中里一日記

[先月の日記] [去年の日記]

3月31日

 今野緒雪の新刊、「マリア様がみてる レイニーブルー」を読んだ。
 「手のないところに手を作るのが上手」という。瞳子登場のときから予想されたとおりに手を作ってきたが、さて。

3月30日

 ライズショット作戦。
 菊地昌典編の「ソビエト史研究入門」を読んだところ、1936年当時のモスクワの地名を完全に調べ上げるのは不可能のような気がしてきた。仕方ないので、革命前の地名で統一したい。
 内務省軍の装備は、どこを調べればわかるのかさえわからない。制服の色くらいはなんとか調べたい。当時の市街戦教範も難問だ。スペイン戦争をあたればわかりそうな気がするが、スペイン戦争の資料は邦訳が少ない。うーむ。

3月29日

 スヴォーロフ作戦。
 正典(PC版Kanon――これが本当のカノンだ)の舞をクリアした。
 魔法の解釈が唯我論系だった。あれは天使の血を引くとかでないとうまくない、と思うのは私だけではないはずだ。

3月28日

 アレクサンダー・ドルガンの「ソビエト強制収容所」を読んだ。
 ずいぶん演出が多いような気がする。この種の問題では、口のうまい人間の書くことは信用できない。
 思えば、ソルジェニーツィンのあのなんとも朴訥な雰囲気は、あらゆる難点を救っている。

 いまJDK1.1のアプレットを作っている人間は、この地上に私ひとりのような気がしてきた。

3月27日

 緑作戦は現在108枚。あと150枚なので、そろそろ逆算をはじめなければ。

3月26日

 佐祐理と舞のSSを、スヴォーロフ作戦と命名した。
 マジカルさゆりんを怪しく解釈して空中戦を仕掛ける。続いて、SSならではの危険な頭突きを食らわせる。空と地、萌えとエロの弁証法的な矛盾によってフリースペースを得たところでゴールを襲う。予定枚数は35枚。
 これでなんとか勝った。あとは戦えばいい。

 スヴォーロフ作戦メモ。

・佐祐理
 身長:159cm
 誕生日:5月5日

・舞
 身長:167cm
 誕生日:1月29日

3月24日

 18日の日記に書いたKanonの誤植は、フォントが悪いのだと気付いた。どこから調達したフォントなのか知らないが、「ば」が「ぱ」に見える。
 このフォントを見て、私はつくづくと考え、12ドットフォントの自動生成計画を放棄した。文字の中心がずれるなど、数々の困難にすでに遭遇していたが、やはり無理筋だ。

 Kanonをやっている。
 真琴が夜な夜な祐一に攻撃を仕掛けるのを見て、マリナシリーズの「愛をするフォリー」を思い出したのは私だけではないはずだ。ただしこちらはフォリーと違って、さっぱり賢くならない。
 とりあえず佐祐理の一人称はカエサル流ということに決定した。ユリウス・カエサルは、たとえば「ガリア戦記」で自分のことをカエサルと書いたし、演説でもそのようにすることがあったという。スターリンやド・ゴールも、自分を名前で呼ぶことがしばしばあった。自分の心情よりも自分のあるべき姿のほうを優先させる人には、このような傾向があるらしい。
 また私の知るかぎり、レーニンとゴルバチョフにはこのような振る舞いはなかった。いかにもこの二人らしいと思う。

