中里一日記

[先月の日記] [去年の日記]

2001年1月

1月31日

 不可知の「D.A.」を読んだら、姉妹(除く双子)の女同士物を発見した。が、イデオロギー的には内容に乏しく、珍しい例であるというにすぎない。
 思えば、美少女系エロまんがで女同士物をよく描く作者は一般に、イデオロギーの重要性を認識していない場合が多いような気がする。読者は、絵で欲情するのではなく、イデオロギーで欲情するのだ。

 20世紀作戦は現在43枚。
 私の感覚では、100枚というのは実に扱いづらい長さだ。守勢に回る暇はないのに、攻勢を維持するには長すぎる。大山名人的に終盤のうまい相手に手番を渡されて、「潰せるもんなら潰してみろ」と構えられるような辛さだ。

1月29日

 20世紀作戦。
 やっと筆を進める作業に戻った。現在は、我が方の主攻を悟らせないまま前線を押し込み、敵の主導権発揮を時とともに難しくしてゆく段階にある。敵が主導権発揮を決心する直前に主攻を発動しなければならないが、そのタイミングが作戦の成否を分けることになるだろう。

 フィクションにおける戦略思想には、縦深防御と塹壕戦の2種類があるのではないか、という議論が持ち上がった。
 これは、なぜ石田敦子にヤバさを感じるのか、という問題から始まった。イデオロギー的にはなにもヤバくない、という点では意見の一致をみた。とすれば、ヤバいのは戦略・戦術のはずだ。そこで発見されたのが、「石田敦子はトーチカと塹壕で戦っている」というテーゼである。
 攻撃側の利点が主導権であるのに対して、防御側の利点は不確実性にある。突っ込んだら側面に回り込まれて蹴散らされるかもしれない、という恐れを抱かせれば、防御はなかば成功している。フィクションにおいてはこれは「多様な読みの可能性」などと呼ばれる。これが縦深防御である。
 対して、機関銃座に賭ける方法がある。我々には不確実性に優る武器がある、というわけだ。これは、自分の武器が「絶対兵器」であると考えるのに等しい。
 つまり石田敦子は、自分の武器が第一次大戦当時の機関銃にも等しい絶対兵器だと仮定しており、そのギリギリ感がヤバくて格好いい、というわけだ。

 L作戦。
 ThinkPad 240XのHDDのシーク挙動は、最外周付近と内部とで、明らかに異なる。ううう。

1月27日

 今日のソ連:
 木村汎の「ソ連とロシア人」、1980年9月発行。
 いままで私が読んだソ連本のなかでは、最良の部類に属する。ソ連の生活と思考を、これほど深く巧みに描いたものはほかにない。この本で初めて見るアネクドートも多い。ソ連マニアならぜひ手に入れておきたい一冊である。

1月26日

 たとえば、ナボコフの「ロリータ」が、一冊10万円だとしたら。
 空想の話ではない。1974年のモスクワにおいて、これは事実だった。サミズダート(地下出版物)の相場で、ナボコフの「ロリータ」は100ドル、平均月収の半分だったという。
 当然、個人で買うものではない。どの一冊も、何十人にも回し読みされただろう。10万円の本――それも、ナボコフである。想像するだに眩暈のするような、手に汗握るような、鮮烈な読書体験ではないか。
 ソ連にはろくな娯楽がなかった。表のルートで流れる本も、党のプロパガンダ用パンフレット類のほかは、コネがなければ手に入らない場合が多かった。催し物は少なく、チケットを手に入れるのは非常に難しかった。そして、TVドラマを見ても小説を読んでも、党にへつらうような代物が多かった。だから、まんがもビデオもゲームもすぐそこにある世界とは、小説の重みがまったく違うということは認めなければならない。
 だが、とにもかくにも、この地上に、現実に存在したのだ、一冊10万円の小説が。コレクターズアイテムとしてではなく、読まれるために。
 もし生まれ変わりがあるものなら、今度はソ連に生まれたい。ちょっと有名になったら、海外に亡命して、作品を地下出版で流通させるのだ。たとえほんのわずかしか売れなくても、まるで収入にはならなくても、一冊10万円である。人生くらい捨てても十分割に合う。

