中里一日記

[先月の日記] [去年の日記]

2001年10月

10月31日

 kaoriha.orgに移行してから、リファラーのログが見られるようになった。リンクはともかくとして、全文検索が楽しい。
 刑部真芯が大人気、アフガン関連もなかなかのものだ。百合関連が最強なのはもちろんである。
 …と一応断っておかないと、読者諸氏に失礼かと思ったので書いておく。
 もっとも、この文章を読んだときにはすでに手遅れかもしれないが、世の中は往々にしてそういう仕組みになっているらしい。

10月30日

 Visor Edgeが価格改定で1万9800円になった。まことにめでたい。
 私は以前から、Palmの適正価格は1万5千円だと考えていた。Visor Deluxeの9800円は明らかに在庫処分価格だったが、Visor Edgeの1万9800円は適正な価格である。採算割れ? なら作るべきではない。
 スティーブ・ジョブスによるMac互換機の排除が、どれほど正確な判断だったか、またしても歴史は示してくれた。もしPalm Inc.が互換機を作らせずにいたら、いまだにPalmは不当に高価なままで、高いブランドイメージを苦もなく維持しつづけていただろう。コンピュータの司教たちが唱える道徳など、無視するほどの値打ちもない。
 世の人々もようやくPalmの中身に気づいたらしく、携帯電話に組み込もうという話をさっぱり聞かなくなった。Palm Inc.の業績も芳しくないという。これまた実にめでたい。成長こそ力のコンピュータ業界にあって、Zenの精神が普及しては世も末だ。「足るを知る」ことは、「なにが足りないかを知る」ことよりも、はるかに易しい。

10月28日

 昨日の続き。
 Emacsも自分でコンパイルする必要がある。パッケージは要Xらしい。
 Cygwinでクロスは気が重い(情報が少ないので人真似小猿には辛い)。NetBSD/i386を、どこに――ThinkPad 220? 子機より遅い母艦とはまた粋な。ただ、メモリ6MBで動くかどうかは知らない。
 容量削減の方策について。
 SSL関係を消すと2MBくらい減りそうな気がする。sendmailで600KB。あとは、私は人真似小猿なのでわからない。誰か素晴らしい消去リストを…

10月27日

 昨日の続き。
 NetBSD/hpcmips on MC-R330の問題点は、
1. インストールが難しい
 R330のように、LANカードを刺せない条件では辛い。最初はpppdを持ってきて、シリアルでPPP接続しようとしたが、パッケージとインストール時ではバイナリが違うらしく、失敗した。
2. サスペンドで画面が消えない
 カーネルを軽くいじる必要があるらしい。もちろんクロスコンパイルになる。
 調べてみると、NetBSD/hpcmipsは電力管理周りの調査がまだまだらしく、外出時以外は常にAC接続して使うものらしい。WindowsCEマシンは繊細高度な電力管理をやっているので、今後ともあまり対応は期待できそうにない。
3. CFが64MBでは足りない
 X抜き、開発環境抜きの最小限のものだけで28.7MB。

 というわけで、かなり辛い。うーむ。

10月26日

 X抜き、いらないデーモン全部抜きで、ただPerlのスクリプトを実行するだけで激しくスワップを生じるLinuxマシンを、あなたは使ったことがあるだろうか。私はある(ThinkPad 220)。
 私はこのマシンで、Windows 95とLinuxの振る舞いを比較した。その結果、私はLinuxに見切りをつけ、Windowsの道を邁進してきた。
 すでに昔のことなので、言い過ぎがあって政治的に安全と思われるので言ってしまおう。Linux(カーネル1.0.x)がWindows 95より速いという説は、ソ連のプロパガンダ並みの大嘘だった。この説を成り立たせようとしたら、Windows 95はGUIを、Linuxはコンソールを使った条件で比較しなければならない。
 言い訳したければ、参考になるフレーズを党のパンフレットから引用すればいい(実際、彼らの言い分は、党のそれとよく似ていた)。本物の実績もある。アメリカのスカイラブがなくなったあとも、ソ連はミールをずっと運用しつづけていた。
 Cygwinという便利なものができたこともあって、Emacsのキーバインドもすっかり忘れた私だったが、ときには避けられない事態が生じる。
 先日以来、モバイルギアII(MC-R330)にJavaの開発環境を構築しようとして調査を進めてきた。しかしどういうわけか、WindowsCEではどうやってもできない。
 ネイティブコンパイラを調達しようとしたら(Jikes)、eMbedded Visual C++が例外処理のないC++もどきなのでできない。
 PersonalJavaでJavaコンパイラを無理やり動かそうと試みたが、javacもkjcも通らない。
 他のJavaVMをと探したが、フリーで現に動くものは存在しない(そのうちKaffeが動くらしい)。
 もはやNetBSD/hpcmipsしかない、というのが結論である。以下、後日に続く。