 カエサルといえば、塩野七生の「人びとのかたち」を最近読んだ。
 「偉大なる平凡」から引用する。
 「しかし、品格ある立居振舞とか、おだやかなユーモアの精神とか、ことに対処するに絶妙なバランス感覚をもってするとかは、試験などでは計りようがない素質である。試験では計れないということは、努力にも意志にも無関係だということだ。持つ人は持つという類いのものであって、たとえ事務次官でも大使でも、持たない人は持っていない。」
 試験では計れない能力ではあるだろうが、「努力にも意志にも無関係」というのは同意しがたい。それを求めて努力する人は、確実に存在する。またそのような努力なしには、取るに足らない程度の能力しか得られないだろう。
 久美沙織の「丘の家のミッキー」6巻から引用する。
 「だけど、未来ちゃんの場合、無邪気だけど、それは自分でいちいちフルイにかけて『邪気』っぽいものを徹底的になくした結果でしょう? そのフルイになってるのは、クリスチャンであることとかずっと華雅学園にいたってこととかいろいろあるだろうけど、でも、一番きめこまかいのは、おじさんなんじゃないかな。」
 無邪気もまた、試験では計れない能力である。
 この世にある真に素晴らしいものの多くは、独創性だの個性だのという怪しげなシロモノのゆえに素晴らしいのではない。もうこれ以上取り除くものがない、というところまで余計なものが取り除かれているがゆえに素晴らしい。独創性だの個性だのは、取り除く過程において発揮される。結果にはその痕跡を残してはならない。
 塩野七生のいう「品格ある立居振舞」なども、この種の純化の結果であると考える。もちろん才能の問題もあるだろう。けれどどんな才能も、良いフルイを得ることなしには発揮されない。

3月22日

 ルイバコフの「アルバート街の子供たち」を読んだ。
 キーロフ暗殺で話が途切れている。これでは一番肝心なところがわからないし、だいたいバトル・ロワイヤルは始まってもいない。ユーリーのサバイバルを見たいと願いながら読んだのは私だけではないはずだ。
 終章に「第20回党大会まで書きたい」などと書いてある。実際書いたのかどうかわからないが、邦訳されていない。ううう。

3月21日

 「月猫通り」の特集に備えて、ハピレスOVAを2巻まで見た。
 苦しい、の一語に尽きる。あの設定では、こういう出来になるのもやむをえないだろう。うーむ。

3月20日

 .NET Framework SDKリリース記念に、技術ネタを一時解禁した。

 Microsoft Speech SDK 5.1
 自動翻訳風の怪しげな日本語だが、よく見ると、すごいことが書いてある――「自由に再配布可能な Microsoft 連続音声認識 (米語版、日本語版および簡体字中国語版)」。
 …音声入力Wizardryまであとほんの一歩か? いやそれどころか、「何か。」のペルソナに組み込めばすでにデジタルギャル執事が? ヤベェ! こいつはマジでヤベェぜアニキ! ダッシュだヒートだ萌え死にだダダダダ!
 (音声入力Wizardry:英語の発音が悪くて呪文を認識させそこなうとアウトの、発音練習ゲーム)

 .NET Framework SDKとSP1を入れた。
 VisualStudio.NETのベータ2を入れて以来おかしくなっていたOrcaが直った。L作戦、再開である――と思ったが、ヤボ用がいろいろたまっているので、しばらく先になるだろう。
 Managed C++はいい感じで動く。

3月19日

 百合史調査。
 鎌倉中期の古典、「我身にたどる姫君」の第6巻が、日本初の百合物件に該当する可能性がある。
 あらすじを見ただけでも、百合のセンスのある作者だとわかる。説話文学の時代のものなので、前斎宮と女帝の対比は説教臭いが、うまく解釈して再構成すれば現代でも十分通じる。
 現在調査したかぎりでは、「我身にたどる姫君」から吉屋信子に至るまで、完全な暗黒時代が続いている。この間、女性同性愛が扱われる文献は、ポルノだけらしい。これが正しいとしたら、なんと600年の眠りだったことになる。吉屋信子がデビューする前の少女雑誌を、綿密に調べる必要があるだろう。

 国会図書館にこっそりデジカメや小型スキャナを持ち込む方法はないものかと頭をひねっていたところに、ムルアカの盗作事件の報道があった。
 なんと、国会議員とその秘書は、国会図書館の資料を借りられるという。なるほど、議員秘書になればこっそりやる必要もなく、家できれいに撮影できるではないか。
 しかし問題は、どうやって議員秘書になるかということだ。うーむ。