1月25日

 キッシンジャーの「核兵器と外交政策」(の劣悪な翻訳)をなんとか読み終えた。
 出世する人に必ずある、バランス感覚を伴った華やかさが眩しい。

1月24日

 森田隆光と駿河台出版社が、キッシンジャーの「核兵器と外交政策」(原題“NUCLEAR WEAPONS AND FOREGIN POLICY”)を翻訳した意図がわかってきた。
 彼らの意図は、翻訳の独占権を悪用して、まともな翻訳が出ることを阻止し、日本人にこの本を読ませないようにすることだ。日本人に知恵を与えず、「非武装中立」や「一方的軍縮」といったヨタ話が廃れないようにしてソ連の宣伝戦を助けること、これが彼らの狙いである。
 この翻訳は、読みにくいとか読みやすいとかいうレベルではない。読めるか読めないか、でさえない。キッシンジャーの表現したいことを推測できるかどうか、だ。読むのではなく、字句を手がかりにして推測するのである。英語より読めない日本語の本を読んだのは、これが初めてだ。
 一読でそれとわかるような誤植が、1ページにつき3箇所は確実にある。ほぼすべてのセンテンスが、日本語めいた不可解な語句の羅列である。翻訳者と出版社の誠意はおろか(ないに決まっている)、善意さえきわめて疑わしい。このような翻訳の出版を合理的に解釈するには、ソ連の宣伝戦の援護射撃と思うほかない。

1月23日

 L作戦。
 シークタイムはシークの方向によって変わってくるような気がしてきた。最外周トラック付近では挙動が変わるような気がするが、これは気のせいであってほしい。
 それにつけてもシークタイム予測の難しさよ。

1月22日

 アハメド・ラシッドの「タリバン」を読んだ。
 一言でいえば、村上龍の「五分後の世界」を現実にするとこうなる、という世界である。戦争が産み出すのは、狡猾で誇り高く伝統を愛する戦士などではなく、銃の扱い方以外なにひとつ知らない根無し草というわけだ。
 私がいくつかの点で事実誤認していたことが明らかになったが、アフガン情勢の基本的な見方が変わることはなかった。
 他の知識なしにこの本を読むと、タリバーンはいかにも弱体で、自分自身を統御する力に欠け、いまにもマスード派の巻き返しが始まりそうに思えるだろう。しかし事実は、この本が書かれてから1年も経たないうちに、タロカンが陥落した。1997年末ならともかく1999年末ならタリバーンの勝利を予測するのは簡単だったはずだが、それを書くのは癪だったのだろう。
 私の見方を確認しておこう。
 マスード派は死に体であり、タリバーンのアフガン制覇は時間の問題である(ただしマスード派はタジキスタンを根拠地にして戦い続けるだろう)。関係主要国はタリバーンを未来の交渉相手と考えており、連合政権の可能性はほとんどゼロとみなしている。表向きマスード派を支援している国も、裏でタリバーンと二股をかけている可能性が高い。
 タリバーンは、オサマ・ビン・ラディンの引渡し、女性の人権問題における譲歩、アヘン生産の取り締まりといった取引材料をためこんでおり、アフガン制覇の暁にはこれらを交渉のテーブルに乗せることができる。タリバーンの極度に中央集権的な体制は、タリバーン内外の過激派の夢を裏切るような方針転換を可能にしている。このような方針転換があったからといって、それはタリバーンの穏健化を意味するものではなく、革命を続けるための息継ぎにすぎない。しかしアメリカは、イランへの伝統的な敵意のため、喜んで騙されるだろう。
 アフガン制覇後の方針転換があるかどうかは、最高指導者オマルの決断と手腕にかかっている。方針転換に失敗した場合、21世紀の歴史に残る大混乱が生じるだろう。方針転換がなかった場合、今までとあまり変わらない、世界から見捨てられた国でありつづけるだろう。成功した場合、21世紀の歴史を刻む出来事――原理主義者と民族主義者にとっては最高の、プチブルにとっては最悪の出来事の始まりになるだろう。

