中里一日記

[先月の日記] [去年の日記]

2002年2月

2月28日

 再び魔法少女について調べている。
 現在の最新鋭・正統派の魔法少女は、おジャ魔女どれみらしいことがわかった。無印を1クールか2クール見てみたい。
 魔法少女の元祖である旧モモ――どこかから「新モモなどというアニメは存在しない」という声が聞こえてきそうだ――と比較してみて、進化のしかたを考察してみた。

・単独→多人数
 セラムンの影響、まだ確定していない?

・魔法の国の住人→力を授けられた一般人
 クリィミーマミ革命?

・奉仕→自己実現
 気のせいかもしれない。

 この3点に気をつけていれば、あまり古臭い魔法少女にならずにすみそうだ。

 魔法少女はこれくらいにして、ソ連側の資料をどう揃えるか、考えねばならない。キーロフ暗殺後、エジョフシチナ前のモスクワの風俗――うーむ。教育関係でなにか変なことをやっていそうな気がする。スターリン崇拝の歴史を調べた本を当たるべきか。
 とりあえず基礎情報として
・当時のモスクワの地図(無理なら、可能なかぎり近いものを作る)
・事件の年月日表
・モスクワの気象

2月27日

 鈴木宗男がすべてを失いつつある。
 いったいなぜ彼は、官僚的小心さ、風見鶏の美徳、オポチュニストの信条を失ってしまったのかと、ときどき考える。正義や理想をけっして抱かず、あらゆる決戦をはいつくばってでも回避し、ひたすら自己の保身のみを計れ――こうした行動指針を、その生涯にわたって全身に叩き込まれてきたはずの人間が、なぜあんな間抜けな真似を、と。
 本物の官僚は、ソ連崩壊の嵐をも生き延びた。もしソ連の官僚がすべて本物の官僚だったなら、ソ連は崩壊しなかっただろう。己の正義をアプリオリに確信し、歴史に対して決戦を挑むような暴挙に出たからこそ、ソ連は崩壊し、間抜けな官僚がノーメンクラツーラの座から放り出された。
 2004年には田中真紀子が自民党総裁・総理大臣になる、と私が予測するのは、本物の官僚であるはずの人々が自分の生き方を忘れているように見えるからだ。自分の生き方を忘れては、何者も生き延びることはできない。

2月26日

 風邪で倒れていた隙に、TV版プリサミを全部見た。
 百合的に見ようとさえしなければ、傑作といえる。だが違うんだアニキ百合は友情じゃないんだ善悪二元論なら微妙に悪っぽいヤバげな感じサミーとミサなら後者に近い!
 …と思ってみると、百合の傑作には悪意山盛りの作品が多い。ウテナ、「おにいさまへ…」、「乙女の祈り」、「ピエタ」。

2月25日

 「魔法少女プリティサミー」TV版第7話(鷲羽登場の回)に、アニメの神を見た。脚本は倉田英之、絵コンテはワタナベシンイチ。

 TV版プリサミを見ながら、ソ連+魔法少女の案を練っている。
 必殺技の掛け声、「集まれ正義の魔法!」のとき、世界各地で発射された弾道弾が東京上空を目指すという絵(違う)が出てくる。これを、ソ連各地のラーゲリから発射されてモスクワ上空を目指す、という絵にして使いたい。
 それにしても魔法少女小説は、ビジュアルがないのが非常に痛い。コスチュームなどどう表現するればいいのか。

2月24日

 「月猫通り」夏号のテーマが、「魔法少女」と決まった。テーマ発案者は私である。かねて用意のソ連+魔法少女の出番が、いよいよ回ってきた。
 というわけで、「魔法少女プリティサミー」のTV版を見ることにした。ばりばりと魔法少女を誤解してゆきたい。

