他愛のない偽書だ。世にはかわいげのない偽書がいくつもある。シオンなんたらの議定書だの、コンスタンティヌスの寄進状だの。それに比べて和田家文書は、偽物が当たり前の古物売買で細々と生計を立てる詐欺師が作った、ちゃちな小道具にすぎない。政治的・組織的な工作ではないし、手の込んだことはやっていないし(筆ペンで書いてあるという)、詐欺以外の意図はない。作られた状況や出来のよしあしからいえば、嘘の家系図よりは多少珍しい程度の、一山いくらのありきたりな偽書だ。
作者には詐欺以外の意図はない――おそらくは。しかしもしかすると、これは好意的に過ぎる見方かもしれない。
和田家文書を一山いくらのありきたりな偽書から区別するのは、信者、古田武彦の存在である。宗教は信者なしでも存在しうるし、宗教なしでも信者は存在しうる。後者の印象的な例が古田だ。
病的な科学研究というものがこの世にはある。たとえば、フライシュマン・ポンスの常温核融合を、いまだに研究(?)している人々がいる。N線なるものもあった。精神分析を科学だと考えた人もいた(今でもいるかもしれない)。古田の信者ぶりは、この系列に連なる。
通常の科学研究では、見込みのないテーマをつかんでしまった研究者は、どこか適当なところで見切りをつける。フライシュマン・ポンスの常温核融合なら、最初の報告(および追試成功を主張した少数の報告)の結論が間違っていたのだろう、と見切りをつけ、そして別のことを始める。この見切りが真実とどれだけ一致するかは神のみぞ知るだが、それはともかく、研究者は別のことを始める。
病的な科学研究では、研究者は別のことを始めない。人が見切りをつけたテーマで大穴狙いというわけでもなく、ただ同じことを続ける。そこには傍目には明らかに、惰性、行きがかり、しがらみがある。自分が惰性で動いていることをごまかすかのように、ドラマチックな演出、低俗な筋書き、熱意を装う大仰なパフォーマンスが現れる。信者の誕生である。
古田が惰性、行きがかり、しがらみにとらわれて信者と化す過程に、和田本人は無関係だったのか? 斉藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』(新人物往来社)を読んだ今も私には、この疑問が残っている。和田と古田の関係からは、信者という現象を理解するうえでの見るべきケーススタディーが掘り起こせるかもしれない。