戦前の日本を調べていれば必ず目につくあの広告、「どりこの」。
カルピスのように5倍希釈して飲む清涼飲料水で、ただしカルピスとは違って広告は効能を謳っている。「高速度滋養料」というからスポーツドリンクのようなノリだが、値段は割高だ。当時のカルピスが原液600ccで1円なのに対して、どりこのは原液450ccで1円20銭(5倍希釈後350ccの値段は、物価で換算すると現在の373円、収入に占める割合では933円程度)。この価格付けはエナジードリンクに近い。清涼飲料水がまだ珍しかった当時、どりこのはエナジードリンクという新市場を開拓し、最盛期には年間200万本以上も売れたという。
広告をご覧になったことのあるかたはご存知のとおり、どりこのは大日本雄弁会講談社(現・講談社)が販売していた。戦前の講談社は多角経営で、レコード(現・キングレコード)や石鹸を製造販売し、さらには鉱山まで経営していたという。よく考えてみると、出版社は宣伝媒体を自社で持っているのだから、宣伝が重要な商品の小売に進出するのはむしろ当然と思える。鉱山はおかしいと思うが。
というわけで、宮島英紀『伝説の「どりこの」』(角川書店)を読んだ。どりこのの大宣伝の様子や、どりこのの発明者兼製造者・高橋孝太郎の話が書いてある。それぞれ時代を映して興味深くはあるが、最大の謎の前には霞む。
どりこの最大の謎、それは製法だ。
どりこのの発明者・高橋孝太郎は、どんなに忙しくても自分ひとりで製造を行った。しかも、製法に関する資料は焼却してしまったという。一人の甥にだけは製法を伝授したが、その甥も今は亡く、秘伝は失われたらしい。戦前はすでに何事も大量生産のご時世だったのに、その戦前の大ヒット商品の製法が秘伝であり、しかも失伝した――「日本刀でB-29を落とした」くらいにロマンあふれる話だ。
せっかく失伝したとのことなので、心ゆくまで推理を楽しむことにしたい。
情報:
・主な原料は砂糖とグルタミン酸。特許明細書(74843号)によれば、ショ糖50%、0.25〜0.5%グルタミン酸水溶液を110℃の油浴で2時間煮るだけで、ショ糖が90%以上加水分解するという
・原料のなかには、粉薬のように精密天秤で計量するもの(原料X)があった
・最終製品の成分はブドウ糖と果糖がそれぞれ32%前後、ショ糖が1.45%、5倍希釈後のpHが3.5
・原料を寸胴鍋に入れて加熱するだけで最終製品になった
・微妙な火加減が必要。ちょうどいい色合い(黄金色)にするのが難しい
・年間220万本(原液100万リットル、一日あたり最低2740リットル)を、一人の人間が作れた。200リットル以上の寸胴鍋があるとは考えづらいので、一人で一日に最低14個の鍋を完成させることができた。現実的には30〜60個の範囲だろう
本書では、原料Xをグルタミン酸と推測している。が、1回のバッチ(寸胴鍋)で得られる最終製品の質量を最低50kgと仮定して、原料のショ糖は30kgほど。対するにグルタミン酸は0.5%でも150g、これは精密天秤で測る量ではない。
しかし、原料Xのことを忘れると、すべて辻褄が合う。5倍希釈後のpH 3.5は、0.1%≒0.7mmol/lのグルタミン酸でおおよそ勘定が合う。製法は、鍋に水・砂糖・グルタミン酸を入れて2時間110℃で煮るだけ。火加減が難しいというが(濃度50%なら当然だろう)、いったん身につけてしまえば、一人で一日に30個の鍋を作るのはそう難しくない。原料Xは証言者の思い違いかなにかで、存在しないのではないか、と私は推理する。
つまり、秘伝の秘伝たる部分は、濃度50%のねっとりした砂糖水を焦がさないよう、メイラード反応が進みすぎないように寸胴鍋で煮る火加減だけ、というのが私の推理だ。
「あら奥様、こんなところにグルタミン酸の試薬が!」という研究室におられるかたは、ひとつ密造してみてほしい。もちろん、特許明細書にあるように油浴をお勧めする。
製法がわかってみると、高橋孝太郎は見事な商売をやったものだと感動する。
第一に、設備投資・固定費・変動費のすべてが著しく少ない。設備といえばコンロと寸胴鍋と作業場だけ。固定費は自分ひとりきり。変動費はガス・水・砂糖・グルタミン酸だけで、エナジードリンクとしての価格付けに比べればタダも同然だ。しかもこのスキームは、少なくとも年間生産量200万本までは拡大できた。
第二に、模倣品や後発品を作るのが難しい。もともと清涼飲料水はブランドが命で、本物とまったく同じ中身の模倣品を作っただけでは勝負にならない。なら後発エナジードリンクとして類似品を作れば、と思っても、特許がそれを阻む。現在のエナジードリンクはカフェインが売りだが、当時はブドウ糖が売りだった。ブドウ糖だけでは甘味が足りないのでほかに甘味が必要、となれば果糖だが、果糖ブドウ糖混合溶液が中間製品として安く大量生産されるようになったのは1960年代のことだ。戦前、どりこのの類似品を作るには、なんらかの手段で独自に果糖ブドウ糖混合溶液を作らなければならなかった。そして私の推測では、どりこのの特許(グルタミン酸によるショ糖の加水分解)を回避するには、かなりの設備投資が必要になった。ショ糖の加水分解後に触媒(酸や酵素)を取り除くはめになるからで、最終製品中に残しておける安価な触媒(=グルタミン酸)に目をつけた高橋孝太郎は慧眼だった。
本書では、発明者・高橋孝太郎は商売っ気のない人物であるかのように描かれている。だが、これほど見事な商売が、商売っ気のない頭から生まれてくるはずがない。こういう人物が、もし時と場所を得ていれば、と惜しまれる。