2月23日

トンデモ読みの方法論その3:
 歴史を捏造する
例:
・「史上初の近代戦となった第一次南北戦争、史上初の絶滅戦となった第二次南北戦争は~」

トンデモ読みの方法論その4:
 知名度の低い史実にこじつける
例:
・「第二次大戦後、連合国によるドイツ軍捕虜への虐待は、破滅的な様相を呈した。のちの合衆国大統領であるドワイド・アイゼンハワー将軍は、捕虜300万人の死に対して責任があると考えられている~」

2月22日

 眠い。きゅう。

2月21日

 ADSL導入。ちなみにAnnex Cである。
 2.5Mbit/s出ているらしい。1.5Mbit/sは越えているので、よしとしよう。

トンデモ読みの方法論その2:
 作者の経歴を捏造する

例:
・「中里一は1974年、アフガニスタンのカブールで生まれた」(本当はイラクのバグダッド)

 もはや読みではないが、もはやそんなことを言っている場合でもない。

2月20日

 トニ・モリスンの「ビラヴド」を読んだ。
 さすがに面白い。
 もし話のすべてが理に落ちて、心清い読者を傷つけ憤然とさせていたら、さらに面白かっただろう。黒人奴隷制のために失われたものの巨大さに対して、幽霊のようなたおやかなシロモノでは、あまりに軽すぎる。

トンデモ読みの方法論その1:
 「××は○○の原作」とこじつける

例:
・「ビラヴド」は「Kanon」の原作
・「懐かしい年への手紙」は「セーラー服物語」の原作

2月19日

 デジタル世界の説教師が怒りに震え、非難を叫び、悪い予想を振りまくとき、そこでは目覚しい大成功が始まっている。成功するのはもちろん、説教師の弾劾を浴びた方針である。
 スティーブ・ジョブズによるMac互換機の締め出しがそうだった。デジタル世界の説教師はほとんど一人残らず、この決定を非難した。そして5年後――Apple株は10倍以上も値上がりした。
 そして今日、私は新たなApple弾劾演説を見つけた。この記事を読んで、私はAppleの成功を確信した。
 確認しよう。MacOS 9はカスだった。MacOS 8はゴミだった。System 7はクソだった。System 7と同時代のNeXTSTEPは、ダイヤモンドだった。
 本物のタスク管理。本物のメモリ保護。本物の仮想メモリ。これらの要素をもし戦争技術にたとえるなら、無線電話、内燃機関、抗生物質に匹敵する。これらの要素なしでも近代戦は可能だが、これらを備えた軍と欠いた軍が、正面からぶつかっては勝負にならない。ゲリラ戦だけが唯一の方法だ。だからAppleはそうしてきた。
 MacOS Xで、Appleは正規戦を挑む力を得た。今日のAppleは5年前のAppleではない。
 ハードウェア的にも、Appleは差を詰めている。
 今日、ISAバスはすでに滅び、IEEE1394とUSBは重要さを増しつつある。Linuxはハードウェア情報の開示を推進する力になっている。
 デベロッパは昔も今も、腐ったハードウェア、腐ったドライバ、腐ったメーカー製プリインストールソフトに悩まされている。Windowsに「不安定」という汚名が着せられるときには、実際の原因はこの悪の3点セットにあることがほとんどだ。環境の基本的なバリエーションがほんの数種類に絞り込まれる世界は、デベロッパにとっては天国だ。
 かくして、Appleが躍進するために必要な条件は出揃った。あとは、どう戦うかだけが問題だ。
 しかし一番楽しみなのはAppleの戦いぶりではなく、MSの対応のほうだろう。腐ったドライバに対してはすでに締め付けを強めているが、残り2点には手をこまねいている。MS製PC――考えただけでも胸が高鳴る。
 ……などと考えながらX-Boxを眺めれば、なかなか面白いと思えてくる。