10月25日

 眠い。きゅう。

10月24日

 9作戦が成功を収めた。11月発売の小Jに載るらしい。
 編集部のどなたかの急所を直撃したのだろう。私の小説を見る機会がなかった読者諸氏もお楽しみに。

 北部同盟はタリバンのラスト・マジックを封じ込めたのだろうか。
 ドスタムが突っかかってくる時期が、私の予想より遅れている。物資をよこせと怒鳴っているらしい。自信の持てない攻撃を避けて、今まであまり動かずにいたのだろうが、マザリシャリフへの補給路はすでに交通が難しくなりはじめている。タリバンの分がいいわけもないが、そう悪くもないはずだ。
 これから来るはずの攻勢に対して、決定的な反撃を行いうる可能性は十分に残されていると考える。レーガン政権が生み出した、戦争しか知らない子供たちの力を、世界中に見せつける最後のチャンスである。もしタリバンが私の知るタリバンであるなら、彼らは必ずやる。

10月23日

 iモードJava携帯を使った小説の有料配信計画があまりにも捨てがたいので、フォントデータを圧縮する方法をつらつらと考えていたら、文字を切り張りする方法を思いついた。
 「狆」という字を作るには、「猫」の偏と「沖」の旁をそれぞれ切り取ってきて貼り付ければいい。他の文字で使われている偏と旁は、それぞれ3バイト程度で引っ張ってこられる。理想的には「狆」のフォントが6バイトで済むことになる。
 現実のフォントでは、偏と旁は文字によってそれぞれ微妙に幅や細部が違うので、かなり条件の合う組み合わせでないと字形が崩れるが、12ドットフォントならパターンは限られてくる。おそらく3割以上の文字が、切り張り6バイトで作れるはずだ。
 1文字12ドット平方・1ピクセル2ビット=36バイト。1文字が平均27バイトになると仮定すると、FOMAのiアプリのサイズ30KBには、およそ1000文字が詰め込める。コードとリソースを3.6KBで済ませるのはさすがに厳しいので、少し負けて900文字。漢字頻度表によれば、900文字あれば、文章に出現する文字の95%弱がカバーできる。この900文字の文字集合を仮に基本セットと呼び、基本セットにない文字を拡張セットと呼ぶ。
 仮に400字詰め原稿用紙1枚が300文字とすると、拡張セットの文字は1枚当たり15個出現する。拡張セットの文字をロードするために、1枚当たり405バイトの転送が必要になる。一方、基本セットの文字は10ビットで参照できるので、1枚当たり375バイト。あわせて1枚当たり780バイトを要する。ただし、内容が連続している文章では、使われる文字に局所性があるので、おそらく650バイト程度まで減らせる。
 通常の個人が選択するプランだと、FOMAのパケット代は128KB当たり102.4円。ということは、原稿用紙197枚/100円になる。
 …………いける?

10月22日

 デバッグマシンのLANカードが死んだ。
 チップは死ぬ。どこがどう疲労するのか、それとも確率過程なのかも知れないが、とにかく死ぬ。実に厄介な話だが、事実なので仕方ない。
 死んだLANカードは、8年ほど前に入手したPlanet Technology製のNE2000互換カードである。私が使っていた最後のISAカードだった。当時の売価は7100円。一応はLife-Time Warrantyになっており、自己診断ソフトもついていて、当時はそれなりに心強く感じたが、どちらもなんの役にも立たなかった。修理させようにも、いまさらISAカードのために指一本でも動かすのは嫌だし(だいたいPlanet Technologyという会社はまだ存在しているのだろうか)、自己診断してもエラーを検出できなかった。
 というわけで、さっそく替わりのカードを調達した。
 LANカードはあまり安いのを使うと心が貧しくなるので、IntelのEtherExpress PRO/100 Sにした。私には役に立たない機能ばかりたくさんついているが、LANカードのような実用的なものについている役に立たない機能は、心を豊かにしてくれる。ただしバルクで5980円。RealTekチップなら1000円を切る。
 インストールしてみると、さっそく面白い機能を発見した。ネットワークブートである。
 これをIEEE1394と組み合わせれば、LVD SCSIがなくても、HDDを10mくらい離れたところに置ける(システムフォルダのあるドライブだけネットワーク接続、あとはIEEE1394)。費用を計算してみると、明らかにこのほうが安い。LVD SCSIはケーブルとHDDが途方もなく高価につくのだ。…などと検討できるのが、役に立たない機能の素晴らしさだ。
 それにつけても完全無音マシンは遠い。きゅう。