1月21日

 L作戦。
 WinBench 99では測定が大雑把すぎるので、低プライオリティで空ループを回すツールを作り、Iometerが使えるようにした。
 シーク範囲を短く取った(128MB)最善の条件で、改善率17%(12.4ms→10.25ms)、理論限界の77%。
 きわめてヤバい。非常にヤバい。圧倒的にヤバい。

1月20日

 眠い。きゅう。

1月19日

 「デュープリズム」のルウ編をクリアした。
 すっとこどっこいの真髄を見た。それにしても、明らかにミント編より出来がいいような気がするのはなぜ。

 くらもちふさこの「天然コケッコー」14巻を読んだ。
 巻末の「そよ風のあいつ」には驚嘆させられた。ごくありがちなヘタさ加減を、ものの見事に模倣している。どうすればこんなことができるのか、漠然と思い描いてみることさえできない。くらもちふさこの、まんがに対する理解の深さは、私などには想像もつかないレベルにあるらしい。

 L作戦。
 ThinkPad 240Xで13.8ms(通常パーティション15.5ms)、理論限界の76%、改善率11%。あと0.5msなんて、逆立ちしたって縮まらねえよアニキ…
 10GBのHDDを4GB占有したら、シーク距離の問題で理論限界の80%がいいところ、と自分を弁護してみる。

1月18日

 キッシンジャーの「核兵器と外交政策」(原題“NUCLEAR WEAPONS AND FOREGIN POLICY”)を読んでいる。底本は1957年、この翻訳は1988年に発行された。
 この翻訳はあまり信用できない。たとえば、「衛星国」とあてるべきところを「人工衛星」と訳している。全体的にぎこちない感じで、キッシンジャーのノリを知らないと読むのに苦労するだろう。
 キッシンジャーは、もともと相互確証破壊を容認していたのが、1970年代末くらいに転向して否定に回った(と思う。記憶がはっきりしない)。転向前の、しかも30年以上も昔の本を翻訳して出すのには、なにか政治的な意味合いがあるように思われる――というのは邪推のしすぎか。

1月17日

 L作戦。
 新しいアルゴリズムのシークタイム測定がまったく役に立たない。きゅう。

1月16日

 20世紀作戦は現在、「記憶術」を読み終えて「世界劇場」にかかっている。
 どうやら、イェイツと私はすこぶる相性が悪いらしい。かなり無理のある(と私には見える)結論の出し方に、首を傾げざるをえない。イェイツは、思考回路的にはトンデモに近いのではないか。裏付けとなる史料を積み重ねる方法はトンデモとは無縁だが、それを扱う手つきにトンデモが匂う。うーむ。

1月15日

 不可知の「堕姫」を読んだところ、母―娘イデオロギーだった。
 以前にも書いたように、女同士物や百合には、姉―妹イデオロギーと母―娘イデオロギーがある。世に多いのは姉―妹イデオロギーで、私自身もそうだ。
 母―娘イデオロギーの美少女系エロまんがは、いままで見たことがなかったが、この「堕姫」を読んで、有力なイデオロギーであることがわかった。特にポルノでは、圧倒的に姉―妹イデオロギーより優れている。

1月14日

 L作戦。
 HalfDisk 0.2がThinkPad 240X上で動いた。
 利用可能容量2GB(最外周)、WinBench 99のDisk Inspection TestsのDisk Access Timeで測定(Iometerはタイムスタンプカウンタを使っているので役に立たない)。disable時との比較で2.4msの短縮、理論限界(3.57ms)の67%。通常パーティションは15.5ms、HalfDiskパーティションは14.1ms、率にして9%の短縮。
 …アニキ、ヤバイっす。あと0.7msくらい縮めるっす。でないとサボタージュで俺たち銃殺っす。シークタイム測定がまだ変なんで、そこをいじるっす。