2月18日

 このあいだの芥川賞作品、「猛スピードで母は」。
 ところで私はこのタイトルになんの印象も受けなかったが、世間的には印象が強いらしい。このタイトルへの評価と、恩田陸への評価の、相関関係を調べてみたい。かなり強い正の相関がありそうな気がする。
 さて本題である。
 この作品に対する村上龍の評が、いたるところでアオリに使われている――いったい、あれは何なのか。
 あのアオリを採用した人間は、なんのつもりなのか。あの評にこめられた、したたるような悪意と嘲笑がわからないのか。もし私があんなことをされたら、軽く半年は寝込むだろう。
 「働く女性に必要とされる小説」。恐ろしいフレーズである。さすが悪意の達人、村上龍、と唸らされる。小説用のスモールライトだ。こんな一言を浴びせられては、どんな大きな小説も、たちまち矮小化するだろう。
 まず、「働く女性」以外の読者を、暗に切り捨てているのがうまい。スモールライトを浴びせても、間口が広いと思わせては、逆に読者を呼び込んでしまいかねない。スモール・イズ・ビューティフルは、小説においても真である。
 「働く女性」以外を排除して、では「働く女性」をどれだけ有効にキャッチできるか? 「青少年に必要とされる小説」というフレーズを考えてみてほしい。そんなフレーズのついた小説(つけたのは中年)を、どんな「青少年」が読むだろう。勘違いの甚だしい応援歌よりは、勘違いの甚だしい罵詈雑言のほうが、よほど聞くに耐える。
 特定のカテゴリーの人間から「必要とされる」小説――では旅は、花は、飼い犬は、いったい誰から必要とされるのか?
 旅や、花や、飼い犬のような、益体もない、しかしもしかするとこの世でもっとも重要かもしれないものが、この世にはある。根も葉もないホラ話(小説)を書いてある本など、この種のものを目指そうともしなければ、その存在を正当化するのは難しい。それを村上龍は、「必要とされる」という6文字を使って、「この本はそんな上等なものじゃない」とメッセージしているのだ。ハウツー本や旅行ガイドのような、ちゃんと説明できる費用対効果を備えた、実用的な商品だ、と。
 読者を遠ざけ、中身を矮小化する、村上龍の手口の見事さがおわかりいただけただろうか。
 以上、くどくどと説明してきたが、常識的なことほど説明すると長くなるという見本である。どこから説明すればいいか、さっぱりわからないからだ。
 もしかすると、担当者の狙いは、こうやって見る人を驚かせることにあるのかもしれない。だとすれば狙いはうまくいっているのかもしれない。
 とはいえ、ちゃんとこうやって驚くような人間が、芥川賞につきあうとは思えない。たいていの人間は、「この小説とは縁がなさそうだ」と判断しておしまいだろう。うーむ。

2月17日

 エロゲーをやる暇もない。きゅう。

2月16日

 ノーベル文学賞特集の準備として、トニ・モリスンの「ビラヴド」を読んでいる。
 世の中にとって重要そうな話をしているので、気が滅入る。面白くないわけではないが、「くだらない」と言うことを禁じられている小説など、およそ小説の名に値しない。
 ノーベル文学賞がおおかたこんな風なら、特集案を取り下げざるをえない。大江健三郎が実にどうでもよさそうな話をしているので、それが最近の傾向かと思っていたら、そうではなかった。

2月15日

 エロゲーの「僕と、僕らの夏」を手に入れた。内容は後日。

2月14日

 レズビアン・バイセクシュアル向け雑誌、「アニース」を手に入れた。
 森奈津子に江川広実とは、なかなかわかっている。それにしても江川広実、生きていたとは――と人に言えた義理ではない私だった。

 おかざき真理の新刊、「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」(……嫌がらせ系のタイトルはもう禁止ロック級に禁止だ)の中身が、「雨の降る国」であることを確認した。
 可及的速やかに入手し、参考指定物件に入れたい。