10月21日

 問:シスプリに対して、「こんな妹はいない」という言葉がナンセンスなのはなぜか?
 答:姉なし兄弟なしで妹ばかり12人いる、という事態がすでにナンセンスだから。
 ……というのは事実の一端ではあるが、十分な説明ではない。妹12人という設定は、シスプリにおける統合された戦略の一部として評価しなければならない。
 本題に入る前に、「こんな××はいない」式の評価について少し。
 名前がないと不便なので、「こんな××はいない」式の評価を仮に、「保守主義リアリズム」と呼ぶことにしよう。
 「女が描けていない」という有名な決まり文句がある。かつて文壇なるものに存在感があった頃、小説をけなすときによく使われた。私のみるところ、保守主義リアリズムの真髄がここにある。なにしろ、「女が描けていない」という決まり文句を使うのは、男なのだ。「プロレタリアの階級的利害」という決まり文句をアパラチキが使うのとよく似ている。
 誰であれ、「自分は保守主義リアリズムとは無縁だ」などと考えるべきではない。誰でも子供のうちは保守的で権威主義的なものだ。リアリティという概念に汚染された世界で子供時代を過ごした以上、自分にも悪癖が染み付いていると考えたほうがいい。当然ユーザも同様である。特に若年層をユーザに設定する場合、ユーザの多くは保守主義リアリズムを無邪気に信奉していると考えるべきだ。
 では本題に戻る。
 保守主義リアリズムに対する防御として、妹12人という設定は有効に働いている。これが同時にマルチギャル構造(かなり極端ではあるが)として機能している、という点は見逃せない。攻防一如とはこのことだ。マルチギャル構造は保守主義リアリズムからの攻撃を受けやすいが、シスプリにおいては逆に防御として働いている。見事な発想の転換といわねばならない。
 保守主義リアリズムへの対策として考えられる手は、シスプリ流の積極的な防御だけではない。ボーイズラブの性別:受に対して、「こんな男はいない」という言葉がナンセンスなのはなぜか? という問題を提起しておき、また後日。

10月20日

 「リアリティ」なる概念と、社会主義リアリズムとの関連について考えている。
 私の疑問はこうだ――いま世に流布している「リアリティ」の概念は、社会主義リアリズムに端を発するものではないか?
 社会主義リアリズムとは、スターリン時代のソ連で発明された思想である。ソ連関連の本では一般に、ネップ時代に花開いた抽象芸術を押し潰したローラーとしてしか扱われていないが、それにとどまるものではない。私のみるところによれば、「写生」を「リアリティ」に置き換えたのが、社会主義リアリズムである。しかもこの変質は、ソ連国内にとどまらず、プロレタリア文学運動を通じて世界的に起こった。
 事実を脈絡抜きに、ただ無心に眺めるなら、それは常に異常であり、滑稽であり、不可解である。適当な漢字を紙に一文字書き、それを無心に眺めつづけてみるといい。それが文字であるという脈絡を忘れたとき、異常で、滑稽で、不可解なものとして感じられるはずだ。
 「写生」には、脈絡抜きの事実に対する敬意がある。文学史で習ういわゆる自然主義は、写生を目指したものだ。しかし社会主義リアリズムには、このような敬意はない。「社会主義」の名が示すように、はじめにイデオロギーありき、だからだ。事実を脈絡抜きに眺めるような態度は、まったくイデオロギーに奉仕しない。
 イデオロギーの色眼鏡は人の世の常だが、それが恥ずかしい結果を多々生んできたことは、マキャベリに教えてもらうまでもなく誰もが知っている。では色眼鏡なしにものを見よう、と普通の人間は考える。しかしボリシェヴィキは違った。ブルジョアの色眼鏡に対抗して、プロレタリア(=党)の色眼鏡を使おう、というのが社会主義リアリズムである。
 色眼鏡に「リアリズム」の名を与えるという発想には、まさにボリシェヴィキの精神が感じられる。色眼鏡なしにものを見よう、などというのは、ボリシェヴィキにとっては戯言の極みだ。
 「社会主義リアリズム」から「社会主義」が抜け落ちたとき、プロレタリア(=党)の色眼鏡が捨てられた(あるいは隠された)。「リアリズム」という言葉も臭みがあるので、かわりに「リアリティ」と言うようになり、さらにその言葉さえも隠して「こんな××(妹、学校教師、小学生など)はいない」などと言うようになった。しかし社会主義リアリズムの構造そのものは捨てなかった。プロレタリア(=党)の色眼鏡のかわりに、新しい色眼鏡が装着された。ただし今度は、色眼鏡を使っているとは認めなくなった。
 ここにはイデオロギーなどない、という顔をしているとき、イデオロギーはもっとも成功している。社会の成員のほとんどが、「ここにはイデオロギーなどない」という顔を認めるなら、そのイデオロギーとは支配的イデオロギーである。
 以上長々と説明してきたが、結論を言おう。
 支配的イデオロギーに奉仕するように物事を断じること、しかもそれを暗黙のうちに行うこと、それが「リアリティ」である。

