「周囲が暗くなると電源がオンになる」という装置がある。夜になったら明かりがつく、という仕掛けだ。この仕掛けを内蔵した照明器具やテーブルタップが売られている。
ある日私は、「周囲が明るくなると電源がオンになる」という機能のあるテーブルタップを探した。しかし、なかった。「見つからなかった」という表現では弱い、と感じるほど探したが、なかった。
「人感センサー」という装置がある。人体の発する赤外線などを感知するもので、トイレの照明によく使われている。人がいないときには消灯するので節電になる。照明のほかにも、デジタルサイネージを制御する、防犯カメラの録画をオンオフする等々、用途は広い。
先日私は、インターフェイスがWi-Fiの人感センサーを探した。ACアダプタのような形状で、コンセントに挿して使い、人体を感知するとWi-Fiで通知するという、電子工作レベルの単純な代物を想定していた。しかし、なかった。
人感センサーを組み込んだ照明やデジタルサイネージや防犯カメラ、つまり単体で完結した製品なら、過当競争なくらいに数多く売られている。しかし、単体では完結しない「周辺機器」的な製品でWi-Fiとなると、コンシューマ向けの完成品としては存在しない。
経済学のゲーム理論がもたらす、もっとも重要な知見といえば、海の家問題だろう。
長さ数百メートルの海水浴場が舞台である。全長にわたってまんべんなく人が来るものとする。ここに、2つの業者がひとつずつ海の家を開くとする。2つの業者のサービスはほぼ同じで、顧客はたとえ優劣を感じても、そのために一歩でも遠いほうを選ぶことはない、とする。海の家のキャパシティは十分に大きく、満員や行列になることはない、とする。さて、この2軒の海の家を、どう配置するのが最善か?
売上の合計(と顧客サービス)を最大化するのなら、真ん中で「領土」を分割して、それぞれの領土の中央に海の家を設ける、というのが答えになる。2つの業者のあいだで談合がまとまれば、現実にもこうなるだろう。しかし自由競争のもとでは、どうなるか? 答えは、「海水浴場の真ん中に、海の家が2つ並ぶ」である。どちらの業者にとっても、それが最善の答えなのだ。
海の家問題が成り立つためには、たくさんの必要条件がある。
ソフトウェアの世界には物理的な距離がない。かつて、ドメイン名の値段が高騰したとき、ドメイン名市場のプレイヤーはそれを「不動産」だと思い込んでいた。かつて、リンデンラボという企業が、「Second Lifeには不動産市場がある」という幻想を売り込んで、少数の人々がしばらくのあいだプレイヤーになった。あれから人類は少しは賢くなり、今ではビットコインのプレイヤーが「有限性」を価値として売り込んでいる。
ドメイン名やSecond Lifeの顛末が示すとおり、ソフトウェアの世界には物理的な距離がない。より正確に言えば、物理的な距離を作り出そうとする試みは、ドメイン名バブルやSecond Lifeの不動産幻想と同程度の広がりしか持ち得ない。物理的な距離に縛られた世界を望むのは、それで利益を得る人々――幻の不動産で地主ビジネスがしたい人々だけで、それ以外の人々は逃げ出すからだ。これはおそらく、MySpaceのように天下を取ったSNSが衰退する理由でもある。
電子機器の世界にも、単純な物理的距離は存在しない。だが、海の家問題は成り立っているように見える。「周囲が明るくなると電源がオンになる」テーブルタップや、Wi-Fiの人感センサーは、いわば海水浴場の隅だ。
物理的距離にあたる役割を果たしているのは、実は「筐体の金型」である。
製品の価格に比べれば、上記のような電子機器に使う電子部品は十分に安い。プリント基板と実装のイニシャルコストも十分に安い。SoC万能の今、設計のコストも十分に安い。筐体以外のイニシャルコストは総額で30万円もしない。1000台も売れば黒字になる。だがそれをさせないのは、筐体の金型だ。100万円以下で筐体を設計して金型を起こすのは難しい。
私はほんの数日前まで、3Dプリンタのことを心底あなどっていた。私の身の回りには、3Dプリンタで出力できるような代物はほとんど見当たらない、と。
だが、筐体の金型のことに気づいて、私は考えを変えた。3Dプリンタには、ある種の電子機器を、ソフトウェアのようにする力がある。もしかすると、この海水浴場には、隅というものがなくなるかもしれない。
ある種の電子機器がソフトウェアのようになると、いったいどんな世界がやってくるのか。私にはまだ想像がつかない。