2011年02月16日

萌え萌え☆かえさる

 本屋で薄い文庫本を見かけると、少々うらやましい。薄いほうが一般に、ページ数あたりの印税が多いからだ。
 その薄い文庫本が全3巻や4巻だったりすると、さらにうらやましい。全2巻でなんの問題もなさそうなのに3巻や4巻に仕立てて、なんの苦労もなく印税を数割増しで稼いでいる。
 そういう本は、ベストセラーとはいかなくても、かなりの売れ線と相場が決まっている。でなければ普通は全2巻や1巻にされるからだ。うらやましい。
 そんな本が本屋の棚にずらりと並んでいた日には、これはもう、絵にも描けないうらやましさだ。
 私も人間なので、そんなうらやましい著者のことは厳しい目で見る。
 さて、例の人である。
 この人の本には一度、痛い目にあわされたことがある。ミケランジェロが『ピエタ』を作ったとき、注文主との報酬額交渉で、相手に「高いな」と言われて「得をするのはあなたです」と言い返した――というエピソードをこの人は書いていた。ほほう、と思って後で調べてみたら、当時の一次資料(ヴァザーリと書簡でほぼ全部なので量も少ないし邦訳がある)にはそんな話は出てこない。また、ミケランジェロの性格を見るかぎり、ミケランジェロ関係で影響力のある人がこんなエピソードを創作するとは考えにくい。ほかの誰かのエピソードを取り違えてミケランジェロに帰した、と見るのが妥当だろう。しかしミケランジェロの性格を知っていれば、たとえ記憶が混乱していても「あれっ?」と思いそうなものだ。
 あれこれ考えた末の結論――この人にとっては、魅力的な筋書きは一切に優先するのだ。魅力的な筋書きの前では、ほかの要素はまったくのゼロになる。資料を確認? ゼロ。「あれっ?」という違和感? ゼロ。口あたりよく言えば、天性のストーリーテラーなのだろう。
 この人はキャラ萌えの人でもある。この人の萌え萌え☆かえさるといえば、涼宮ハルヒ級の有名萌えキャラとして名高い。これほどの萌えキャラの元ネタはどんなものかと思って、『ガリア戦記』を読み直した。

 
 一言でいえば、歌舞伎の色悪である。
 これといった行動原理や価値観を持たず、その場その場に対する動物的な反応しかしない、「なにも考えてない」人間だ。こういう態度には動物的な魅力があるし、軍事指導者には必要な資質でもある。しかし萌えキャラ的な「中身」は一切ない。
 萌え萌え☆かえさるは、例の人が一代で生み出した突然変異ではなく、紀元前からの長い伝統に連なるものだ。その伝統によればカエサルは腹黒いタヌキということになっている。しかしそれは、カエサルに萌えキャラ的な「中身」があるにちがいない、という思い込みから生じた幻想だ。
 
