パソコン環境再編の仕上げとして、MTV2000を手に入れた。WinTV
PVRと2枚刺しで、同時に2チャンネルを録画できる。STRも機能する。ビデオデッキも入れれば3系統、私の辞書には裏番組という言葉はなくなった。
さすがの5万円だけあって、使い勝手が素晴らしい。ライン入力は最初から調整が出ている。しかしチューナー入力のほうは微妙に疑問があるので、これから毎晩TVKを予約録画して調整を出す必要がある(TVKは放送終了前にカラーバーを放送する)。7月の新番までには調整が出せるだろう。
画質のほうは、ゴーストのほとんどない地上波では、完全に調整を出したWinTV
PVRに比べて、実質的な差がない。ゴーストリダクションの効果は一見けっこうなものだが、カラーバーを受信してみると、その限界もわかる。デインターレースは、DScalerと比較すると、お話にならないレベルだ。まだまだBt8x8(といってもWinTV
PVR内蔵の)は手放せそうにない。
完全無音PCが完成した。本体の内部にHDDとファンを持たないマシンである。
このマシンの要点は次の4つ。
・Ultra160 SCSIによってHDDを隣室に設置
ブートドライブを2m以上離れたところに置き、十分な速度と信頼性を得るには、Ultra160
SCSIによるほかない。Ultra2 SCSIはエラー検出がパリティだけなので、ケーブルやEMIに問題のある個人レベルでは避けたい。
・ケースの上面・底面をアルミのパンチングメタルに交換する
40W以上の熱源を自然空冷のみで冷やすのだから、上下を塞ぐことはできない。素通しが一番いいが、ビデオデッキにEMIが入るので、パンチングメタルを使った。当然ながらケースには足をつける。
・ケースの天地をひっくり返す
ATXのケースとマザーボードでは通常、CPUと電源が上のほうにある。しかしこの配置では、ちょうどパンチングメタルに遮られて熱い空気が滞留するところにCPU・電源を置くことになる。ケースの天地を逆転させることで、ケース下部の冷たい空気でCPU・電源を冷やす。
・電源の配置を90度回転させ、3Pプラグのある面を底面にする
ヒートシンクの向きからいって当然である。
なお、ヒートシンク強化、ケーブル整理、電源ケースの改造、EMI対策などの細々としたことについては言わない。
ハピレス第4回を見た。
ねえ、ジョニー…… さっきから、気になってたんだけど…… この道路…… あれは、なんて言うんだろう…… 道路に横断歩道なんかを書く、あの白い塗料みたいな奴…… まあ、いいや…… あの白い奴で、道路の真ん中に、なにか書いてあると思うんだ…… さっきからずっと…… なんて書いてあるのか、読もうとしてたんだけど…… この車が速くて、なかなか読めなくて…… それでね、さっき、やっと読めたんだ…… あれは…… 「止マレ」って、書いてあるんじゃないのかい、ねえ、ジョニー?
スヴォーロフ作戦。
タイトルを「恋情教育」と決定した。かなり重いが、奇襲を仕掛けるなら重く攻めると思わせるのが道理だ。
幸福回復作戦(「月猫通り」誌上のハピレス特集)。
ママティーチャー間でのカップリングを検討したところ、以下の点について合意をみた。
・公式カップリングはうづき×さつき
・チトセにとってもっとも言い寄りづらいキャラは、うづき、さつき
・やよいはなにかと使いやすい
・むつき攻のときはやよい受(誘い受)が最善
また、以下の点について議論がある。
・総受はうづきが最善
背が低いほうが受になるという法則から、また精神構造からも、うづきが最善と考えられる。
これに対して、「うづきは、ベタな男性向け創作で輪姦される役、という先入観があり、これに妨害される」との主張がなされている。
・むつき受は難しい
むつきはシビアな男性受けを意識したキャラ(良妻賢母・ロングヘア)であるため、露骨に男に媚びたような生臭い面がある。受になると、その面が前に出てしまう。
これに対して、「そのような生臭さはない、あるいは問題にならない」との主張がなされている。
「ぴたテン」5巻が出た。
因果話といえば普通、昔の因果が主人公に巡ってくることになっている。が、未来の因果だったら…と一瞬考え、巨大な実例を思いついた。ドラえもん。
ライズショット作戦。
1936年の世界についてあれこれと考えてみたところ、この100年で、世界が恐ろしいほど妄想的になったことに気づいた。100年前の世界は、いまからでは想像もつかないほど現実的だったのだ。