3月18日

 私は、雑音のなかで人の話を聞き取るのが苦手だ。無線をやっている友人などは苦もなく聞き取ってしまうのに、私はほとんどなにも聞こえない。日本語と縁の少ない環境で子供時代を過ごしたせいかと思っていたが(バグダッド→カブール)、どうやら違うらしいと最近気付いた。
 誤植を見つける能力では、私は人後に落ちない。文庫本を読んでいて、ルビの濁音が半濁音になっている誤植を発見したことがある、といえば見当はつくだろうか。どうやら私はノイズに対する感受性が高いらしい。
 (ちなみにその文庫本とは井上ひさしの「私家版 日本語文法」、ページ数はわからないが、どこかで「猫糞」に「ねこぱぱ」とルビが降ってある)
 こちらはルビではないが、濁音と半濁音の誤植を、「Kanon」PC版に発見した。オープニングから数十クリック以内のところにあるテキスト、「もう忘れていたとぱかり思っていた、子供の頃に見た雪の景色を重ね合わせながら…。」をよく見ると、「ぱ」が半濁音だった。
 Word2000にこの文章を入れてみると、思ったとおり自動校正が働いて、赤いアンダーラインが出てきた。これから先、エロゲーの誤植は劇的に減るだろう。

 なぜ今ごろKanonをやっているのかといえば、佐祐理と舞のSSを書くことになったためである。
 少なくとも絶愛くらいには原作無視なSSでありたい。いやもっと無視したい、たとえば、そう――舞台は16世紀ドイツ、免罪符を売る教皇庁にもはや腹をすえかねた舞が、95箇条の論題をぶち上げて教会と決別し、教会を倒すべく電波を放射しては剣を振り回すが、彼女の目に映る世界は果てしのない罪と闇に包まれている(ちなみに佐祐理=カタリナ)――
 …誰かがすでにやっていそうな気がする。うーむ。

3月17日

 なかはら★ももた「ラブレボ!」(りぼんマスコットコミックス クッキー)を読んだ。裏表紙に、「同性の友人・朋のことが好きな蝶子」と書いてあったためだ。
 しかし、
・主に活躍するキャラはMTF TS(女装)
・惚れられる女のほうは宝塚系
 以上の理由により没。

3月16日

 今日の全文検索リファラー:
 「えの素 葛原」

3月15日

 ルイバコフの「アルバート街の子供たち」を読んでいる。
 これは――「バトル・ロワイヤル 193X」! 純情なサーシャ、陰険なユーリー、鈍感なワディム、世間知らずのレーナ。エジョフシチナを生き残るのは誰か?
 誰でも一度は考えるネタだと思うが、やはりとっくにやられていた。

3月14日

 パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」を読もうとしてみたら、文章がまったく頭に入らない。なにが書いてあるのか、ほとんどわからない。
 文盲ならぬ文章盲という状態(個々の単語の意味はわかっても、文章全体がなにを意味しているのかを読み取るのに極度の困難があること。学習障害や精神病の症状)があるそうだが、もしかするとこういう状態なのかもしれない。
 やむをえずパステルナークはいったん置いて、ルイバコフの「アルバート街の子供たち」を読み始めた。
 クレムリンの「トロツキー門」――よくまあこんなお約束のギャグを。「トロツキー」と「トロイツキー」は、野球とオバQくらい違う。前者はユダヤ人の姓で、あのトロツキーが収監されていたときの看守の名前に由来する。後者はキリスト教の三位一体を意味する言葉で、英語でいうところのトリニティである。どこかの糞馬鹿が、翻訳者の知らないところで勝手に直したのだろう。
 しかしこの小説、ソ連人とソ連マニア以外の誰が読むのだろう。ソ連についての基礎知識がかなりないと、さっぱり意味がわからないはずだ。私自身、半分もわかっていないような気がする。

