2次元で美しく見えるものと、3次元で美しく見えるものは、ずいぶん違う。
パフスリーブは違いの典型例だ。パフスリーブに限らず、大げさに体の線を隠すような手は、現在の3次元にはありえない。だから、2次元から3次元に起こしたメイド服(ということになっている衣装)のなかでは、『これが私の御主人様』のものが一番美しい。デコルテに自信のない皆様には悪しからず。
とはいえ共通点も多い。2次元では、髪型や冠などで、頭に突起(ただし垂直でないもの)をつけるという手がよくある。3次元ではほとんど見かけない手だが、数少ない実例のひとつが、ナースキャップだ。ナースキャップはかぶるものではなく、髪にヘアピンで固定してあり、後方への突起を形成している。これは3次元でも美しい。
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翌朝のブリーフィングの終わりに、遠野さんが私に告げた。
「女中頭からの言付けです。
明日の朝9時、公邸事務所の第一会議室までご足労いただけないでしょうか。場合によっては、夕方までお引き止めするかもしれません。もし先約があれば遠慮なくお断りください――とのことです。
いますぐお返事をいただけるなら、女中頭にお伝えします」
明日は土曜日だから、警護はない。護衛官も公務員、基本的に週休二日だ。先約もない。
「行きます」
私は名刺サイズのメモを受け取った。財団職員がアポイントメントの管理に使うものだ。
陛下にくちづけたことが知られた、とは考えづらい。それに客観的には、女同士で一回キスしたくらいなら、なにもかまうことはない。
問題は、平石緋沙子のほうだろう。TVとヘリの件で、ずいぶん噂が広まったはずだ。それに昨晩、陛下はどのように夜を過ごされたのか。いままでのところ、陛下がメイドに手をつけたという話は聞いたことがないが、私に聞かせないようにしているだけかもしれない。
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公邸事務所は、受付もない小さな建物だ。私の官舎から歩いて5分、目立たない平屋建てが、職員寮と駐車場に囲まれている。
私は久しぶりに髪を降ろし、スカートスーツを着て家を出た。こんなときでもないと、こんな格好をする機会がない。誰かに見せたかったが、あいにく誰ともすれちがわなかった。
橋本美園も、いつものメイド服ではなく、かっちりとしたビジネススーツを着ていた。といっても彼女の場合、公邸で制服に着替えるのだから、いつもこういう姿で通勤しているのだろう。頭にカチューシャがないと面変わりして見える。
「おはようございます」
と言いながら私が会議室に一歩踏み込むと、挨拶も抜きに、
「平石さんをどうお思いですか?」
鋭い視線だった。私の言葉よりも反応が見たかったのかもしれない。
「子供です。かわいい子です」
「そうですか」
言って、橋本美園はにっこりと笑い、
「これからディズニーランドはいかがでしょう?」
と、ディズニーランドの前売りパスポートを2枚、差し出した。
私はいったん官舎に戻って、カジュアルなものに着替え、メイクにも手を加えた。
外に出ると、橋本美園はもう着替え終わって、官舎の前で私を待っていた。緑色の平凡なセダンが、橋本美園の車だった。
「あれ、眉まで変えたんだ? もしかして気合い入ってる?」
橋本美園の言葉遣いが変わったので一瞬とまどったが、カジュアルな格好であんな敬語を使うほうがおかしい。
「あまり遊びに行かないぶん、精一杯やろうと思いまして。こんなおめかしも久しぶりです。おかしくありませんか?」
「その顔だと、うちの子みたいよ。大丈夫、まとまってる。
ひかるさん、免許持ってるよね?」
「ええ。でも、公務以外では運転しません。免停にでもなったら公務に差し支えますので」
公務といっても、年に一度、実技研修でおさらいする以外はハンドルを握らない。私の運転免許は、緊急時に備えてのものだ。
「なるほどね。帰りは運転お願いしたかったんだけど。でも、運転しないんなら、どうやって出かけるの?」
「友達が迎えにきてくれるか、歩いてバス停まで行きます」
「それじゃ遊びに行くのも大変だ。ご飯は――寮の食堂だっけ」
財団の職員寮の食堂で、私の食事も作ってもらっている。
「買い物は通販ばかりです」
公邸周囲の検問は厳重だ。女中頭と護衛官といえども顔パスではない。トランクやエンジンルームはもちろん、全員いったん車から降りて身体検査され、バッグの中も調べられる。
2度の検問を通ると、外に出た、という感じがする。
「ひかるさん、さっきと今とで、メイクがぜんぜん違うよね、眉だけじゃなくて。案外おしゃれなんだね。私はこんなんよ」
見たところ、さっきと違うのは、チークとハイライトとマスカラだけだ。
「もとがきれいな人のほうが、おしゃれが苦手といいますから。
だからというわけではありませんが、私が『案外』おしゃれ、というのは心外です。警護のときの格好は野暮ったいでしょうか」
「フォーマルだからわかんなかった」
「あれはずいぶん工夫してあるんです。シャツのカフリンクスとか、カラーピンとか。よく見てください」
「ネクタイなんていつも紺の水玉模様じゃない」
「TVに映るときに多いだけです」
格式の高い場に出るときには、無難なものを選びがちになる。
「スタイルだって別人みたいだし」
「警護のときはシャツの下に、防刃防弾チョッキを着ていますので」
「それで野暮ったくなるのか! ひかるさん、そのチョッキをなんとかしなきゃ。もっと体に合うようにできないの?」
「あれでもだいぶよくなったんです。もともと柔軟性のない素材なんです。
橋本さんの――」
「美園! み・そ・の!」
「――美園さんのメイド服にも、いろいろご苦労があるかと思いますが」
「あれはね、いじっちゃいけないの。似合わない子は半年我慢。
もうすぐ衣更えか。カチューシャはあんまり変えないでほしいのよ。いまのは前のよりよくとまるんだわ」
公邸のメイド服は、衣更えのたびに、ワンピース以外のところ(エプロン、カチューシャ、カラー、カフスなど)が新しいデザインに変わる。
「あの髪飾りは重そうですね」
金銀と玳瑁で薔薇をかたどった、女中頭のしるしだ。
「左右非対称に重量がかかるしね。油断してるとすぐカチューシャがずれる」
「女中頭が油断していると、すぐに人目につくわけですか。よくできていますね」
「そんなこと陸子さまが考えてたと思う?」
「では、美園さんの発明でしたか」
「うはっ、護衛官の毒舌がきたよ」
私はマスコミには『傲慢』『毒舌』で知られている。私は軽く受け流して、
「ワンピースが新しいデザインになるのは、いつでしょうね。私は前のパフスリーブのほうが好きでした」
メイド服のワンピースは、去年の冬から、夏冬ともにすっきりと肩の線を出すデザインになった。
「あれはね、評判悪かった。うちはスタイルに自信のある子が多いから。ああいうのって、自信のないとこを隠すにはいいんだけどさ。顔が大きいとか、肩がダメとか。
ま、うちの子の言うこときいてると、メイド服じゃなくなっちゃうけどね。肩出しにしろとか、ミニスカにしろとか。それじゃフレンチメイドだよ」
公邸のこと、陛下のこと、財団のこと。話すことはいくらでもあった。
ただ、平石緋沙子のことだけは、話題に出なかった。
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