 言うまでもないが、支配的イデオロギーの力を逃れることは、百合の普及にとって重要事である。
 シスプリに対して、「こんな妹はいない」という言葉がナンセンスなのはなぜか? という問題を提起しておき、また後日。

10月19日

 「いったいイデオロギーとは何なのでしょう。私が深く確信するところによれば、イデオロギーとは、すべての個人が蓄積してきた社会経験であり、この社会経験にもとづいて、はじめてわれわれは選択や決断をすることができるのです。理論に関しては、われわれにまだ理解できないものがたくさんあります。今日の世界の紛争を考えてみてください。われわれが踏み出したのはまだほんの最初の数歩でしかないことが分かるでしょう」
――1990年、第28回党大会における、アレクサンドル・ヤコブレフの演説より

10月18日

 カーネルデバッグ中の暇つぶしに、アニメの「おにいさまへ…」を見ている。
 大時代な人々が大真面目で「おにいさまへ…」ごっこをする(それ以外にどんな表現ができるだろう)このアニメを作った人々は、いったいなにを考えていたのかと、いつもながらに気になる。
 ちなみに私は少コミ育ちなので、「おにいさまへ…」ごっこの趣味がない。あれは、りぼん育ちの人でないとわからない趣味ではないかと思うが如何。

10月17日

 アメリカ事件に関する言動を観察すると、人の教養の程度がわかって面白い。
 「対アフガン作戦は罪のないアフガン人まで苦しめている」――50点。
 資本主義世界のノーメンクラツーラたる我々5億人がペットの餌代に費やしている金を、もし世界の貧困救済にあてれば、いったいどれだけの人命が救われるか、考えてみたことがあるのだろうか。
 対アフガン作戦は子供の気まぐれではない。それは、貧しい人間よりも金持ちのペットを優先させるこの世界のシステムに、深く支えられている。
 「庶民が考えても仕方のないことだから話題にしない」「話題にするとオサマ・ビン・ラディンの思う壷」――30点。
 ゴルバチョフ登場以前のソ連では、国内で起きた飛行機事故などの人災を報道することが禁じられていた。人民にいたずらに不安を与えるだけだから、あるいは、帝国主義者のプロパガンダに使われるだけだから、という理由である。筋は通っている。人民を不安がらせるのは可哀想だ、誰も人民の声など聞かないのだから。
 いまのところ民主主義は人類の結論だが、完全無欠の政体などでは到底ない。ごく身近な例を挙げよう。アメリカの対アフガン作戦である。長期的に見れば、現時点での空爆は拙速にすぎる可能性がある。が、空爆開始を延期するという選択肢は、アメリカにはなかった。アメリカが民主主義の国だからだ。もしソ連が現存していれば、「ブルジョア民主主義はこれだから…」と憐れんだにちがいない。
 このような欠点にもかかわらず、民主主義は現時点での人類の結論として選ばれた。人間が政治的な動物だからだ。民主主義のおかげで人間が政治的たりうるのではなく、人間という政治的動物が民主主義を必要とした。
 人間が政治的動物であることを拒否するなら、「庶民が考えても仕方のないことだから」とも言えるだろう。そのような人はぜひソ連に亡命してほしい。きっと楽しく暮らせるはずだ。
 「×月×日に××でテロが起きるって聞きました、皆さん気をつけてくださいね、私も気をつけます」――0点。

