2013年03月25日

百合だからコラム百本 第12回 三種の「好き」

 今風の恋愛は愛着とは相いれず、そのため正面切った恋愛物はフェティシズムを扱えない――と論を立ててみたのが前回までのあらすじですが、実は、「正面切った」という限定こそ、この論の核心です。
 コメディという器は、今風の恋愛とフェティシズムを両立させます。
 たとえば『Candy boy』。「かなちゃんの乳ー!」というセリフを可能にするのは、コメディという器です。『百合姫』『ひらり』等々の掲載作品のうちいったい何作が、このセリフを取り込めるでしょうか。アニメ版『ストロベリー・パニック』はかなりコメディ寄りの作品ですが、いささか厳しいと感じます。

 賢明なる読者諸氏のなかにはきっと、アニメ版『とある科学の超電磁砲』の黒子のようなキャラを連想されたかたがおられるでしょう。本筋が百合とは無関係な作品に登場する、お笑い担当のレズキャラは、近年よく見かけるものです。こういう登場人物は、今風の恋愛ではなく、性癖(≒愛着)を演じるものと相場が決まっています。
 どうやら今、百合における「好き」は、二種類に分割されているようです。ひとつは、百合というジャンルの作品における、今風の恋愛。もうひとつは、本筋が百合でない作品における、性癖やフェティシズム。
 
 「好き」の分割線は、これだけではありません。
 『カードキャプターさくら』で二番目に有名なセリフはおそらく、「きっとさくらちゃんのとは違う「好き」ですけど」でしょう(一番は「ぜったい大丈夫だよ」)。知世の映像マニアと衣装マニアはフェティシズムを匂わせるものなので、知世の「好き」は、お笑い担当のレズキャラのバリエーションとして理解すべきものでしょう。が、それとは違うらしいさくらの「好き」は、明らかに、今風の恋愛ではありません。さくらの「好き」を仮に、友情としておきましょう。
 ……と書いたところで、電波を受信しました。「知世をお笑い担当のレズキャラと一緒にするな!」とのこと。
 友情の線の向こうに今風の恋愛を置く、という構造は、百合のテンプレと化しています。このテンプレの色眼鏡で見れば、知世も今風の恋愛をしているかのように見えます。しかし、テンプレの色眼鏡を優先させて、知世の映像マニアと衣装マニアを無視するのは、二次創作の設定としてならともかく、作品の読解としては到底いただけません。
 問題は、フェティシズムをほぼ常に騒々しく毒々しく演じる、この世界のほうにあります。知世のように静かにフェティシズムを演じるのは、今のこの世界の流行りではありません。大道寺知世は、あれほどの人気と知名度にもかかわらず、類型として孤立した、特異な存在なのです。もっとも近い類型を求めるなら、お笑い担当のレズキャラになってしまうのです。
 
 ここまで三種の「好き」を列挙しました。今風の恋愛。性癖・フェティシズム。友情。
 もちろんこれで全部を網羅しているわけではなく、たとえば家族愛・姉妹愛という「好き」もあります。が、これは友情と同じ枠に入れてもいいでしょう。友情と家族愛・姉妹愛のあいだに線を引いて対置する作品を、私はまだ知りません。
 百合というジャンルの作品が現在、この三種の「好き」をうまく使えているかというと、どうも私の目には、そうでないように映ります。
 対立構造のパターンは、今風の恋愛 vs 友情に限られています。友情 vs 性癖・フェティシズムという構造は、百合メインの作品にはまず見かけません。今風の恋愛 vs 性癖・フェティシズムは、作例を思い出せません。
 もちろん、対立させなければならないという決まりはありません。『Candy boy』は、この三種の「好き」をすべて、一組のカップルのあいだに取り込んで並立させた作品です。『Candy boy』の豊かで幸せな感触は、三種の並立がもたらすものです。が、この豊かで幸せな感触は、大道寺知世の静かなフェティシズムと同じく、現在のこの世界では特異な存在です。
 
 ……と書いてきて実は今、まとめに苦しんでおります。
 百合の可能性はこんなにも広く、現在の流行はこんなにも狭い、ということで今回は締めて、次回のテーマは「一婦多妻」です。なお(略)

Posted by hajime at 2013年03月25日 01:19
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