1月13日

 F・A・イェイツの「記憶術」を読んでいる。
 キリスト教的カバラにかぎらず、ルネサンスの思想史は憂鬱なものらしいとわかってきた。真作としてまかりとおる偽書、イデオロギーのがらくた、そのがらくたを組み合わせる遊び。「阿呆かお前」で片付けられるような、どうしようもなく間が抜けていて些細なことばかりが続いている。
 26世紀の人々は、21世紀の思想史をどう思うだろう。願わくば、微笑ましいものであってほしい。なにしろ20世紀は、憂鬱ではないが厳粛すぎて肩が凝る。

1月12日

 センター試験が近いので、西在家香織派は今年も新メンバーを募集する。

 募集人数:
 若干名

 応募条件:
・百合に対する深い情熱を持つかた
・小説を書きたい・書いているかた
・2001年4月の時点で東京大学教養学部(前期課程)に在学見込
 科類・年齢・容姿・セクシュアリティは原則として不問だが、思想上の理由により、喫煙者・自称トランスセクシュアル・自称トランスヴェスタイト・自称アダルトチルドレンはお断りさせていただく。

 メンバーの特典は、
・印刷物の作成にあたって人手(私)を借りられる
・中里一の百合作品ライブラリを利用できる
・毎週土曜日、百合について議論できる
・コミティア・コミックマーケットに無料でサークル参加できる
 など。
 応募はメールにて受け付ける。締切は4月1日である。ふるって応募されたい。

 応募者ゼロに100万ガバス。

1月11日

 20世紀作戦は、Zikaの「REUCHILIN'S DE VERBO MIRIFICO AND THE MAGIC DEBATE OF THE LATE FIFTEENTH CENTURY」を片付けた。
 「一般人に知られるとヤバいから肝心のところは教えない」というオチは、少なくとも400年以上昔から使われていたことがわかった。もしローマ時代まで遡れるなら、本物の「古典的」オチといえるだろう。
 続いて「REUCHLIN AND ERASMUS」にかかっている。5つの大学の神学部を敵に回し、人文学者仲間の支持もなく、孤立無援でヘブライ語の書物をかばうロイヒリンに萌え。
 以前にメモするのを忘れていたが、Blauによれば、ギョーム・ポステル訳のゾーハルは出版されなかったという。ということは、バーヒルの翻訳も同様である可能性が高い。

 2ヶ月間ものあいだ文献ばかり読んでいたわけだが、これで得た知識をどう作品に使うのかというと、実は、ほとんど使わない。
 この調査は、露骨に間違ったことを書かないためだけのものだ。ネタにするには最低でもこの3倍、望ましくは10倍程度の調査が必要になるだろう。とらハの唯子の部活が謎の武道(合気道?)なのは、逃げ方として正しい。
 武道ならそれでいいとしても、オカルトでそれをやるのは、少なくとも私の趣味ではない。私は、既存の文献をほとんど無視したオカルト、Blauの表現を借りれば「his own Cabalist」が大嫌いなのだ。なんの役にも立たないことを言うのだから、歴史と伝統の重みくらいはあってほしい。

 特許の時間制限もあることなので、そろそろL作戦を再開しなければ。HalfDisk 0.2のアルファ版まであと一息。

1月10日

 眠い。きゅう。

 千号作戦こと「小春日和計画」の通販取り扱いを始めた。詳細はこちら

1月9日

 「デュープリズム」のミント編をクリアした。
 かなり出来がいい。ただし、百合的には萌えない。これだけ出来がいいのに百合的要素を入れ忘れるとは、「デュープリズム」の制作者はまだ21世紀の真実に目覚めていないらしい。
 あえてケチをつけるなら、話に無駄がないのが気に食わない。使われなかった伏線や、萌えそうなのに出番のなかったキャラを、「あれは一体どうなったんだ」と思い返すのも一つの醍醐味である。

