マイケル・ジャクソンを見ていると、考えさせられることが多い。
「エープリルフール(4月ばか)」にちなんだ恒例の世論調査で、米ポップス界のスーパースター、マイケル・ジャクソンさんが4年連続で「最も愚かな米国人」に選ばれた
どうやらアメリカ人も同様らしい。
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私は陛下のことを思っていた。
おととい、別れ際に、陛下は私の背中をさすってくださった。そのときはただ嬉しいくらいで、特別なこととは思わなかった。それは毎日のようにあることで、明日も、来年も、もし命があるなら十年後にも、それはあるはずだ。
でもそれはやはり特別なことだ。たとえ100万回繰り返すことでも、特別なことだ。その特別さを、普段は忘れているだけで。
その特別さを、いま突然、私は思い出していた。
陛下が、私の背中をさすってくださった。奇跡のようなことだと思う。悔いばかり多く罪深い私の人生を、それだけでまるごとプラスに変えてしまう、魔法の杖の一振りだと思う。
私を喜ばせようとして、私の奥深くに触れてくださる陛下の御手は、どんな奇跡だろう。
背中をさすってくださる御手と、それほど違わないかもしれない。それなら十分すぎるほどだ。たとえ100万回繰り返すことでも、私は欲しい。欲しくて、たまらない。
指先が、美園の唇に触れる寸前、私は手をひっこめた。
口枷があってよかった。言い訳をしなくていい。美園は大変だろうな、とも思う。私が黙っている分、自分自身のことをしゃべらなくてはならない。
美園の言うことは、おそらく当たっている。陛下は私を取り戻そうとなさるだろう。背中をさするのとは違うやりかたで、私に触れてくださるだろう。
けれど、その御手にこもった奇跡は、陛下おひとりの力では実らない。もし私に欠けるところがあれば、それは奇跡にならない。
もし、美園に許してしまったら、私は欠けてしまう。
理由はわからない。貞操とか純情とか、そんなことではない。私は、美園が無理やりにしてくれるのを、期待していた。それなら私は欠けないままでいられる――こんな期待を抱いている私が、純情などと言えたものではない。
私が手をひっこめると、美園はもう、その先にゆこうとはしなかった。
手を離して、居住まいを正した。そのときの表情を、私は見なかった。目をそらしていた。
さっきまでのように、私の頭をなでる。目をあわせる。穏やかで優しい。
口枷があってよかった。言い訳をしなくていい。言い訳では、美園を慰めることはできない。それはわかっていても、もし口が自由だったら、私は言い訳をせずにはいられなかっただろう。
しばらくして、なんの前触れもなく、玄関の呼び鈴が鳴った。前触れがない、ということはつまり、訪問者は検問線の内側からきた。
「少々お待ちください」
私は美園にまかせた。ほかにどうしようもなかったのではあるけれど。
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