第一次大戦からして妄想的だ。ナポレオン以降の約100年間、ヨーロッパの戦争がどんなものだったか考えてみると、「世界大戦」という言葉の妄想的な響きを再発見できる。スターリニズム、ナチス、核兵器、ICBM、いずれをとっても、中学生が授業中に思い描く妄想としてしか存在できないような代物である。
高河ゆんの「アーシアン」の最初のほうに、スペースシャトルの軍事ミッションで遭難する宇宙飛行士の話がある。細かい点はすべて無視するとしても、この軍事ミッションの目的である軍事衛星の搭載兵器だけは、あっけにとられるしかなかった――対人狙撃レーザー砲。こんなもの、デイビー・クロケット(車載型の無反動砲で、核砲弾を発射できる。実在した兵器)の百万分の一も恐ろしくない。
かといって、たとえばこんな設定を説明しても、どれだけ恐ろしいだろうか。「こいつは米軍が開発中の、ステルス性で機動可能な再突入体だ。GPSで中間誘導、低軌道衛星から照射されるレーザーで終端誘導され、CEP(半数命中半径)は実に2mを切る。核攻撃に耐えるよう強化されたICBMサイロを、通常弾頭で破壊できる。米軍はこいつを衛星軌道上に2000個ほど配備するつもりだ」。少なくとも1988年の世界において、このシステムがいかに世界を全面核戦争へと近づけるものかを論じるだけで100ページ、さらにその安定についての道徳的問題を論じると100ページかかる。
WTCテロの光景を「ハリウッド的」とする論調が一部にあったが、そういう人々は、世界のこのような妄想性について考えてみたことがあるのだろうか。世界が現実的だという考えこそ妄想的である。
ところでデイビー・クロケットで思い出したが、萩尾望都に「爆発会社」という作品がある。この作品の主人公の名前が、デイビー・クロケットという。やはり兵器にひっかけてあるのだろうか。
藤田貴美の新刊、「ご主人様に甘いりんごのお菓子」(幻冬社コミックス)に、かなりレベルの高い百合が収録されている。読者諸氏は必ずやチェックされたい。
完全無音マシンの中身を、ノーマルのケースで組んだ。
負荷時のレスポンスが、i815のIDE HDDシステムに比べて、それほどよくない。おそらくPCIバスに負荷が集中しているせいだ(ビデオカードがPCI)。i8xxのハブアーキテクチャはよくできている。今度システムを更新するときにはPCIバスが2系統あるマザーボードにしたい――と思ったが、そのころにはIEEE1394でブートできるようになっていて、しかもICHに組み込まれているだろうから、SCSIは不要なのだった。
眠い。きゅう。
紺野キタの「ひみつの階段」1巻の新装版が、ポプラ社から出た。
ただの新装版ではない。書下ろし50ページ、しかも百合テイスト! 読者諸氏も必ずや入手されたい。
SCSIのHDD(Seagate ST318404LW、17,800円也)、SCSIカード(DC-390U3W、18,800円也)、1.8mのLVD
SCSIケーブル(7,800円也)を手に入れた。
久々に根性の要る買い物だった。10,000rpmとはいえ、たった18GBのHDDのために、44,800円。同じ容量のIDEなら1万円としない。
しかしいまや完全無音マシンは工作のみの問題となった。
ライズショット作戦。
原稿に着手した。魔法少女物のはずなのに、シベリアの囚人親父のことばかり書いているのはどういうわけか。
モスクワの地名問題で相変わらず難航している。いったんは革命前の地名で統一しようかと思ったが、いくらなんでもゴーリキー通りが旧名だったりするのはまずい。しかし調べてみると、思ったとおり、ソ連時代でも地名がかなりころころ変わっている。10月25日通り(1937年当時)はどの名前で呼ぶのがベストなのか。うーむ。
キャラの名前を決めるのも難しい。ロシア人の家族名には、日本人の感覚からするととんでもない名前がよくある。なにしろゴルバチョフからして「せむし」という意味だ。さらに愛称という厄介なものもある。「イリーナ」の愛称は「リアナ」でいいのだろうか。(ちなみに主人公の名前だけはすでにイリーナ・マクシーモヴナ・メリニコワと決まっている)
主人公の謎言語がまったく思いつかない。といっても実際に書く段になると、とたんにすらすらと出てきそうな気もする。
屑メモリによる地獄めぐりが続いている。