10月16日

 眠い。きゅう。

10月15日

 インドネシアが空爆反対に転向した。
 アメリカ事件は結局のところ、巨大な天安門事件か、あるいは巨大なイラン革命か、どちらかを引き起こさざるをえない、と私は考えている。両方とも避けられるならそれに越したことはないが、どうやら事態は危機的な方向に傾きつつあるらしい。
 オサマ・ビン・ラディンの、「よろしい、では教育してやるか」という声が聞こえるような気がする。

10月14日

 L作戦。
 AAHDD 0.2.1リリース。

2001年10月14日 Version 0.2.1
・測定単位をパーティションからHDDに変更
・測定用のドライバを不要化
・.hgtファイルの作成機能を追加

10月13日

 緑作戦は現在32枚。ちなみに目標は250枚。
 Xイデオロギーを捉えているかどうかはやや怪しい。しかし形勢は悪くない。

 タリバンが北部同盟に対して、北部正面で反撃に出た。
 少々早すぎる。いま動いては、大した戦果をあげないうちに米軍に順次爆撃されるだけだ。カブール正面の攻勢もまだ始まっていない。(攻勢開始に待ったをかけた判断は実に鋭い、北部同盟らしからぬ鋭さだ、と思っていたら、爆撃はカブール正面のタリバン陣地をわざと外しているという。政権の構想がまとまらないままカブールが陥落することで北部同盟が分裂するのを避けるためらしい)
 アパッチに威張られては手も足も出なくなるので今のうちに、という判断かもしれないが、どうせ大した数は来ない。機を待つべきだと考えるし、タリバンもそう考えていると思う。
 とはいえ、かなり嫌な材料であることは間違いない。タリバンはジャララバードを再現できるだろうか。

10月12日

 「ナジカ電撃作戦」の第2回を見た。
 リラが萌えない。が、期待は持てる。

 TVアニメの「ココロ図書館」の第1回を見た。
 絵も話も萌えない。百合になるかどうかも怪しい気配である。ともあれ、キャラデザ前に出ろ、と言いたい。
 あと、主要スタッフは全員、小松由加子の「図書館戦隊ビブリオン」を10回読んでから出直すべきだ。ブックトラック・バスターを使わない司書は司書として認められない(嘘)。

10月11日

 眠い。きゅう。

10月10日

 TVアニメの「ちっちゃな雪使いシュガー」を見た。
 完璧、と言うほかない。ただの完璧ではない、刃牙ワールドや車田正美ワールドでしか存在しないような「完璧」である。完璧なロリ、完璧な萌え、完璧なオタク狙い――このアニメを見たあとでは、もしかするとマッハ突きも現実に可能かもしれないとさえ思えてくる。なにしろ、これほどの完璧さが実在しているのだ。
 だが現在までのところ百合ではない。没。

 私の勘が正しければ、この2週間以内に、タリバンのラスト・マジックが見られるはずだ。
 来年の春が訪れたあとにタリバンが生き残れる見込みはまるでない。タリバンを潰さなければムシャラフ政権がもたない仕組みになっている。タリバンはすべての力を、雪が通行を困難にするまでの、この2週間で使い尽くしてしまっていい。
 逆に北部同盟の側は、すでにタリバン後を睨んでいる。タリバンを潰したあとは、いま北部同盟を構成している軍閥同士の内戦が再開する。これを勝ち抜かなければならない。力は溜め込んでおかないと馬鹿をみる。
 アメリカが対タリバン姿勢を明確にしてから空爆を始めるまで、かなり時間があった。装備を隠す余裕はあったはずだ。いったん偽装を解き隠し場所から出したあとはもう爆撃の目標でしかないが、おそらく一昼夜のあいだだけは、惜しみなく使うことができる。一昼夜あれば、魔法は使える。
 航空支援は敵にある、装備は同等あるいは敵が上、などなど、マイナス材料はあまりにも多いが、ジャララバードを再現しうる状況は整っていると考える。
 ジャララバードのときにも、西側のマスコミは、ナジブラ政府軍が勝利するとは夢にも思っていなかった。アフガニスタンは、単純な思い込みをことごとく裏切ってみせる国なのだ。