 反射神経を使う種類のタイピング練習ゲームをやると、人間の脳がパイプライン処理をしていることがよくわかる。
 画面に単語が出てくると、
1. 単語を、タイプすべき文字列(ローマ字)に変換する
2. 文字列をタイプする指の動きを、脳内でレンダリングする
3. レンダリングの結果を指に出力する
 の3モーションが連続して生じる。
 普段キーボードを使うときには、この3モーションは平行して生じている。1の処理結果を2に渡したあと、1は2の処理が終わるのを待たずに次の単語を変換にかかる。2と3の関係も同様だ。普段は、パイプライン処理をしているとはまったく自覚しない。そのため、単語が出力されるまでに1クロックしかかかっていないかのような錯覚を抱く。
 時間当たりの処理数でいえば、たしかに1クロックになる。が、単語が入力されてから出力されるまでのレイテンシは、1クロックよりはるかに長い。反射神経型のタイピング練習ゲームはそのことに気づかせてくれる。こんなもの1クロックで打てるはずなのに、なぜこんなに時間がかかるのか、と。

 20世紀作戦。
 Blauのあれを読み終えた。
・プラハのルドルフ2世の宮廷にたむろしていたような連中について、ほとんど触れられていないのが気になる。
・キリスト教的カバラの哲学的宇宙論への影響については、その「カメレオン的性質」のためゼロに等しかった、ということでいいのだろうか。
・魔術的操作の護符というより、現代における精神分析のような、アカデミックなタイガーバームとして広まった、というのがBlauの考えらしい。
 続いて、Charles Zika(ジカ? ツィカ?)の「REUCHILIN'S DE VERBO MIRIFICO AND THE MAGIC DEBATE OF THE LATE FIFTEENTH CENTURY」を読み始めた。Blauよりはるかにわかりやすい英語なのに、2時間読んで10ページしか進まない。きゅう。

1月7日

 今日のソ連:
 谷畑良三の「クレムリンの熱き日々」、1984年11月発行。
 現地特派員経験者ならではの、ソ連の「気配」が濃厚に感じられる良著である。プラハの春のくだりの、プラハの特派員との情勢認識の食い違いは印象深い。外部には伝わりにくい「気配」の恐ろしさがよくわかる。

1月6日

 頭が正月ボケ&英語疲れ(いまだにBlauのあれを読んでいる)でよく回らない。きゅう。

 PSのゲームの「デュープリズム」をやっている。ファンシー・メル萌え。

 WinTV PVR for PCIは、ファンで風を当ててやらないと、キャプチャを始めて30分ほどで熱暴走する。うーむ。

1月4日

 部屋を少しだけ整理した。
 おかげで、百合物件の蔵書へのアクセスが大幅に改善された。この機会にデータベースを更新して、「百合すと2」の基礎データにしなければ。

1月3日

 新春恒例の、あまり上品でない話をしようと思ったが、ネタが浮かばない。あしからず。

 電撃G'sマガジン2月号を見ていたら、シスプリの「お泊りできたお兄ちゃんはこちら!」のコーナーで、亞里亞の兄やが「蒔子兄や」になっていた。
 はっきりと女名前のお兄ちゃんを、このコーナーで見たいものだと思っていたので、少し嬉しい。

1月2日

 あけましておめでとうございます。

 20世紀作戦は、「フーコーの振り子」を読み終えた。
 誰がなんと言おうと、圧倒的な自信をもって、駄作と断言できる。いい年をした男が、「おまじないコミック」に夢中の女子中学生のような思考回路で右往左往しているのに萌えられる人でないかぎり、読み切ることさえ難しいだろう。私も、途中からはぱらぱらとめくるだけだった。
 戦線は穴だらけ、というより、もはや戦線の体をなしていない。ほとんど一行ごとに、読むのが馬鹿らしいと感じさせられる。

 PSのゲーム「マール王国の人形姫」の続編、「リトル・プリンセス」をEDまでやった。
 百合的な配慮は前作より充実しているが、私的には前作のほうが萌える。どう考えても、クレア×クルルより、エトワール×コルネットのほうがいい。

 

今月の標語:

「198×年、地球は核の炎に包まれた」

 

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