MEMTEST86よりもWindows2000のほうがはるかにメモリに敏感なのはどういうわけか。
屑メモリのせいで地獄めぐりをさせられた。
メモリはできれば実物を手に取って、リマーク品でないことを確認してから買いましょう。きゅう。
今期のTVアニメはかつてなくいい状態にある。「藍より青し」「HAPPY★LESSON」「りぜるまいん」――理論と実践の一致を目指した、正しいギャルアニメが目白押しだ。いずれも一様に押しかけ女房型の話なのは、最適化原理からいって当然の帰結である。真実はいくつもあるかもしれないが、最善はひとつだ。
「藍より青し」「HAPPY★LESSON」「りぜるまいん」、いずれも百合には直接関係ない。しかしこれらの正しいギャルアニメは、TVアニメ版シスプリ(特に第一クール)のごとき間違ったギャルアニメよりも、はるかに百合に近い。
シスプリやハピレスを見たら、誰でも「ヤバい」と思う。では人は、ヤバいものを見たら、どうすべきか? TVアニメ版シスプリは、「ヤバいねヤバいね」と呟きながら、そのヤバさをネタにした。これは徹底的に誤った態度である。人は、ヤバいものを見たら、よりヤバくしなければならない。
「使うと減る」という発想は、かなり基本的なレベルで人間に組み込まれている。たとえば小さな子供は、言葉をしゃべると言葉が減る、と思い込むことがある。フロイトがリビドーの量という考えをいつまでももてあそんだのは、「使うと減る」式の発想に囚われていたからだと思える。
「ヤバいねヤバいね」と呟き、ヤバさをネタにする――その根底には、「使うと減る」式の発想がある。ヤバさが減るのは、ヤバいものをよりヤバくする作業を怠ったためであり、ヤバさを「消費した」ためではない。
(私はこういう文脈での「消費」という言葉に深い憎しみを覚える。それはいつもの、死を生の上位に置き、生を死に支配されるものに見せかけようとする試みにほかならない)
ギャル作品をよりヤバくしてゆけば、必ず百合の時代が訪れる。だから私は、間違ったギャルアニメを無視し、正しいギャルアニメを強力に支持する。
…というようなことを、ハピレス特集参加者に飲み込ませる必要がある。
スヴォーロフ作戦。
世のマジカルさゆりんを調べてみると、かなりの割合でコスチュームなし(単なる制服)のステッキだけであることに気付いた。…………ジョニー、これって、ヤバい?
しかしそれでもなおヤバくないと確信しつつタイトルを考えている。SSは頭突きが使えるかわりにタイトルが厳しい。
スヴォーロフ作戦を終わりまで書いた。400行になってしまったので、修正の必要があるかもしれない。また、調査の必要がある箇所も多い。
技術ネタ再開。
私は現在、パソコン環境の再編を進めている。その第一弾として先日、部屋を片付けた。部屋を片付けないことには、なにも新しいものが置けない状態だったのだ。
第二弾として、棚板460×600mmのワイヤーラック(偽エレクター)を注文した。棚板のサイズにピンときたかたは鋭い。ピンとこなかったかたは、後日をお楽しみに。
第三弾として、YAMAHAのDP-U50と、玄人志向のGeForce4
MX440カードを手に入れた。
まずはDP-U50から。
DP-U50の新品は2万円する。2万円あれば、ラジオ、CD、変なDSPのついた再生専用ミニコンポの新品が買える。DP-U50には、スピーカーもラジオもない。ヘッドホン出力とライン出力だけがある。
つまり、DP-U50は、かなり音と機能がよくなければならない。
音はしかるべき音が出ている。サンプリングレート変換がヘボくてヘボくて仕方ないそのへんのサウンドカードとは、一線どころか五、六線を画する(画していなかったら暴動ものだが)。2万円のオーディオとしてはどうなのか私にはわからないが、疑うと健康に悪いので、それなりにいい音だと信じることにした。
機能は、dtsとDolby Digitalの仮想デコード(2chに展開)、USB入力×1・光入力×2・同軸入力×1。変なDSPもついているが、私は使わない。仮想デコードの出来については、私はdtsやDolby
Digitalのソフトを持っていないのでわからない。
さて、なぜ私はこういう代物に手を出したのか? 理由を列挙すれば以下のとおり。
・ヘッドホン以外は使わない
