チャールズ・マッケイ『狂気とバブル』(パンローリング)を読んだ。ちなみに原著タイトルを直訳すると「奇怪でポピュラーな妄想、および群衆の狂気」となる。
本書の魅力を、2つの観点から紹介してみる。
・現代性
・博物誌
まず現代性について。動物磁気療法(いわゆるメスメリズム)について、219~220ページより。
だがメスマーは、自分に対する大きな自信と、どんな困難にも負けない忍耐力とを兼ね備えていた。そこで彼は豪華なアパルトマンを借りると、新たな自然の力を試してみようという来訪者にその場を開放した。とても信望の厚い医師のデスロン氏も磁気療法士に転身し、それ以来、パリでは動物磁気療法、いわゆる「メスマリスム」が人気を博するようになったのである。女たちは夢中になり、この療法に感心した彼女たちの口コミで、あらゆる階層の人々にその名が知れ渡ることとなった。メスマーは超売れっ子になった。高貴な者も卑しい者も、裕福な者も貧しい者も、また、信じやすい者も疑い深い者も、こんな素晴らしい約束をしてくれるこの偉大な魔術師の力をとりあえず確かめてみようと、だれもが先を争うようにやって来た。だれでも知っていることだが、メスマーも想像力がどんな影響を及ぼすかを知っており、その点では、磁気の魔法の効果を高めるにはすべてが完ぺきでなければならないと判断。そこでパリのアパルトマンにこれ以上ないというほど美しい内装を施した。総鏡張りともいえる広々としたサロンの豪華なステンドグラスからは聖なる光がかすかに漏れ、廊下全体にはオレンジの花の香りが広がり、暖炉の上の骨董のつぼには最高級の香がたかれていた。奥の部屋からは風鳴琴の美しい調べが、また時折、甘い女性の声も上から、下からかすかに漏れてきてはアパルトマンを包み込み、訪れた人全員の暗黙の約束でもある神秘的な静寂を破っていた。
これは1778年の出来事であり、本書の原著が書かれたのは1852年である。
まるで昨日起きたばかりのような出来事のうえに、それを描く筆致もやはり、まるで昨日出たばかりの週刊誌のようだ。
そして博物誌について。190~192ページより。
次に、かつて行われていたさまざまな占いの一覧を挙げてみる。これはジョン・ゴールが『マガストロマンサー(Magastromancer)』という著書に列挙したものだが、ウィリアム・ホーンの『年鑑(Year-Book)』の一五一七ページにも引用されている。
元素占い(さまざまな元素で占う)
空気占い(空気で占う)
火占い(火で占う)
水占い(水で占う)
土占い(土で占う)
神託占い(精霊のお告げ、聖書もしくは神の御言葉で占うといわれている)
悪魔占い(悪魔と悪霊の手を借りて占う)
偶像占い(偶像、彫像、肖像などで占う)
霊占い(人の霊魂、感情もしくは気質で占う)
人柱占い(人間の内臓で占う)
獣占い(獣で占う)
魚占い(魚で占う)
植物占い(薬草で占う)
石占い(石で占う)
くじ占い(くじで占う)
夢占い(夢で占う)
姓名判断(名前で占う)
数値占い(数値で占う)
対数占い(対数で占う)
胸占い(胸から腹部にかけての兆候で占う)
腹部占い(腹部の音もしくは兆候で占う)
海軍占い(海軍で占う)
手相占い(手で占う)
足占い(足で占う)
つめ占い(つめで占う)
頭蓋骨占い(ロバの頭蓋骨で占う)
灰占い(灰で占う)
煙占い(煙で占う)
香料占い(香料の燃え方で占う)
ろうそく占い(ろうの溶け方で占う)
水鉢占い(たらいに入れた水で占う)
鏡占い(鏡で占う)
紙占い(紙に書かれた筆跡や恋文によって占う)
剣占い(短刀や剣で占う)
水晶占い(水晶で占う)
指先占い(指輪で占う)
ザル占い(ザルで占う)
金属音占い(真鍮その他の金属製の容器で占う)
人相・骨相占い(皮膚や骨格などで占う)
星占い(星で占う)
心霊占い(影で占う)
酒占い(ぶどう酒の滓で占う)
イチジク占い(イチジクで占う)
チーズ占い(チーズで占う)
食物占い(食事、小麦粉、籾殻占う)
穀物占い(トウモロコシや穀物で占う)
鶏占い(おんどりで占う)
円陣占い
灯火占い(ろうそくやランプで占う)
現在の人間は、どういうわけか過去のことを、年表として考えたがる。まずAが起こり、次にBが起こり、最後にCが起こった、ABCのあいだにはかくかくしかじかの関係がある――という歴史叙述式の把握である。
では、現在の人間は現在のことを、年表のなかの横棒として把握しているかどうか。そういう面もゼロではない。が、その割合は、過去に比べて圧倒的に少ない。
本書の著者は、年表としての過去を拒んだ。現在の人間が現在のことを把握するのに近い形で、過去を映し出そうとした。それを実現したのが、昨日出たばかりの週刊誌のような筆致であり、因果関係の網ではけっして捉えられない博物誌である。
現在の人間は現在のことを、週刊誌のような筆致を通して知る。また現在のことを、因果関係の網としてではなく、博物誌的な情報の天球として眺めている。
著者の試みは見事に成功している。それだけでも驚異の離れ業だが、その成功は、2013年になってもまだ続いている。本書の原著が出たのは1852年、およそ1.5世紀も前のことだというのに。
1852年のイギリス人と、2013年の日本人は、ほとんど同じような世界を生きている。
そればかりか本書を読むと、おそらく17世紀ヨーロッパのブルジョアも、やはり同じような世界を生きていたらしい、とわかる。この世界には、名前がついている――「近代」だ。
中世ヨーロッパの人間にとって、時間とは循環するものだった、という。太陽は出て沈んでまた昇り、季節は春夏秋冬を繰り返し、時間は循環する。遠い過去には聖書のなかの出来事があり、遠い未来にはキリストの再臨があるが、そのあいだには年表は存在しない。
近代人も実は、循環する時間を生きているのではないか。近代がやったことは実は、歴史と称して年表をでっち上げ、活版印刷を使ってジャーナリスティックな文字で情報の天球を埋め尽くした――ただそれだけなのではないか。
本書には、「ためになる」ことはひとつも書かれていない。本書にヒントを得て1929年の大暴落を逃れた投機家がいるというが、こじつけだと断言する。本書をどう読んでも、この近代というゲームを上手にプレーできるようになることは絶対にない。それゆえに私は全人類に本書を勧める。ピカソいわく、「年と共にますます下手に描くから救われる」。現在の人間は、この近代というゲームのプレイヤーであるのと同時に、クリエイターでもあるのだから。