10月9日

 思えば、B2がアフガニスタンを爆撃するさまくらい奇妙なものは珍しい。
 機体と同じ重さの金よりも高価といわれるステルス爆撃機が、世界の最貧国のなかでももっとも荒廃した国を攻撃するために、一回のフライト当たり数千万円をかけて飛んでくる。しかもB2の形はあれときている。まるで吉田戦車のまんがのようにシュールな話だが、現実だ。
 オサマ・ビン・ラディンの、「よろしい、では教育してやるか」という声が聞こえるような気がする。

10月8日

 反動や原理主義を告発する勧善懲悪の物語について考えた。「純粋な」社会や、「あるべき」世界といった虚構の犯罪性を暴き出し、歴史が人間性の絶えざる変化であることを説くものである。
 が、これまでの検討では、いまひとつうまくいかない。そこで私の心に、こんな考えが浮かんできた。
 価値について語ることは、常に反動的なのではないか?
 反動主義者は常に価値について語る。ニーチェは貴族的な生の価値について語り、ロマン主義者は農村の生活の価値について語った。一方、ブルジョアの価値観を擁護することは、19世紀を通じてまったく流行らなかった。経済学の分野で今までになされた最大の進歩は、価値について語るのをやめたことだ。
 もともと物語は価値に属さない旋回軸を持つことが難しいが、勧善懲悪はまさに価値を旋回軸とする。反動や原理主義を告発するとき、どんな価値にもとづくことができるか。だが反動を告発する根拠は、突き詰めて言えば、ひとつしかない――自然科学の進歩の不可逆性である。
 自然科学の不可逆的な進歩だけが、生産に関する一切を不可逆的に変え、人間性を不可逆的に変え、反動の究極的な敗北を運命づけている。もし自然科学という爪車がなければ、反動が究極的に勝利し、世界の時間を巻き戻せる可能性は十分にある。そもそも、このような爪車なしには、反動とそうでないものをどうやって見分けられるだろう。ルネサンスにおいて共和制ローマの政体を理想とすることには、反動的なものはなにもなかった。
 自然科学のこのような性質は、価値ではないし、人間的なものでもない。反動を告発するときの論旨はつまるところ、「お前たちに勝ち目はない、投降しろ」以上のものにはけっしてならない。この論旨がどうやっても勧善懲悪にならないことは明白だ。
 なるほど――人が進歩を信仰した理由は、ここにもありそうだ。

10月7日

 新装版おかみきの6巻を読んだ。
 あとがきに書かれている、読者の反応が興味深い。支配的イデオロギーの力がありありと感じられる。「強姦されてハッピーエンド」イデオロギーはまさに、こうした古き悪しき支配的イデオロギーの変形であり、消え失せるべき反動である。

 アフガニスタンへの空爆が始まった。
 北部同盟が総攻撃に出ると言っているが、季節が悪い。タリバン側は2週間持ちこたえればきわめて有利になる。焦って攻めて壊滅しなければ儲け物だろう。

10月5日

 TVアニメの「ナジカ電撃作戦」第1回を見た。
 「AIKa」が正常に進化している。「AIKa」と同じく、スタッフの魂の底からの堅い堅い信念――おそらく私の百合への信念にも比すべき堅さだ――が、作品の骨となり血となり肉となっている。お好きなかたは随喜の涙を流すだろう。私は、どんな信念であれ堅い信念にあふれた作品は好きなので、かなり(変な意味で)面白く見た。
 しかし… 定義上、百合には入るものの、うーむ。

 ところで、「ナジカ電撃作戦」を見たら、OAVの「まじかるカナン」のなにが間違っているのかわかった。魂の底からの堅い信念がないのだ。努力だけでは足りない、そこに信念がなければ。