CD-ROMの普及以来、エロゲーとヘッドホンは切っても切れない仲になった。たとえ無人島であっても、スピーカーでエロゲーをやる人間を私は信用しない。もし電話がかかってきて、うっかり音を切る前に受話器を外してしまったらどうなるのか。
・ハードウェアMIDIの必要性がほとんどなくなった
かつてはエロゲーに必須だったYMF7x4のハードウェアMIDIも、ソフトウェアMIDIの高性能化と普及、さらには圧縮音声の開発・普及によって、ほぼ不要になった。単純なDACとヘッドホンアンプがあれば必要十分なのが今日のエロゲーである。
・PCIバススロットを空けたい
USB接続なのでスロットを食わない。完全無音化計画(説明は後日)のためにスロットを空けたい私には有難い。
・いずれにしても外付けのDACとヘッドホンアンプが要る
マザーボードからの電力で動くサウンドカードでまともな音を出そうとすると、費用対効果に深刻な疑問を生じる。となると、外付けのDACとヘッドホンアンプが必要になる。これを2万円以下で揃えようとすると不自由が多い。dtsとDolby
Digitalの仮想デコードのような楽しい機能はまずつかない。
それなりの音の出るDACとヘッドホンアンプに2万円を出せるなら、悪くない買い物である。
ただ問題は、音声の圧縮率や編集がお粗末なエロゲーが多いので、全力を発揮できる機会があまりないという点だ。エロゲー会社の努力に期待したい。
GeForce4 MX440は後日。
スヴォーロフ作戦は現在290行。作戦は予定どおり進行している。
まさに萌えとエロの弁証法的矛盾が現出している。頭突きが使えると実に話が早い。
ライズショット作戦。
「世界の大都市5
モスクワ」(中村泰三)を読んだ。
1936年当時の舗装はまだ石が多かった、1935年のゲンプランによって再開発がスタートしたばかりだった、1930年代の建築物の写真がいくつか見られた、等々、収穫が多い。
ハピレスTVアニメ第2回を見た。
この結果、「月猫通り」の特集案は、ハピレス特集の採用がほぼ決まった。ノーベル文学賞特集を期待していた方々にはご愁傷様である。
本特集を、「幸福回復作戦」と命名する。
ネタを日々練っていると、世界最初であることの偉大さがわかってくる。思いついたら即Google、そしていたるタス通信などという先行者に敗北を喫することになる。
しかしこれはまだ私のワンアンドオンリーだ――コラムニスト&コムニスト
ライズショット作戦。
主人公をファー様(神聖モテモテ王国)の11歳バージョンにすべきであると発見した。謎の言語を考えなければ。
例:
「レッツゴーレッツゴーレッツラゴー」
「お前英語好きやな」
「ノンノン、ムッシュー、レッツラゴーは日本語」
今日のソ連:
メアリー・シートン=ワトソンの「文学作品にみるソヴェト人の息吹」、底本は1986年。
ソ連の公認文学を通じて、ソ連人の生活に光を当てている。
全体として独自性のみられる点は少ないが、道徳問題に関する部分は面白い。無宗教無道徳の伝統を誇る日本に暮らしていると、ロシア正教の伝統がどれほど根深いか、想像がつきにくい。
ロシア人に深く染み付いたそのロシア正教会が、少なくとも20世紀初頭には腐り切っていた――元神学生スターリンの思考のかなりの部分は、当時のロシア正教会のドグマ的・偽善的な宗教教育を反映している――のだから、まさに宗教的なるものの矛盾である。
ちなみに、日本人の無道徳を端的に示すケースが、金大中氏拉致事件のときに生じている。
間抜けな情報機関KCIAは、金大中を拉致してゆく最中にホテルのエレベーターで、日本人のアベックに出くわした。金大中は「助けてくれ!」と叫んだが、アベックはなにも見なかったふりをして立ち去り、匿名の通報すらもしなかった。
日本の伝統的価値観とはこのようなものであると私は確信している。精神的な「伝統」を善なるものとしてふりかざす輩は、一人の例外もなく自己欺瞞の塊であり、金大中を見捨てたアベックよりも低劣な、それも同列に論じられないほど低劣な人間であると断言する。
打倒フーコー・その3:
自己同一化の第二層の理論を、行動心理学と結びつけることができれば、フーコーを倒せるような気がしてきた。この流れでコジェーブも叩けるかもしれない。
スヴォーロフ作戦は廃屋譚の提供でお送りします。
スヴォーロフ作戦。
とりあえず1回目の絡みを終えた。