 参考指定物件の審査がもう一件。
 エロゲーの「僕と、僕らの夏」(light)。これも可及的速やかに入手し、審査にかけたい。

2月13日

 おかみき新装版の8巻を読んでいる。
 昔読んだときにはあまり感じなかったが、いま読むと、展開の苦しさがよくわかる。ヤクザはまだしも、オカルトはあまりにも無理筋だ。
 阿呆な仕掛けを持ってきたりせず、笙子と池貝でプッシュしていればもっと――と一瞬思ったが、二人とも華雅なのでこれも無理筋だった。
 しかし考えれば考えるほど、高校編の舞台は華雅しかなかった、という気がしてくる。おかみきの最初の仕掛け、華雅批判と森戸批判の弁証法を、今度は華雅でやるわけだ。6巻であんなイベントをやった以上、おかみき再開そのものが無理筋だった、と考えるほかない。

2月11日

 指名手配中のベストセラー・ボーイズラブ小説(全36冊)が、25冊まで揃った。
 古本での入手性がよくないと思っていたが、よく探せばそれなりに揃うものだ。夏コミはBLR作戦が忙しいので、結果が出るのはそれ以降になりそうだが、頑張って消化してゆきたい。
 ちなみに現在は、吉田珠姫の「石黒和臣氏の良心的な仕事ぶり」を消化している。エロまんが風の話である。女性が描いたエロまんがの悪いところが全部揃っているような気がする。

 明日は夏コミ申し込みの締切である。関係者はお忘れなく。特に私。

2月10日

 TVで「プライベート・ライアン」を見た。
 戦車が怖い。戦車屋からリベートでももらっているのかと思うほど怖い。
 しかし戦闘ヘリは戦車よりも怖い――歩兵の実感としては、戦車が機関砲を載せて空を飛んでいるようなものだ――のだから、ムジャヒディンの蛮勇おそるべし、である。
 もっとも、戦闘ヘリの恐怖を体験した人間はほぼ全員その場で死ぬので、勇気よりは想像力の問題かもしれないが。

2月9日

 今日のソ連:
 嵯峨冽の「ソ連社会は変わるか」、1988年2月発行。
 文章に品性がない。没。

2月8日

 「月猫通り」の特集の題材として、次の2つを検討している。

・なにがなんでも面白いノーベル文学賞
 作品がたとえスティーブンソンの「宝島」でも、これさえ読めばもう面白くてたまらない

・完全網羅HAPPY☆LESSON
 全30通り(委員長含む)のカップリングを完全網羅する最萌カップリング決定戦

 前者のほうが野心的だが、コケると辛い。後者は、新1年生に人材がいれば実行したいが、現有戦力では二の足を踏む。うーむ。

2月7日

 世の中には、手が込んでいるわりに軽いページと、シンプルなわりに重いページがあるが、これほどシンプルなのにこれほど重いページをほかに見たことがない――PC Watch Title Page
 イメージを自動で読み込むかどうかを、ページごとに決められれば、多少は軽くなりそうだ。IEには唸るほど機能があるわりに、こういうところは抜けている。

2月6日

 眠い。きゅう。

2月5日

 今日のソ連:
 イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソンの「レーニンをミイラにした男」、底本は1997年発行。著者のひとりズバルスキーは、レーニンの遺体保存チームの責任者の息子であり、自身も医師団事件まで保存作業に携わっていた。
 著者は、ブハーリンが被告になったときの見世物裁判を傍聴していた。ソルジェニーツィンが「収容所群島」で書いたのとは逆に、被告席のブハーリンが明らかに拷問で痛めつけられており、またあの有名なスターリンへの手紙での態度とは逆に、裁判の一切が粗雑なでっち上げであることを鋭い舌鋒によって証明してみせたことを証言している。
 スターリン時代の生活描写や、身近な人間像が、また素晴らしい。スターリン時代を手短に知りたいという向きには、この本をお勧めする。
 なお、レーニン廟の遺体が実は蝋人形だという噂は事実無根で、まぎれもなく本物のレーニンだという。