 なぜそう言えるのか。
 ガリー人の性格や行動パターンについての記述を見るかぎり、カエサルはガリー人に「中身」を見ようとしていたとは考えづらい。同じことは自分自身に対しても言える。たとえば1巻では、ヘルウェティー族貴族が戦争を起こした動機を「王になりたくて」と書いている。また、カエサル自身が戦争を起こした動機をハエドゥイー族に語ったときには「主としてハエドゥイー族に頼まれたから」と述べたと書いている。
 「王になりたくて」「主としてハエドゥイー族に頼まれたから」。どちらも、ナイーブといえば恐ろしくナイーブな小学生レベルの発言だが、しかし見方を変えれば、腹黒いタヌキがぬけぬけと言ってのけたようでもある。カエサルの軍事的栄光に目をくらまされた人々は、後者のように思い込み、萌え萌え☆かえさるへと至る道を歩き始めた。
 腹黒いタヌキという見方を退けるには、カエサルの軍事的栄光を見直す必要がある。それは深い考えや広い視野を必要とするものだったのか?
 ガリアでの主な勝利はすべて、いわば永久パターンによって得られたものだ。
1. 敵の版図に侵攻する
2. 敵は大兵力を動員し、決戦を挑んでくる
3. 決戦で敵主力を撃滅し、敗北を認めさせて1に戻る。あるいは決戦では分が悪いと認識させる
4. 敵主力は拠点に籠城する
5. 敵の思惑よりも早く拠点を攻め落とし、敗北を認めさせて1に戻る
 ガリア側は決戦と籠城戦では弱い。決戦はローマ軍の指揮統制能力を、籠城戦は土木技術を発揮させてしまう。ガリア側がこの2つに訴えつづけるかぎり、あたかもマリオがカメを踏みつづけるように、カエサルは楽々1UPしつづけることができる。
 なぜガリア側はむざむざと同じパターンを繰り返したのか。ガリア側は最後まで、強力な軍事指導部を持つことができず、そのため「大人の事情」を押し切れなかったからだ。戦争は「大人の事情」を打ち砕く(これが戦争の魅力の根源である)。
 カエサルが勝ち逃げするには、この永久パターンが有効なうちに事を収めるか、あるいはガリア側が強力な軍事指導部を持てないように工作する必要がある。史実はおおよそ前者の線だが、ウェルキンゲトリクスの指導部はかつてなく強力であり、カエサルは危ない橋を渡った。
・そのリスクに見合うリターンは見込めたのか?
・強力な軍事指導部の成立を防ぐ工作はどのようになされたのか?
 この2点を抜きにしては、カエサルの軍事指導を評価することはできない。もし両方ともカエサルの視野の外だったとしたら、ガリア戦争の後半は博打でさえない。
 ローマの政治情勢からいってカエサルがガリアを離れるのは難しいので、リターンについては論じない。工作についてはどうか。
 政治工作には、工作対象の政治過程への理解が欠かせない。カエサルの理解はどうだったかというと、3巻で「ガリー人の考えることはまことに唐突で予測しがたい」「変動を好み、気ままにすぐ戦争する」と書いている。つまり、お手上げ、というわけだ。後で学んだかといえば、7巻に至っても「怒りと無謀――この種族には特に生まれつきのもの――」と書いている。これも、とぼけているのだろうか。黙っていれば事足りるはずのところに見える。
 ガリアの政治過程に関心がなかったわけではない。5巻では、「ガリアの風習では旅人がいやがっても無理にひきとめ、それぞれ耳にしたことや知っていることを聴きたがる。町では民衆が商人を取り巻き、どの地方から来たか、どんなことを聞いたか、話してくれとせがむ。そんなことや聞き込みに動かされてしばしば重大なことまで企てる。あいまいな噂に従うわけで、多くのものが聞き手の望みどおりの返事をしたから、たちまち後悔するような羽目になる」と書いている。しかし、「聞き手の望みどおりの返事」を真に受けているのは、カエサルのほうではないか。「怒りと無謀」が説明になっていると思うのは、カエサルに服属するガリー人の面従腹背をよほど真に受けていたからではないか。
 (面従腹背といってもスパイのような意味ではない。「主としてハエドゥイー族に頼まれたから戦争しているんだ」と言われたとき、「こいつ小学生か」と思っても「へへえ旦那様」とかしこまってみせる。「こいつ小学生か」と思っていることはガリー人同士ならお互い口に出さなくても知れている、という意味だ)
 カエサルは、自分がわかっていないということさえ、わかっていなかった。永久パターンを続けるための工作を、たとえしていたとしても無駄だっただろう。こういう視野の欠落は、のちの暗殺とも通底している。マルクス・ブルトゥスはカエサルが取り立てた人物だった。
 カエサルの軍事的栄光はもちろん95%が運だが、残りの5%をカエサルの個人的な資質と結びつけるなら、「なにも考えてない」スタンスと結びつけるべきだ。考えの深さや視野の広さではないし、行動原理や価値観でもない。
 カエサルは腹黒いタヌキではなく、歌舞伎の色悪、「なにも考えてない」人間だ。
 
 萌え萌え☆かえさるのような伝統ある有名な萌えキャラが、こういう元ネタから生まれたことの意味は重い。
 当の戦争相手のガリー人について、これほど一貫してナイーブな記述を繰り返している人物が、どうして腹黒いタヌキというキャラの元ネタとして通用しつづけたのか。
 萌えキャラ的な「中身」について、過去2000年のあいだ人類は、根本的に誤解しつづけている――そんな気さえしてくる。

Posted by hajime at 2011年02月16日 00:16
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