どんな小説のどんな部分を書いていても、常に自分の正気を疑わしく思っている私だが、今回は特に疑惑が深い。ヤバさだけなら、園田健一の「砲神エグザクソン」と張り合えるかもしれない。
とはいえ、この世の人間はすべて正気であるべしと決まっているわけではないので、正気でなくても問題はない。
打倒フーコー・その2:
自己同一化の第二層の理論が使えそうな気がしてきた。所詮フーコーも1984年までのフランスしか知らず、しかもハードゲイとして生きた。この2つの制約がいかに巨大であるかを論じることができれば、半分までは勝てるだろう。
打倒フーコー・その1:
問題領域をおさらいするために、AERA MOOKの「ジェンダーがわかる」を読んでいる。
ちなみに、私がフーコーを嫌う理由は、拙作の「旧世界秩序」に書いてあるかもしれない。
フーコーをぼろくそにやっつける方法を考えている。
もちろん、現代思想ゲームのルールでやっては手も足も出ない。こちらはド素人もいいところだ。どこかに自爆ボタンでもついていないものか。うーむ。
TVアニメの「ちょびっツ」第2回を見た。
ただの女性型ロボットの裸をなぜあんなにありがたがるのか、どうしても理解できないのは私だけではないはずだ。
スヴォーロフ作戦。
35枚だと思っていたら350行だった。きゅう。
現在67行目。側面はどれくらい手抜きしていいのか、確信が持てない。
眠い。きゅう。
アナトリー・ルイバコフの「重い砂」を読んでいる。1978年発表、体制公認のソ連文学としては珍しく、よく翻訳された作品である。
「私見によれば、わが国の文学はKGBの文書保管所にだけ存在している」(ユーリー・ガランスコフ)。この言葉は文字どおりの事実である。キッチュとはなにか、この本を読めば必ずわかる。
ちなみにここでいう「キッチュ」は、
『「存在との絶対的同意の美的な理想は、糞が否定され、すべての人が糞など存在しないかのように振る舞っている世界ということになる。この美的な理想を俗悪なもの(kisch)という」
人間の生物学的条件である排泄、肉体の汚穢、馬鹿騒ぎ、ノンセンスをことごとく否認し、清潔にして十全に肯定的な価値観で貫かれた世界を思い描くこと。未来への確信に満ち、微笑に溢れた世界のなかで、多幸症に酔い痴れること。『存在』の著者によれば、こうした天使的な理想主義こそがキッチュの本質であり、それは「人間の性」に属するものと考えられている。』
(四方田犬彦「オデュッセウスの帰還」)
キッチュの擁護者のひとりとして、私はこの本を重く受け止めている。私の描き出すキッチュも、縁なき衆生にとっては、この本のような代物であるわけだ。
しかし人間の性にはみな、世界をひっくり返すだけの力が備わっている。
内村剛介編の「ドキュメント現代史4
スターリン時代」を読んだ。
古い本なので、内容的には目新しい部分はない。ただし、党史の編纂に関する公聴会の議事録については、ほかに似たものを見たことがない。
スヴォーロフ作戦。
佐祐理シナリオをクリアした。
あらかじめ作戦計画を練っておいてよかった。先にこの正典を見ていたら、構想の枠が狭くなっていただろう。やはり私はKanonとは相性が悪い。
「私にとって人間と自由とは、ただシベリヤにしか存在しない(もっと正確には、シベリヤの強制収容所にしか存在しない)。日のあけくれがじかに不条理である場所で、人間は初めて自由に未来を思いえがくことができるであろう。条件のなかで人間として立つのではなく、直接に人間としてうずくまる場所。それが私にとってのシベリヤの意味であり、そのような場所でじかに自分自身と肩をふれあった記憶が、〈人間であった〉という、私にとってかけがえのない出来事の内容である。」(石原吉郎)
……というような感じのギャルゲーがやりたい今日このごろ、読者諸氏はいかがお過ごしだろうか(意味不明)。
ジョン・ランドン・デーヴィスの「冬季に於ける機械化作戦」を読んでいる。フィンランド戦争の本である。1944年12月発行。
最初の40ページほどは、ソ連軍の教範の駄目さ加減を具体的に指摘していて読ませたが、そのあとは屑だ。開戦前のフィンランドがいかに防衛努力を重ねていたかをだらだらと書いてあるばかりで、開戦後の具体的な状況や決断過程は書かれず、まして両軍の装備や運用については一言もない。
イスラエルが20年前に逆戻りしている。
1980年あたりを境にして、ゲリラ戦が不利になりつつある今日このごろだが、非妥協の力は衰えをみせない。うーむ。