3月13日

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ(効果音)。
 同志諸君、ただちに闘争を組織せねばならない、ただちに!
 人民の敵がここにいる。彼ら精神的破産者は、たったこれだけの文中の至るところで馬脚を現している。
 「たとえ電車代くらいであっても,IPアドレスの個数に応じてお金を請求されれば,人々は限れらたリソースをもっと大切に利用しようとするはずだ」――IPアドレスに課金? これほどみじめに背骨のない卑屈な意見は、ソ連崩壊からこちら、絶えて聞いたことがない。
 いつからIPアドレスとペットボトルはごっちゃになったのか? 全人類が一秒に一個の割合で使い捨てても地球の終わりまで使いつづけられ、それでもなお全体のほんのわずかしか消費できないようなものが、なぜ化石燃料と同一視されるのか? IPアドレスが「限られたリソース」! 同志諸君、さあ私とともに叫ぼう、そして彼らを心の底から笑いのめそう! 「限られたリソース」! ハ! ハ! ハ!
 いうまでもない、IPアドレスが「限られた」ものになるのは、誰かがTCP/IPをIPv4に「限った」ときだけだ。なぜ限るのか? 日々更新されているネットワーク機器では、QoSなどの重要な新機能が実用化の順番を待っている。この順番待ちの列からIPv6だけを弾き出すのはなぜか、いや、誰か?
 もしIPアドレスを恒久的に「限ったリソース」に仕立て上げることに成功し、IPアドレスへの課金を実現したら、その金の流れを握るのは誰か? 誰が利権を握るのか?
 馬脚を一度現しただけでは、自分の愚かさを十分に噛み締められないとでもいうかのように、彼らは再び自分が何者であるかを証明している。
 「NATユーザーなら誰でも知っていることだが,この手法には限界があり,NATの背後からのサーバの管理は難しく,テレビ会議のような複雑なシステムも使いづらい。だが多くの場合,NATで用は足りる」――NetMeetingを一度でも使ったことがあれば、正気を保っているかぎり、それを「複雑なシステム」とは言うまい。IMと同等の容易さで使えるシステムは、どうみても複雑ではない。
 声を大にして言おう。
 すでにNATは破綻している!
 すなわち、すでにIPv4は破綻している!
 さきほど私は、「IPアドレスへの課金を実現したら」と言った。まるで仮定の話をしているようだが、しかしこれはすでに現実になっている。ISPの、「固定IPアドレス」への別料金、あれはIPアドレスへの課金である。いったいこの料金は、誰の懐に納まるのか? 誰の? 「なぜ」ではない、「誰の」?
 同志諸君、いまや闘争を組織し、勝利に向かって突進するときである。
 とりあえず今は、政府の政策にはタカリのネタ以外なにも期待できないということを確認しよう。

3月12日

 ライズショット作戦。
 1936年のモスクワの11歳がどんな生活を送っていたか、その手がかりくらいは見えてきた。
・制服を着用
 いまある資料はブレジネフ時代のものだけなので、1936年にはどうだったかわからないが、やはり制服だった可能性が高い。当時のデザインを調べる必要がある。
・スターリンは学校教育に注意を払っていた
 ガブリエール・フロマン-ムリスの「ソビエト人の生活」のなかに、そのような記述が出てくる。スターリン時代には男女別学だったような記述もあるが、はっきりしない。
・2部授業?
 ブレジネフ時代になっても、午前と午後の2部授業が行われていたので、1936年にはモスクワでも2部授業だった可能性がある。
・ピオネールは重要
 モスクワのような都市部では、ピオネールはほぼ全員参加らしい。当時の活動内容をよく調べる必要がある。
・ピューリタニズムな性道徳
 ポルノが禁止されている国の性道徳はさすがに厳しい。厳しいのはメディアに限ったことで、実践となるとルーズなのはどこも同じだ。

3月11日

 完黙事件(今月9日の日記参照)は、私の予想どおり、ますます面白くなっている。
 ちなみに私がオチをつけるとしたら――
・完黙の二人は、いまを去ること20年前に雑誌「ムー」の文通欄の「こちらオズワルト、連絡ください。キーワードは~」で知り合い、互いに毒電波を浴びせあったものの、二人のほかに誰も信じてくれる人がいないので、仕方なくそのへんの子供をさらってくるなり預かるなりして英才教育をほどこしている最中だった。生活費は遺産相続、身元を明かすものがないのは、二人の電波世界では自分たちは「オズワルト」と「リアナ」だから。

