2011年09月02日

革命後の世界を求めて

 赤松啓介『非常民の民俗境界』(明石書店)を読んだ。
 分類としては一応、民俗学の研究書になるかもしれない。祭祀・差別・性・階級などさまざまなテーマを扱っている。しかし結論や概要のある論文ではなく、本書自体が民俗のありようを証言する一次史料となっている。
 著者は、戦前の加古川流域(兵庫県)で行商・共産系の社会運動・民俗学の調査の3つを同時に行ってしていたという人物で、社会生活のドブの底に浸かって活動した過去にふさわしく、いかがわしく迫力のある読み物になっている。本書の記述がどこまで事実を反映しているかというと疑問符がつくが、いかがわしさを含めつつ書き記す著者の態度には、見るべき真実がある。
 本書を読んで、私はぐったりと疲れた。本書の調査対象となった農村の内輪ぶりに打ちのめされた。

 
 「内輪」とは、たとえば本書247~248ページ:

 そこでよくいわれるのは、若衆仲間の目的・役割・昨日というものだ。甚だしい例は香川県小豆島四海村小江の若者組で、正月二日の若者入りから同十五日までの間にイイキカセという十五章の口頭伝承を暗誦できるようにしなければならなかったという。四百字詰原稿用紙にして八十五枚になる、厖大なものだが、先輩の口授でおぼえたらしい。
 その内容は「分団へ来る身まわり、頭に帽子、鉢巻、頬かむり、腰に手拭い、煙草入れはせられず、足に下駄、せきざ、表つきの下駄なおもってはけず」と禁止条項、「けいざい」は「小若衆はマッチは月に小箱五箱、炭は年に一俵」と制限(中略)微にいり細にわたっている。
 こうした若衆仲間の条目というものを、私は一部の研究者のように信用しない。おそらく明治維新後の新作だろうし、記憶してみても役に立つわけでなく、要するに新参者を苦しめるのが目的である。こうしたものには必ずウラがあって、なんとか抜け道があり、それが半公然と認められていただろう。余所者にはそれがわからないだけで、こんなものをマトモに記憶したり、暗誦させられていたと思うのはバカだ。

 裏表を使い分ける不透明性、くだらないことを指図する権威主義、「新参者を苦しめる」という行動パターン、しかも強制参加。こういう若衆仲間が実力組織としてのさばり夜這いを仕切っているムラが、「性的におおらか」だったり「開放的」だったりするわけがない。ムラの裏表に通じ、権威を振りかざし、劣位の者をいじめ抜いて楽しむ有力者だけが「おおらか」で「開放的」な性を思うままに堪能し、他の者は有力者のおこぼれにあずかり情けにすがる惨めな思いを強いられたであろうことは火を見るよりも明らかだ。
 著者は階級的には行商という低い地位にあったが、ムラの裏表に通じるなどの面では有力者だったはずで(でなければ戦前の農村で共産系の社会運動などできない)、そのため間抜けなお人よしの視点を欠くように見える。女性の視点を欠くのは言わずもがなだ。人は地べたを這いずる者の視点を嫌い、有力者の高みから気持ちよく物事を眺めるのを好むものだから、著者の視点を批判することなく著者の本を読んで、「戦前の農村は性的におおらかだった」などと抜かす人が多い。本書252ページにも、「このようにして、ムラの若衆たちは娘や後家たちを性的対象として支配した」と書いてあるのに、こういうくだりは都合よく読み落とすらしい。
 若衆仲間がどんなに感心できない組織でも、組織内だけで活動が完結していれば、それは「内輪」ではない。ムラの実力組織としてのさばり支配を及ぼすところに、「内輪」性が生じる。若衆仲間の支配は、251ページで述べられているような非道なものもあれば、弱者への配慮が行き届いた温情的なものもあっただろう。しかしどちらも「内輪」という点では同じだ。弱者の苦しみに配慮することはあっても、他者の自由を尊重することはない、「他者」や「自由」という発想さえなさそうな態度が、私の言う「内輪」である。
 