 ソ連といえばこの手のデマがつきものだが、同様の話に、「ガガーリン以前に宇宙に行った(そして帰還に失敗した)宇宙飛行士がいる」というものがある。
 この話の出所をたどると、イタリアのアマチュア天文台かなにかにたどりつくという。この天文台は、世界のいかなる傍受施設にも受信できなかった通信を傍受したらしい。光明星1号(北朝鮮初の自称・人工衛星)も、この天文台に確認してもらえば、少しは信憑性が出ただろうに。

2月4日

 今日のソ連:
 V・ヴィターリエフの「ソヴィエト社会 衝撃の闇」、底本は1989年5月発行。
 「まえがき――「あとがき」に代えて」にある、特別精神病院の話が印象深い。
 アンドロポフ指導下のKGBは、スターリン時代よりも洗練された弾圧法を実用化した。政治犯に「強制医療処分」というお題目をつけて、犯罪者用の精神病院に送り込むのだ。
 著者は、その看守が囚人を護送しているところに出くわしたという。さすがに政治犯ではなく、政治的理由で精神病ということにされた刑事犯だった(でなければ一般人が接触できるわけがない)。
 ここまでは大した話ではない。驚くべきはここからだ――看守は、精神病院で行われていることを、あけすけにしゃべった。
 自分たちの所業を隠す必要さえ感じない、この精神のことを、おそらくスターリニズムと呼ぶのだろう。私はまだスターリニズムを十分に理解していなかったようだ。

2月3日

 斎藤澪奈子が死んだ。というわけで、「超一流主義」を読んだ。
 怪しいことも数多く書いてあるが、「美を大切に」というメッセージは悪くない。美を軽視する小利口至上主義者が、世に多すぎる。
 鈴木宗男の顔を見て、声を聞けば、「こりゃ駄目だ」と問答無用で理解できる。それが国会議員になり、外務省に幅をきかせる。日本に小利口至上主義者がいかに多いかを示している。まともな人間は、誇りにかけて、あんな人間の言うことには取り合わない。
 しかし鈴木宗男ならまだいい。今回たまたま迂闊にもスポットライトを浴びてしまっただけで、あの手のゴキブリはいつでも暗がりにいる。前総理――国辱とはこのことだ。
 自民党がガタガタになってくれたおかげで、これからしばらく総理だけはまともな顔になるだろう。小利口至上主義者を駆逐できる見込みは当分ないとしても、政治ニュースを見るたびに気分が悪くなることは避けられる。嬉しいことだ。

2月2日

 Jガーデンに申し込み締切オーバーで落ちていたとの通知が来た。
 郵便局の集配がこれほど遅いものとは知らなかった。ちなみに前回Jガーデンに申し込んだときも、申し込み締切オーバーで落ちた。
 というわけで、BLR作戦は5月のコミティアまで延期である。

2月1日

 プログラマー刃牙:
http://www.zdnet.co.jp/news/0202/01/e_code.html
 ちなみに、「コードコンプリート」(アスキー出版局)588ページによれば、64K~512K行のプロジェクトでは、プログラマが1ヶ月に生産するコードの行数は67~500行となっている。
 このプログラマは毎日30時間働いたにちがいない――ジャック・ハンマー?

 

今月の標語:

「つまり、何ですね。あなたは通訳であると、そういうことですね?」
「その通りです」
「で、仕事がなくて、宗教問題委員会で雇ってくれないかということで、ここへ来た、と?」
「はい、そうです」私は淡々と答えた。
「どういうつもりだ?」男はいきなり喚いた。「気は確かか? 我々ここで働いている者たちだって、自分がどうやってこの仕事に就いたか信じられないくらいなんだ。どこの馬の骨だかわからない人間が、ふらりとやって来て仕事の口があると思うのか!」

1978年、モスクワ

――V・ヴィターリエフ「ソヴィエト社会 衝撃の闇」(1991年2月発行、底本は1989年5月)33ページより

 

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