2013年07月03日

TVアニメ版『天元突破グレンラガン』

 今頃になって『天元突破グレンラガン』(TVアニメ版)を見た。
 面白い。と同時に、「でもいいの? 本当にそれで?」とも思う。
 ここは私の日記帳なので、この違和感について書き留めておく。

 
 面白さについて:
・登場人物の造形
 ニアの瞳。ヨーコの奇妙な立ち位置と演技。カミナの勢いと無能さ。
 カミナの勢いについては説明を要さないだろうが、無能さについて少し述べる。
 第1部の戦いを通して、「カミナの虚勢にシモンが内実を与える」という構図が描かれている、と私は理解した。が、よく思い起こしてみると、カミナの死の直前の戦いはこの構図に収まらない。カミナを単なる英雄とみなす読解にも説得力がある、と言わざるをえない。
 が、最終回直前の、多元宇宙の罠の世界で描かれた盗賊カミナの姿は、カミナの無能さを裏付けるものだと読める。また、カミナの父親が地上に出てほどなくして死んでいた、というエピソードも、カミナが勢いだけの人物であることを暗示していると読める。
 
・「悪い権力」の断罪も正当化もしない
 「悪い権力を倒して自由と平等を手に入れました、めでたしめでたし」という筋書きに気を悪くする人はめったにいないだろう。「悪い権力が悪でありつづける原因は、その権力自体が作り出しているマッチポンプであり、悪い権力を倒せばマッチポンプ構造も消えて悪も消える」というベタな構図に文句をつける理由は、私には思いつかない。
 この作品は、ロージェノム、ロシウの村の司祭、ロシウ、アンチスパイラルと4つも「悪い権力」を描いている。このうちマッチポンプ色が強いのはアンチスパイラルだけで、ほかは外部に悪の原因がある(ただ私見では、ロシウもマッチポンプ色を強めたほうが面白かったと思う)。「悪い権力」の構図としてはやや珍しい。そして、外部に悪の原因があるからといって、「悪い権力」を正当化してもいない。
 この構図と態度が、作品の魅力を支えている。もし断罪や正当化をしていれば、カミナやシモンの勢いを殺ぎ、作品の魅力を損なっただろう。正義と勢いは両立しない。螺旋族を断罪するアンチスパイラルとの対比も味わい深い。
 
 違和感について:
・死についての設定が消化不良
 ロージェノムが生体コンピュータとして蘇り、ニアが仮想生命体なるものに変化したことで、死についての設定が消化不良に陥った。
 視聴者の日常生活のレベルで「生きている」とはいえない存在が登場人物として行動する以上、作中の死についての設定は、視聴者の日常生活のものとは大きく異なる。ではどんな設定なのかというと、私にはほとんど読み取れなかった。そのためニアの消滅が意味不明になってしまった。
 この問題について、製作者がなにも考えていなかったとは思わない。獣人の設定や、ロージェノムの娘の棺が多数ある(=理想の娘を一人だけ作り出そうとはしなかった)ことは、死についての設定を意識していたことの表れとも見える。
 
・第3部でシモンが無能さを露呈するが、その無能さが棚上げにされてしまう
 ロシウのクーデターによってシモンは逮捕され、監獄で時間を空費する。
 「シモンはカミナをどう乗り越えるか」という第2部のモチーフ、そして「カミナは無能だった」という読解からすると、かつてのカミナと同様に無能になったシモンはなんらかの答えを出すのではないかと期待する。しかしシモンは誰かに利用されるでもなく、内実を与えられるでもなく、有能に成長するでもない。シモンの無能さは、監獄の外の成り行きで、螺旋力を生かせる(=有能であれる)立場に戻ったことで終わる。シモンが答えを出したようには見えない。
 この問題について製作者がどう考えていたのか、さっぱりわからない。「カミナは無能だった」という読解は不適切なのか? だとしたら、なぜ多元宇宙の罠の世界でシモンだけは、偽の幸せを味わうかわりに無能なカミナを見つめていたのか? この問題は私にとっては、ニアの消滅よりも違和感が大きい。
 
 ともあれ、「でもいいの? 本当にそれで?」と感じるくらいには面白かった。凡庸なアニメの感想には、逆接も疑問符も入らない。

Posted by hajime at 2013年07月03日 02:23
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