3月10日

 ついに、ついに! 手に入れた! ソ連体制お墨付きの小説! 1951年のスターリン賞! ノーソフ、「ヴィーチャと学校友だち」、岩波少年文庫81巻。

3月9日

 「月猫通り」2100号に備えて、百合特集の準備を始めることにした。
 特集全体のページ数は100ページと決まった。全体の構成は、以下の4部構成を考えている。
・百合通史~セラムン以前
 「百合通史」といっても、百合だけでなく周辺領域も扱う。できれば平安文学まで遡って扱いたいが、先行研究がないと手が出せない。「とりかへばや物語」だけを取り上げても、歴史的現象として捉えることはできないので、あまり意味がないのだ。
 明治以前は無理でも、とりあえず吉屋信子のエピゴーネンについてはしっかりと押さえておきたい。
・百合通史~セラムン以後
 やおい界との関係が前面に出てくる。セラムン以前にくらべて、オタク界中心の記述になるだろう。
 エロまんがの編集部が女同士物を嫌うようになったのも、因果関係はともかくセラムン以降のような気がする。こうした周辺の変化も押さえておきたい。
・百合を考える言葉
 百合とその周辺領域を扱った評論等のレビュー。一般書に関してはかなり網羅できていると思うが、学術誌もカバーしなければならない。情報収集の方策を検討せねば。
・大百合論
 フェミニズム系のイデオロギー史論に助けを求めつつ、ジェンダー論批判なども取り入れつつ、従来のやおい論を批判的に検討し、コジェーブ的なものを退け、フーコーをぼろくそにやっつけ、セクシュアリティの時代の終わりを宣言し、百合万歳で終わる。
 …とぶちあげてみたものの、「フーコーをぼろくそにやっつけ」が難しすぎる。うーむ。

 完全黙秘の略、「完黙」という言葉がある。
 警察の取調べに対して、自分の姓名さえ名乗らずにいることをいう。一部の極左運動家はこれを理想の態度としているが、達成困難なことでも名高く、たとえ3日でも完黙を貫くのは難しいという。しかし世の中には、取り調べはおろか裁判、さらに刑務所を出所するまで完黙を貫いた人間もいるという。
 極左運動家でもなかなかできないようなことを、通常の刑事犯がやろうとする例はあまりない。その珍しい例が、いま行われている。
 <少女軟禁>男女2人の身柄を送検 依然完全黙秘
 この事件、出だしからありきたりではなかったが、今後さらに面白くなりそうな気がする。

3月8日

 言い忘れていたが、このあいだの日曜日、「ギャラクシーエンジェル」なるTVアニメを初めて見た。
 特になにか言うこともない作品だったが、一つだけ確かなのは、ミルフィーユ総攻ということだ。

3月7日

 今日のソ連:
 アブドゥラフマン・アフトルハノフの「スターリン謀殺」
 ベリヤ、マレンコフほか「古い親衛隊」に対するスターリンの暗闘と、その結論としてのスターリン暗殺を書いた本である。
 類書にあまり見られない主張をいくつか書いておくと、
・死の直前、スターリンは敗北しつつあった
 第19回党大会のあと、スターリンの肩書きから長が取れて、単なる「書記」になった。かつてレーニンが使い、のちにゴルバチョフが使う辞任戦術が、不発に終わったことの状況証拠である。無謀な粛清への動きと、スターリンが後退を強いられる様子を、克明に描き出している。
・ベリヤは非スターリン化の急先鋒になろうとしていた
 あの狡知に長けたベリヤ、ほとんどあらゆる面でスターリンの上手をゆくベリヤが、なぜあっさりとやられたのか? これは私の年来の疑問である。著者もこの疑問に答えていない。それでも、ベリヤが自分の立場を理解していたらしいとは見抜いている。
 スターリン死後、ベリヤは明らかに突出していた。トロツキーのように背後から潰される運命にあることは明白だった。ベリヤの方針は、おそらく必然的に、さらに前進することだった。非スターリン化のエネルギーを解放して大嵐を起こす、それだけが生き残りの道だった。

3月6日

 ライズショット作戦。
 調べてみると、1936年にはベリヤはカフカスにいたことがわかった。
 とすると、魔法少女対策委員会のメンバーは、エジョフとその悲惨な手下たちということになる。エジョフはキャラが立っていない――逮捕前の最後の日々を、オフィスで紙飛行機を飛ばしながら過ごしたことくらいだ――し、その手下は有名になる前に粛清されているので情報がほとんどない。うーむ。
 調べれば調べるほどベリヤの悪党ぶりはおいしい。1938~53年のモスクワはいずれ、三文小説のメッカになるだろう。