 「子供が13歳ごろになると、ムラの後家や年寄りが性の手ほどきをする習慣があった」という話に感心して、「昔の農村はしっかりした性教育を行っていた」と言い出す人がいる。しかしこの話にも私は感心できない。
 第一に、本書の記述をどう読んでも、性病から身を守ることを教えているようには読めない。
 ろくな避妊具もなくしかも高価だった戦前に、性病から身を守っていては、ハレの日限定ならともかく日常的な夜這いは不可能になるだろう。明治の日本を見た外国人によれば日本中梅毒だらけだったというが、むべなるかなだ。政府の夜這い弾圧・貞操奨励は、梅毒にかかっていない兵士や労働者を求めたからでもあるはずだが、著者は性病について一言も書いていない。ムラの支配体制にとって不都合なことを教えず梅毒にかからせるような「性教育」に感心する人がいる、という事実に暗澹たる気持ちになる。
 第二に、「性の手ほどき」なるもののありかたが、これもまた内輪だ。235ページ:

 紀州の勝浦では娘が十三、四になると、老人を頼んで女にしてもらい、米、酒、桃色フンドシを、その礼として贈った。おそらく相手をした老人の方から赤腰巻、カンザシなどを返すか、先に贈ったものと思われる。また十三、四の少女が、若い青年などに臼を切ってくれと追い廻している地方もあったらしい。臼を切れとは、水揚げしてくれということで、初潮のあった娘が、若い衆や熟練者に自ら性教育を依頼したのである。攝丹播地方の民俗でいうと、こうした習俗はムラごとに違うので、いろいろの型式があったとよりいいようがない。初潮があればすぐ夜這いがくるムラもあるし、発毛するようにならないと相手をさせないムラもある。娘仲間で相談して生涯の相談相手になるような壮・熟年男性を選定してやるのもあるし、早い者勝ちというのもあった。また、春・秋の宮祭り、秋や冬の粟島講、地蔵講などにオコモリ、ザコネで水揚げというのもある。最末期の段階では祖母、叔母などが連れて参り、かねて頼んである熟・老年の男性に破瓜してもらったという。まあお初穂、水揚げはなかなか難しいもので、若い未熟な男たちには頼まれぬということだ。

 「この者は性行為ができることをここに証する」という証明書を求める思いは、おそらく人類の大部分にあるだろう。「もしかしたら自分は証明書を得られないのではないか」という不安は理解できるし、上記の引用のような儀式化は、そうした不安への現実的な対処だろう。
 だが、「この者は性行為ができることをここに証する」という証明書が効力を発揮するのは、「性行為」をきわめて狭義に捉えた場合だけだ。同性愛行為さえ含まないほど狭い「性行為」である。性行為を広義に捉えれば、その外縁は果てしなく広がっており、その全域にわたって有効な証明書など馬鹿げている。
 とはいえ、ムラの成員として機能するだけなら、きわめて狭義の性行為さえできればいい。ムラの「性の手ほどき」がきわめて狭義の性行為に集中するのは当然といえる。
 ムラの教育がムラの都合に沿うのは当然――なぜなら、ムラとは内輪の世界だからだ。ムラの子供とはムラにとって、その自由を尊重すべき他者ではなく、ムラのために機能すべき部品だからだ。身を守ることを教えれば部品として機能しなくなるのなら、温情をとらずに非道を選び、教えない。それが内輪の論理である。
 ムラの「性の手ほどき」は、ムラの成員として機能するために必要なきわめて狭義の性行為を、性の中心に据える。このとき、自由を尊重することや、善き生の追求を助けることは、まったく眼中にない。
 そして現在の日本でも、ある意味で、内輪の論理は生きている。
 身を守ることさえ教えない非道はすでに終わった。しかし、きわめて狭義の性行為のほうは、いまだに性の中心に据えられている。「ムラの成員」が「夫婦」「カップル」に変わっただけだ。善き生の追求はしばしば「よいセックス」の追求へとすりかえられ矮小化されている。
 
 機能のための行為から、善き生のための認識へと、性の中心は移り変わる必要がある。
 百合は、少なくとも私が興味をひかれるような百合は、いわば「革命後の世界」を垣間見せてくれる。たとえその革命が現実には不可能なものだとしても。

Posted by hajime at 2011年09月02日 02:13
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