 今日の更新:
要注意物件リスト

10月4日

 対アフガン作戦の中軸が、タリバン政権の打倒になりつつある。
 パキスタンの反米感情をみて、アメリカはパキスタンに基地を設けるのをためらいはじめた。パキスタンに基地を設けないということは、パキスタンの現政権の維持にアメリカの死活的な利益を賭けるのを避けたということだ。この弱腰はすでにパキスタン内部のタリバン派を勢いづけているだろう。タリバン派がいま背水の陣、勝利か死かの状態にあることも忘れてはならない。タリバンを打倒できなければ、ムシャラフ大統領が打倒され――
 このシナリオの現実性を疑う人は、イラン革命の歴史を調べてみるといい。CIAがイランの反動勢力を、どれほどみくびっていたか。この情勢判断の甘さのために、イラン政府は「天安門事件」に踏み切るタイミングを逸し、反動勢力に国を奪われた。その後のイランの恐るべき苦難は言うまでもない。
 最悪のシナリオに一歩近づいたことを、アメリカは理解しているのだろうか。

10月3日

 かねて構想していた新作戦を開始した。狙いはXイデオロギーである。
 本作戦を緑作戦と命名する。

 Natural2の千紗都ダークエンドを見た。
 なぜエロゲーのダークエンドはこうも詰めが甘いのか…などとF&Cにぼやくほうがお門違いだった。私の考えた代案は、今度の正月に日記のネタにしたい。もし覚えていれば、だが。

10月2日

 kaoriha.orgスタート。
 メールアドレスはhajime@kaoriha.org

10月1日

 遅ればせながら私も、キッズgooなるものの存在を知った。
 ここが提供している機能のひとつ、フィルタリングが面白い。我が子を「無知」という千尋の谷に突き落とし、這い上がれなかった出来損ないをほんの子供のうちから人生の落伍者にしてくれるという、大変ありがたい代物である。親も本人も、見切りをつけるのは早いほどいい。息するのと同じくらい当たり前に親の目を盗み、監視を出し抜くようでなければ、人の世は生きてゆけない。
 私もしばし童心に帰り、フィルタリングと戯れてみた。
 情報では、「イデオロギー」は通らないと聞いていたが、やってみると、通るページもある(検索キーワード:ソ連)。
 「百合」をはじくと花や人名や地名でひっかかるので、これはどう考えてもフリーパスだ。では「やおい」はというと、最初は通らないかと思えた(検索キーワード:吉原理恵子)。しかし試しているうちに、強力な反例を見つけた。ここである(検索キーワード:tinamix)。
 ご覧いただけるように、「やおい」ばかりか「女装」「少年愛」「レズビアン」「レイプ」「強姦」がすべて通っている。どういう仕掛けか知らないが、通す方法はあるわけだ。ほかにもwww.tinami.comはキッズgooの無法地帯と言うべき状態で、ほぼ全ページ、どんな言葉も通る。普通のページだと、「やおい」だけでも通らないというのに。
 ところで、私のページはほぼ全部通らなかった。ことに日記は全滅である。なぜ?

 マスードが死に、北部同盟をマスード派とは呼べなくなったので、これからは北部同盟と呼ぶことにする。今となってはアフガン内戦の戦況にどれほどの意味があるのかはわからないし、マスードのいない北部同盟がどれほど組織体として機能しうるかは疑問だが、それはともかく。
 マスードの死後、北部同盟は全面攻勢に出たが、すべて挫折しつつある。マスードのいない北部同盟など、イチローのいないオリックス以下、といったところか。
 ところで、これと似た状況がかつてあった――ジャララバード。
 ソ連軍撤退後、ジャララバードでムジャヒディンはナジブラ政府軍に決戦を挑み、壊滅した。この敗北はあらかじめ仕組まれたものだった、という説がある。ゲリラ各派による不安定な連立政権や、中央政府を無視した気まぐれな軍閥支配が行われることを嫌ったパキスタンが、無謀を知りながらゲリラ各派をジャララバードにけしかけた、と。しかしパキスタンのこのような努力も空しく、アフガン情勢はまさに恐れていたとおりの展開を見せ、今日に至っている。
 北部同盟はいま、「アメリカが来る」と信じて戦っているのだろう。しかしそれはかなり怪しい。
 「ロシアが来る」なら、もしかするとありうるかもしれないが、とすると、ムジャヒディンの戦いは結局、アフガンを地上の地獄に変えただけだった。いったん得た影響力を、さしたる理由もなく手放すロシアではない。
 21世紀にはますます重要になるであろう公式を、もう一度確認しよう。
 いかなる理由があっても、ゲリラを援助してはならない。ゲリラは悪に等しい。

 

今月の標語:

ムラー・ムハンマド・オマル:
「奴らもう歴史が終わった気でいやがる」

 オサマ・ビン・ラディン:
「よろしい、では教育してやるか」

 

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