 斎藤美奈子の「文章読本さん江」が面白い。
 こういう、本当にどうでもよさそうなことを取り上げて面白おかしくする技術を、私はこよなく愛している。この世を些細なことと重要なことに分けるのは正しくない、退屈なことと面白いことに分けるのが正しいのだと、改めて認識させてくれる。
 ちなみに、個人的に役立つと思う文章読本を2つ。

・E. W. ダイクストラ「構造化プログラミング」(共立出版)
 だらだらと「が」でつなぎまくるのがなぜいけないのか、この本を読めばわかる。ただし私はgoto文を恐れないので、「が」でつなぎまくる文章も書く。

・Steve McConnel「コードコンプリート」(アスキー出版局)
 「書くことがある」、「書く」、「書き上げる」、そして「よいものを書く」のあいだにある、深遠な関連性について述べている。

3月5日

 ログのリファラーを見ていると、いろいろ面白いことに気付く。
 現在Googleで、検索キーワード「エロまんが」とやると、3位・4位に出てくるのはこのサイトである。賢明なる読者諸氏のご想像のとおり、このキーワード、毎日数十件のヒットを叩き出している。
 どこかの高校や大学で課題になりでもしたのか、特殊なキーワードのヒットが突然増えることがある。「社説とは」でヒットが増えたときは首を傾げた。ちなみに最近は「放射能マーク」のヒットが増えている。
 Googleで1位を取るのはなかなか難しく、ヒットの多いキーワードでは「檻の中のわたし」くらいしか取れていない。が、先日、このキーワードで1位になっているのを見つけた――「美粋」。…うーむ。
 (ちなみに「美粋」とは、数年前に潰れたレズビアン向けまんが誌である。一時はコンビニにも展開されたが、いつのまにかずるずると敗勢に傾いていった)

3月4日

 かねての懸案であったソ連+魔法少女を、「ライズショット作戦」と命名した。予想枚数は200枚。

 調べてみると、モスクワは案外暖かい。それに降水量が少ないので、雪もあまり降らない。真冬でも雨が降ることもある。
 思えば、雪に埋もれた赤の広場という図はほとんど見たことがない。あの広い赤の広場全体を、除雪できる程度しか積もらないわけだ。

 ソ連崩壊後に書かれた、モスクワ裁判に関する調査研究の邦訳を探しているが、どうも見当たらない。
 モスクワ裁判の公式記録は、内容が荒唐無稽なのは言うに及ばず、被告の弁論も記録ではなく創作と考えていい。ごく少数の外国人ジャーナリストによる報道もきわめて偏向していることが多い。裁判を傍聴していた人の記憶をつなぎあわせるほかに、裁判の場で起こったことを再現する方法はなく、そしてそれが可能になったのはソ連崩壊後、というわけだ。
 あるスターリン伝にモスクワ裁判の話がいくらか出ていたので、とりあえずそれを参照するとして、ごまかす方向も含めて方策を検討したい。
 当時のモスクワ市民の日記類があると非常に助かるが、たぶん日本語では読めないだろう。うーむ。

3月2日

 吉川良太郎の新刊、「シガレット・ヴァルキリー」(デュアル文庫)が百合入りとの情報が入った。確認すべきと思われる。

3月1日

 大企業がイベントに出品するコンセプトモデルには、人を呆然とさせることだけを目的に作られたとしか思えないものが時々ある。

http://www.zdnet.co.jp/news/0203/01/e_loney.html
 「これ,何がポイントなの――? 私はデザインチームに聞いた。「それはね」と彼らは答えた。「これを持ち歩いて,会社にキーボードとモニタを置いておいて,家に別のキーボードとモニタを置いておいて,そうすればどこでも使える」。私が,多分皆ノートPCを買った方がいいと考えるだろうと言ったら,本当に驚いて,次のように答えた。「でも,これの方が見た目が良いから」。いや,そうは思えない。」

http://www.zdnet.co.jp/news/bursts/0110/02/ceatec_toshiba.html
 「しかし,「BSデジタルチューナー内蔵プリンタ」と言われても,何に使うのかすぐには思い浮かばない。担当者に尋ねたところ「我々もその答えを見つけるために出展してみたんです」との返事がかえってきた。」

 

今月の標語:

6歳の子供になにも期待できないならば、
あなたはなにもわかっていないのだ。

――アルバート・アインシュタイン

 

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