2014年08月10日

『思い出のマーニー』

 ネタバレ感想。
 結論:マーニーを筆頭に、みんなよくできた人すぎる。

 
 予告編を見て、「マーニーはきっとどうしようもない困ったちゃんだけれど杏奈への愛は深くて、杏奈は振り回されつつも惹かれていくにちがいない!」と予想(妄想)を繰り広げた皆様こんにちは。ワシもじゃ、ワシもじゃみんな!!
 が、マーニーはよくできた人だった。
 落ち着かない話だ。ネグレクトされているはずのマーニーがあれでは、杏奈の立つ瀬がない。杏奈ひとりが出来損ないのように見えてしまう。
 マーニーがよくできた人のせいで、緊張感がない。たとえば、マーニーがボートの舳先に立って一人で『タイタニック』ごっこをするシーンだ。もしマーニーが滅茶苦茶な人なら、「このボートはひっくり返るのでは?」というサスペンスが生じる。それが実際には、「マーニーが自信ありげにやっているのだから問題ないのだろう」となり、綺麗なだけのシーンになってしまっている。
 
 作品をよくよく解釈すれば、おそらく、よくできた人ばかり出てくるべき理由が存在する。
 これは失敗例だが、たとえば――マーニーという人物は、杏奈が物心つく前の、祖母(の思い出話?)のおぼろげな記憶をベースにした杏奈の妄想であって、杏奈の世界観が投影されている(仮説1)。杏奈の世界観のなかでは、杏奈ひとりが出来損ないで、世の人々はみなよくできた人(=魔法の輪のなかにいる)なのだ。ネグレクトされて捩じ曲がっているけれど魅力的、などという人物は杏奈の世界観とは相容れないのだ。
 ……と考えてみると、「杏奈のまわりの人々がよくできた人ばかりなのも、杏奈の世界観の投影なのではないか? 客観的にはダメな人ばかりなのではないか?」(仮説2)という解釈が浮かぶ。が、この解釈には難点がある。もしこの解釈が妥当だとすると、ラスト間際に、まわりの人々がダメさ加減を露呈しなくてはならない。そんなことは起こっていないように見える。仮説2が成り立たないので、仮説1も怪しい。
 そんなわけで今のところ、「ああ私の求めていたものはセコい趣味だった」と思えるような、説得力のある雄大な解釈は見当たらない。きっとあるのだろう、と感じさせる綿密な作品ではあるが。
 
 映像面では、服装が気になった。
 舞台が最近(数年内)の北海道であることは、大道具・小道具で、これでもかとばかりに描かれている。その写実感と、服の落差がすごい。モブも脇役も杏奈も、服だけがまるで30年前の「いかにもアニメ」な服だ。と思ったら、ラスト間際だけ杏奈は、タートルネックで袖のタイトなしゃれたサマーセーターを着ている。と思ったら、杏奈の継母は腕時計のフェイスを内側にしている(ファッション的な意図もなくデフォルトでフェイスを内側にするのは、今では60代以上の女性と一部のオタク女性だけ)。
 このへんも、なるほどと思えるような雄大な解釈がありそうな気もするが、なさそうな気もする。
 
 百合的なシーンは素晴らしい。
 たとえば、夜のボートで二人。これは間違いなく、百合アニメの新たな定番シーンになるだろう。
 マーニーの裸足。百合と裸足のハーモニーは最高だ。
 最近の百合は14歳オーバーが主流で、それより下は手薄な印象だが、その年齢に固有の強みを活かした。杏奈の中性的な感じが嫌味にならないのは、U13ならではだ。
 女優のジブリ的演技は、百合的な手探り感のぎこちなさをよく演出している。
 
 さて、つまるところ、『思い出のマーニー』は面白いのかどうか。
 これだけ長々と感想を書きつらねてきたことが、すでに答えになっている。この作品には、魅力がある。
 『猫の恩返し』も『借りぐらしのアリエッティ』もそれなりに面白いが、もう一度見たいとは思わない。『かぐや姫の物語』には感心したが、その魅力は感心より大きいとはいえない。
 面白さよりも感心よりも、魅力の映画、それが『思い出のマーニー』だ。

Posted by hajime at 2014年08月10日 14:28